クーベリックのヤナーチェク
ヤナーチェク
シンフォニエッタ
オーケストラのための狂詩曲「タラス・ブーリバ」
クーベリック指揮バイエルン放送響
録音:1970年
DG(国内盤 POCG-91029)AMSI(Ambient Surround Imaging)という、新手のリマスタリングで発売されたクーベリックの名盤。クーベリックの「シンフォニエッタ」と「タラス・ブーリバ」はそれぞれ別の録音もあるが、このCDは音質、入手しやすさ、組み合わせ、さらに価格(国内盤で1,300円)を考慮すると数あるヤナーチェクのCDの中でも随一の推薦盤である。ヤナーチェクの極めつけの名曲が一枚で聴けるのは何ものにも代え難いし、クーベリックの演奏がすばらしい。これはこのままヤナーチェク入門盤としても通用するCDなので、「今までヤナーチェクは聴いたことがないし、現代音楽の作曲家なのでは?」と不安を抱く読者にも安心してお薦めできる。心配なのはグラモフォンの姿勢だけだ。この大レーベルは結構クーベリックに冷たい。クーベリック在世中からクーベリックのプロモーションには積極的ではなかったように思う。現在もまだその傾向があり、このリマスタリングによるCDも限定盤であるから、早めに入手することをお薦めする。
ついでに書いておくと、AMSIによるリマスタリングでは音の鮮度が高くなったように感じる。どのような手法を使っているのかよく分からないが、不思議なものだ。ただ、最近のリマスタリングの常として、ややきらびやかな音になっている。よくいえば華麗、悪く言えば高域が少しうるさい。趣味の問題だし、再生機器によっても違うだろうから、これについては私の戯言と考えて下さっても良い。
さて、ヤナーチェクはクーベリックの故郷チェコの作曲家であるから、まさにお国ものといえる。グラモフォンがクーベリックにこの録音を任せたのももっともだ。しかし、この演奏は単なるお国ものにとどまらない。クーベリックは他のレーベルでもヤナーチェクを録音しているし、これはその再録音に当たる。クーベリックにしてみれば、両曲に相当の愛着があったに違いない。
面白いことに、クーベリックは「その愛情をさらけ出しました!」という雰囲気では演奏していない。「ヤナーチェクの音楽を広めたい、優れた音楽を優れた楽器であるバイエルン放送響を使って、最高の音質で届けたい、演奏はできるだけ普遍性をもつようにしたい」と考えていたのかもしれない。この演奏を聴くと、そうしたクーベリックの意図が読みとれるようである。
シンフォニエッタ:このほのぼのとした音楽は鋭角的な表現を好まないと思う。輝かしいファンファーレで始まり、輝かしいファンファーレで終わる曲なのに、ユーモアや笑い、あるいは暖かさを感じるのは私だけではあるまい。心温まる楽しいクラシック音楽とはこの曲のことだと私はかねがね思っている。しかし、その一方で、実は大変な難曲かもしれない。特に超絶的なパッセージを要求される第3楽章などはそうではないか?
クーベリックの演奏で感じるのは、この曲が本来的にもっている拡がり感である。華やかな曲だから、楽譜どおりに演奏してもそれ相応の効果が得られる曲だと思うが、他の指揮者による演奏を聴いている限りではそうでもないらしい。クーベリックの指揮では大きな空間に夢がどんどん膨らんでいくような、すばらしくメルヘンチックな世界がある。これがクーベリックの指揮のどの要素によるものなのか、いまだに素人の私は分からないのだが、大変なことだ。夢が拡がっていくような演奏をあなたは他に聴いたことがあるだろうか?ヤナーチェクの音楽の不思議さでもある。
ここで聴くバイエルン放送響の腕前はまさに一級品。ブラスの強奏の中にも透明感があり、すばらしい。オケが優秀であるために、音楽を最高の姿で鑑賞することができる。これだけ輝かしい演奏をするオケなら、クーベリックもさぞかし満足したに違いない。しかし、この後、クーベリックはもっとすごい演奏をする。「タラス・ブーリバ」だ。
タラス・ブーリバ:大変ドラマチックな曲である。そのため、演奏もドラマチックに行えば成功するかといえば、そうでもないようだ。しかし、大きな音で派手に演奏すればいいという音楽ではない。ヤナーチェクはロシアの作家ゴーゴリの小説を読んでいたく感心し、この狂詩曲を作ったのだが、華麗な管弦楽の陰に深い情感が盛り込まれている。第一曲「アンドレイの死」が始まってしばらくすると、オルガンによって遠くを懐かしむような旋律が出てくるが、この場面をクーベリックほど神秘的に表現した例はないだろう。恐くなるほど神秘的で、ヘッドフォンをして聴いていると、思わず周りを見渡してしまいたくなる。
全曲が劇的なこの曲だが、クーベリックはオケを煽ることもなく、感動の音楽を作り上げる。オケは最弱音から最強音までバランスを崩さずにクーベリックの渾身のタクトに反応している。曲がすばらしいうえに、クーベリックの見通しの良い音楽設計が相まって、パノラマのような迫力ある狂詩曲となっている。
実は私にとってのヤナーチェク体験はクーベリックによるこの「タラス・ブーリバ」が最初である。ひょんなことからこの録音を耳にし、ヤナーチェクの虜になった。最初に聴いたこの狂詩曲はその後の比較試聴のリファレンスになったが、私はいまだにこの録音の魅力から逃れられない。劇的な盛り上がりも、神秘的な情感もこの録音が最もすばらしい。最初に聴き込んだ演奏とは恐ろしいもので、その後の価値判断まで左右する。しかし、私は、この演奏を最初に聴いたことを幸運だと思う。これほどの名曲を、これほど効果的に、そして感動的に演奏したのはクーベリックだけだ。
いずれにせよ優れた録音のカップリングだ。この2名曲がクーベリックによって最高の音質で録音されたのは本当にすばらしい。グラモフォンには、この名盤を廃盤にしないことを望んで止まない。
なお、CDジャケットの写真をよく見ると、クーベリックはちゃんとシンフォニエッタのスコアを手にしている。廉価盤のわりには手を抜かない、まっとうなジャケットである。
An die MusikクラシックCD試聴記