クーベリック他で、ヨーゼフ・ハイドンの「聖チェチーリア・ミサ」を聴く
文:松本武巳さん
1.オイゲン・ヨッフム盤
ヨーゼフ・ハイドン
ミサ曲第3番「聖チェチーリア・ミサ」
マリア・シュターダー(ソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(アルト)
リヒャルト・ホルム(テノール)
ヨーゼフ・グリンゴル(バス)
オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団
録音: 1958年10月、ミュンヘン
DG(国内盤UCCG-3998)2.ラファエル・クーベリック盤
ヨーゼフ・ハイドン
ミサ曲第3番「聖チェチーリア・ミサ」
ルチア・ポップ(ソプラノ)
ドリス・ゾッフェル(アルト)
ホルスト・ラウベンタール(テノール)
クルト・モル(バス)
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団
録音:1982年7月4日ミュンヘン(ライヴ)
ORFEO(国内盤35CD‐10068)■ ハイドン・イヤー
今年はヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)の没後200年に当たります。そこで、初期の隠れた傑作ミサである、ミサ曲第3番「聖チェチーリア・ミサ」を、バイエルン放送交響楽団の新旧シェフであった、クーベリックとオイゲン・ヨッフムが、ともに録音を残すという幸運に恵まれておりますので、この2枚を聴き比べてみようと思います。
ヨッフムはドイツグラモフォンに1958年に、クーベリックはオルフェオに1982年に、それぞれ録音を残しました。クーベリック盤は、2枚組LPで発売後、CD化の際に1枚に収められました。ヨッフム盤のCD化は海外では下ジャケット写真の2枚組CDで、OIBP処理の上発売されましたが、何とクーベリックが1963年に録音した、ミサ曲第7番「パウケンミサ(戦時のミサ)」とのカップリングでした。そして国内盤は、昨年の上ジャケット写真でのCD発売が、ようやく国内初発売でした。
■ 簡単な楽曲の紹介
ハイドンはミサ曲を12曲残しました。後半の6曲はそれなりに有名で、演奏の機会も結構ありますが、前半の6曲を聴く機会はなかなか無いのが現状だと思います。ミサ曲に限っては、ザルツブルクで活躍した弟のミヒャエル・ハイドンの方が、当時はよほど著名であったといえるでしょう。
さて、この聖チェチーリア・ミサは、自筆譜がブカレストで現存(一部紛失)しております。それによりますと、1766年の作曲であることが伺えます。交響曲で言えば、「哲学者(22番)」「アレルヤ(30番)」「ホルン信号(31番)」と同時期に当たります。そして、1766年はエステルハージ家の楽長に昇進した年でもありました。
つぎに、このミサ曲は、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスと同様、教会の典礼ミサとして用いることが出来ない異質な作品となっています。正規の典礼に用いるための要件のうち、典礼文と楽音の不一致が見られることと、ミサ内の配分が極端に偏っている(グローリアが異常に長い)ことの2点が、要件不備に該当するのです。
このことは、ハイドンが後年になって、「現代最高のイタリアオペラ作曲家」との評価(女帝マリア・テレジアが命名)を受けることにも繋がっている作品の一つと言えるでしょう。要するに「カンタータ・ミサ」の手法を用いて作曲されているのです。したがって聴き手は、ミサの独唱部分から、オペラのアリアの雰囲気を聴き取ることが出来るでしょう。そんなこともあり、意外なほどに、聴き栄えのする気分の高揚をもたらす音楽となっているのです。
■ ヨッフムの演奏
「エステルハージ候の宮廷楽長に昇進した34歳のハイドンが書いた、才気煥発たるミサ曲。輝かしく長大なグローリアなど意欲満々だ。エネルギッシュに推進しながらも古典的均整を保つヨッフムの指揮が全体を引き締める。ソリストも含め完成度の高い演奏である。」
上記は、当該CDが国内初発売であったため、発売に当たっての公式な紹介文の一つです。しかし、私は若干異なる意見を持っています。それは、ヨッフムがブルックナーの交響曲全集とともに、ミサ曲全集も録音していることに繋がりますが、ヨッフムの当該ミサ曲の視点は、ブルックナーとの連関性だと思えてなりません。少なくとも、『エネルギッシュに推進しながらも古典的均整を保つ』ような演奏では無いと思います。スコアを一見すればすぐに分かることですが(学習用ポケットスコアも発売されています)、そもそもが、ナポリ派に属する手法を用いた、聴き栄えのするミサ曲であるのです。
ブルックナーの演奏でも、ヨッフムが未だに良く聴かれるのは、このような宗教性と決して矛盾しない『神のための喜び』を、きちんと表現しているからでは無いでしょうか? 宗教曲はいつも厳かであるわけではありません。陽性で楽しく、喜ばしい側面も多々あるのですが、普段キリスト教と距離がある我々にとっては、中々理解し辛い部分があるように思います。
■ クーベリックの演奏
クーベリックの演奏の特質は、前述の生来的なこの楽曲の持つ陽性気質を表出するに留まらず、洗練された指揮で、結果的に初期の作品である事実を忘れさせる役割を果たしている点に特長があると思います。ハイドンの作品から、奥の深い音楽性を引き出し、この初期のミサ曲が傑作であることを聴き手に分からせてくれることこそが、クーベリックの演奏の功績だと思います。
さらに、クーベリックの魅力は、独唱陣のレベルの高さと、楽曲との適性を感じさせることも挙げられます。ルチア・ポップはこの録音の10年後には、夭折してしまいますが、彼女の起用はまさにこのミサ曲がイタリアオペラ的な側面を有していることを、理解させてくれるのです。特にグローリアでのソプラノ独唱部分は、非常に優れたものとなっています。そして、後の3名は、全員が旧西ドイツに生まれた歌手で、資質の似通った独唱陣となっていることが、当盤の演奏の安定性に寄与していることは明らかだと思います。
■ さいごに
どうも、ハイドン・イヤーは大した盛り上がりの無いままに、終わってしまいそうな状況になってきております。あまりにも残された作品が多いこともあるとは思いますが、少なくともこの初期のミサは、ヨッフムとクーベリックが、ともにバイエルン放送交響楽団を指揮した名演が残されているという、奇跡的なミサ曲でもあります。一度、騙されたと思って、聴いて見られるのは如何でしょうか?
(2009年10月4日記す)
2009年10月6日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記