バイエルン放送交響楽団が残した2つのブルックナー交響曲第9番

文:松本武巳さん

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LPジャケット

ブルックナー
交響曲第9番
オイゲン・ヨッフム指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1954年11月22‐28日
ドイツ・グラモフォン(LP)

CDジャケット
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ブルックナー
交響曲第9番
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1985年6月6日、ライヴ録音
オルフェオ(CD)

■ 初代首席指揮者オイゲン・ヨッフムとのブルックナー第9番

 オイゲン・ヨッフムによるブルックナーの交響曲第9番、バイエルン放送交響楽団との1954年の録音である。後にヨッフムはベルリン・フィル、シュターツカペレ・ドレスデンと録音を残している。バイエルン放送交響楽団は1949年に設立され、その初代首席指揮者を務めたのがオイゲン・ヨッフムであった。歴史が浅いにも関わらず、世界でも屈指の実力を誇るのは、ヨッフムによる功績が多大である。音質は古いなりにかなり良く、バイエルン放送交響楽団の透明感ある響きがしっかりと捉えられているので、モノラル録音嫌いの方でも大きな不満は生じないと思われる。

 第1楽章では、ブラスセクションが中心となって強音を、まるで音の渦ができたように鳴り響かせるフレーズがあるが、ヨッフムはこの強音の前に所謂『溜め』をしっかりと作って、その直後に見計らったように全員が揃って強音を、一気に炸裂するように出させている。これによって聴き手の集中力と注意をぐっと指揮者やオーケストラに引き付けることが叶っている。テンポも聴かせどころは実はけっこうゆったりとしているのだが、決してやり過ぎない程度に留めており、聴き手を飽きさせない様々な工夫を凝らしている。さらに何と言っても、バイエルン放送交響楽団の響きがとても美しいのだ。

 第2楽章は全体を通じて速いテンポで押し切り、まるで最後の審判を仰ぐかのような瞬間まで見え隠れするが、第3楽章に入ると一転して、うっとりとするような濃厚な美しさに満ち溢れている。長大な楽章でありながら、まるで時を感じさせないほどの清澄な美しさである。70年前の録音であるが、未だに色褪せないブルックナーの第9番であると言えるだろう。因みに、後年のベルリン・フィルとの演奏でも、晩年のシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏でも、ヨッフムのブルックナー交響曲第9番の解釈は、ほぼ一貫していることを付言したい。

 

■ 2代目首席指揮者ラファエル・クーベリックとのブルックナー第9番

 

 1985年6月6日ライヴ録音で、バイエルン放送交響楽団との最後の公演であった。小さなフレーズに至るまで微細な表情付けを施し、作品の持つ複雑な味わいをしっかりと浮き立たせており、第1楽章第1主題部の動機の取扱い、第2主題部での多声部の処理、展開部後半から第1主題部再現部にかけての楽曲全体の盛り上がり、第2主題部再現部の極めて繊細な表情付けなど、クーベリックのブルックナー交響曲第9番の演奏は、緻密かつ新鮮と形容するのが最も適切であろう。

 第1楽章のテンポは通常よりわずかに速い。このテンポは、多くの指揮者が強調する壮大で記念碑的な味わいを若干犠牲にして、叙情的な要素をより際立たせたクーベリック指揮の第1楽章の雰囲気全体を決定づけている。クーベリックがパッセージを指揮するとき、指揮者のパッセージへの執着とは対照的に、とても深遠な音楽となっている。クーベリックの指揮は多くの光で満たされているのだが、その個性的な解釈はすべての人の好みに合うわけではないが、とても有効な視点であると言えるだろう。

 第2楽章も速いテンポが続くが、第1楽章よりも明らかに重厚である。オーケストラは集中力に富んだ高い精度で演奏しており、テクスチャーの明瞭性をもたらすことに貢献している。その結果、聴き手はより楽曲の細部にまで気づくことができる。この楽章は第1楽章よりもかなり激しい音楽だが、叙情的な側面は依然としてしっかりと保たれていると言えるだろう。バイエルン放送交響楽団の重厚で凄みあるサウンドが素晴らしく響いてくる。

 第3楽章では、ブルックナーの全作品中で最高かつ豊富なテクスチャーを余すことなく際立たせ、第1主題部経過句の美しい著名な再現部でも、多声的重層的な指揮者のアプローチがとても印象的で、最後に至るまで多彩なサウンドを聴かせてくれるだけでなく、コーダの少し前に置かれたカタストロフィーの描写にも、たいそう凄まじいものがある。クーベリックは、理性をしっかりと維持しつつ、完成度の高い熱い名演を繰り広げていると言えるだろう。テンポが一般より速いにもかかわらず、クーベリックの第3楽章の演奏は、まさに崇高な音楽となっているのである。また金管楽器のパッセージは全体を通じてとても壮麗である。

 多くの録音で、第3楽章はほとんど聖歌のように演奏されているが、クーベリックの指揮からは、むしろ未来への賛歌を感じさせてくれる。この楽章は、ブルックナーの絶筆であることから一般的に考えられているような、瀕死の状態では決してないのである。確かにこの楽章は深遠な音楽であり、悲劇的な音楽でもあるが、決して絶望的な意味でも瀕死状態でもないのである。クーベリックの演奏は、光輝く希望に満ちた未来への希望として、ブルックナーの俗にいう精神性なるものを伝えようとしているのかもしれない。それゆえクーベリックの演奏は、数多くの録音の中でも一際崇高な録音であると言えるだろう。ブルックナーが死を目前にして、何とか曲を完成させようと格闘した執念が、聴き手にまでストレートに伝わる、そんな演奏である。

 

■ ヨッフムとクーベリックに共通すること

 

 二人の指揮者に共通する優れた点は、音楽の進行が決して硬直せず、柔軟かつしなやかであることに尽きるだろう。二人とも速めのテンポで走りながらも、聴かせるべき重要なところでは、じっくりと落ち着いて聴かせることに徹している。従って聴いていて、聴き手はとても心地がよいのである。確かに楽曲と若干距離を置いた冷静でのめり込むことのない客観的な演奏スタイルは、聴き手に与える深い感動と言う点で、どうしても少し欠けるのはやむを得ないのだが、それを補って余りある親しみやすさが、ヨッフムとクーベリックの指揮全体に充満しているのである。

 これがヨッフムとクーベリックの、ブルックナー演奏に共通する大きな基本的特徴であると言えるだろう。まだ歴史の浅いバイエルン放送交響楽団であるにも関わらず、二人の指揮者の持つ資質に合わせて、実に素晴らしい演奏を聴かせてくれている。このブルックナーの交響曲第9番の2つの録音は、二人の名指揮者を心ゆくまで堪能できる、そんなブルックナーの交響曲演奏なのだと思う。

(2024年10月14日記す)

 

An die MusikクラシックCD試聴記 文:松本武巳さん 2024年10月14日掲載