クーベリック指揮のヤナーチェク「シンフォニエッタ」全音源試聴記

文:松本武巳さん

ホームページ  WHAT'S NEW?  「クーベリックのページ」のトップ


 
CDジャケット

1.チェコ・フィル(1946年10月4−5日録音=原盤HMV)

CDジャケット

2.ウィーン・フィル(1955年3月3日録音=ライヴ)

CDジャケット

3.ウィーン・フィル(1955年3月8−9日録音=原盤DECCA)

 

4.シカゴ交響楽団(1966年12月15日録音=ライヴ)

CDジャケット

5.バイエルン放送交響楽団(1970年5月1日録音=原盤DG)

 

 

6.ロンドン交響楽団(1975年10月16日録音=ライヴ)

CDジャケット

7.バイエルン放送交響楽団(1981年10月16日録音=ライヴ)

 

8.ニューヨーク・フィルハーモニック(1981年11月7日録音=ライヴ)

 

9.バイエルン放送交響楽団(1982年9月27日録音=ライヴ)

 

■ シンフォニエッタについて

 

 クーベリックの指揮したシンフォニエッタは、音源としては現時点で9種類が確認されている。このうち、1.3.5.の3点はスタジオ録音であり、残りの6点はすべて放送用の録音である。放送用録音のうち、2.と7.の2種類は正規にディスク化されており、残りの4種類は、2013年の時点では、テレビまたはラジオで放送されたのみとなっている。なお、7.のディスク音源は、バイエルン放送に映像も残されており、これに関しては現在You Tubeにて、自由に閲覧することが可能である。

  ■ 演奏に用いたスコアに関して 
 

 クーベリックの指揮は、基本的に出版された初版スコアをベースとして、かなり忠実に演奏しているように見受けるものの、クーベリックの個人的な意見を随時加味した形で、若干の変更を加えているようにも思われる。それらの変更点や改訂点は、仮に楽曲分析を執筆の目的とする場合には、個々にいちいち指摘する必要があると思われるものの、今回のような全体的な感想を述べる小論においては、特段重要と思料されるような根本的な変更がないことに鑑み、前提として注釈なしにどんどん論を先に進めて行きたいと考える次第である。

 

■ 意外な事実−テンポ設定に関し 

 

 クーベリックは、少なくとも70年代に入るまでは、当該楽曲の普及に努めることを第一の目的とし、指揮者個人の楽曲解釈を前面に押し出すことを、ある程度意識的に控えたように思われる。それは、録音当時の手兵を指揮した1.5.7.9.の各録音のテンポ設定が、録音年代の幅広さにも関わらず近似しているに対し、2.3.4.6.8.の他流試合(客演指揮)に関しては、どうも当該オーケストラの技術的な力量や、この楽曲の過去の演奏経験等を配慮して、例えば意識的にテンポを落としたりして演奏したりしているようにも見受けられる。

 端的な例をあげると、ウィーン・フィルを振った2.と3.は、指揮者のテンポ設定にオーケストラが不慣れな楽曲であったためであろうが、凡そウィーン・フィルとは思えないほど、技術的に崩壊している部分が、ライヴ録音のみならずスタジオ録音の方にも明瞭に残されている。多分、現実は、オーケストラにこの楽曲の演奏経験自体が、そもそも非常に少なかったと思われるような、そんなギクシャクした演奏振りである。また、シカゴ響との4.は、反対にテンポを冒頭からグッと落として演奏しており、破綻こそほとんど無いものの、当時のシカゴ響特有の機能性に富んだ推進力に欠けている嫌いがある。さすがに、楽曲自体が有名になってきた70年代以後の客演では、6.も8.も手兵を振ったものに近いテンポで演奏をしているが、2.や3.のようなウィーン・フィルとの崩壊寸前の演奏とか、4.のシカゴ響との安全運転は、決して偶然の産物では無いと考えたほうが、当時の当該楽曲の演奏頻度から考えて、むしろ自然であると思われる。

 

■ 意外な事実−解釈に関し  

 

 テンポ感覚が近い、手兵を振った2枚のスタジオ録音(1.5.)であるが、1.の解釈と5.の解釈は、明らかに異なっていると言わざるを得ない。1.のチェコ・フィルとの録音における解釈は、やや誇張して言えば、ヤナーチェクの音楽の初演者たち(バカラ、ターリヒ、クレンペラー等々)と解釈そのものに限定すれば、意外なほど近いものを感じる。特にクレンペラーがコンセルトヘボウを振った演奏と非常に共通した感覚を、1.のチェコ・フィルとの録音の聴後感として、私は持ってしまうのである。

 一方の5.のバイエルンでの後年の録音では、むしろ現代の指揮者たちの演奏と非常に近いものを感じる。たとえば、若干極論を言うならば、マッケラスのウィーン・フィル盤とのDECCA盤と、サイモン・ラトルの指揮したEMI盤と言う、かなり演奏自体に特徴があり、指揮者の個性も独自性も豊かな2枚のディスクの間に、クーベリックの5.の録音を挿入すると、クーベリックの録音が、マッケラスとラトルの演奏の架け橋となっているような、現代の指揮者に通ずる「いま風」の演奏であるとも言えるように感ずるのである。

 

■ 個々のディスクへの若干の感想  

 

 1.のチェコ・フィル盤は、元来は1946年のSP盤のためのスタジオ録音であり、テスタメントの優秀な復刻技術により、CDで聴くことができる。ここに聴くことのできるクーベリックの演奏は、気合の入った演奏と言うよりも、非常に気負ったものを感じさせる演奏となっている。この気負いは、彼の若さから来るものなのか、祖国の作曲家を普及させ広めるためのものか、それとも戦争が終結した直後の時代背景なのか、その実は私には分らない。ただ、気負いからつんのめって進むような部分まで散見され、良い意味での若さと心地良さを感じるのである。なお、クーベリックは1948年のプラハの春音楽祭の後、祖国から亡命し、1990年に帰国するまでの実に42年もの長い間、望郷の念に駆られることになるが、この録音は彼の亡命の2年前に行われたものである。

 2.と3.のウィーン・フィルは、1955年3月のライヴ(2.)と、直後のスタジオ録音(3.)である。この2枚での演奏のチグハグさと、オーケストラの技術的な崩壊は、到底あのウィーン・フィルの演奏とは思えないところがある。勢い良く飛び出した演奏が、楽章の途中から見る見る推進力自体まで失っていく様子は、単にリハーサルの時間が少なかったとかの問題ではなく、もっと根幹の問題がオケと指揮者と楽曲の間に生じたものと理解される。反面的な書き方となるが、ウィーンのオケを振る難しさを実体験できる、典型的な音源であろうと思われる。作曲家や指揮者の意図が、ここまでオーケストラに通じていない音源も珍しいと思う。

 4.のシカゴ響との演奏は、1966年師走のクーベリックのシカゴ響への一連の復帰コンサートの1曲で、1953年にキャシディー女史によるシカゴ・トリビューン紙への舌鋒により、事実上追放されるように辞任したクーベリックの、13年振りのシカゴ響復帰であったため、少々評論を書くにはそぐわない面もあるとは思うものの、この1966年12月には、ドヴォルザークの交響曲第8番も同時に演奏しており、こちらの演奏はシンフォニエッタとは正反対に、猛烈な速度で突っ走る爆演となっており、全曲を33分で駆け抜けてしまっている。そのような状況も勘案しなければならないが、演奏自体を客観的に判断するならば、安全運転に終始した嫌いが否定し得ない。こんなクーベリックは珍しいし、こんなシカゴ響も珍しいので、よほどの思いが指揮者にもオーケストラにも錯綜したものと思われてならない。

 5.については、ドイツ・グラモフォンとのスタジオ録音であり、テンポ、解釈、その他全てに上手く纏まった好演である。クーベリックは、この録音の時点では、たぶんこの楽曲の集大成として録音を残すつもりで取り組んだものと思われる。一方で、非常に纏まりが良いために、演奏が多少なりとも予定調和的な面が無いわけではなく、聴き手の気持ちを高揚させてくれるような演奏とは、残念ながら言い難いのが難点と言えば難点である。

 6.については、実は私は俗に言う海賊盤でしか当該演奏を聴いておらず、本当に1975年のロンドン響との録音であるかどうか、それ自体が多少怪しい気持ちが残っている上に、やはり評論を残すには相応しくない音源であると思料されるので、これ以上の言及を避けるほうが賢明であろう。

 順序が前後するものの、8.については、私は当該FM放送自体を聴いており、また音源としてもニューヨーク・フィルにきちんと保存されていることが確認されているために、4.のシカゴ響と同様に、評論を書き残すことが許されているものと考える。ここでのクーベリックは、非常に抑揚が豊かで、引き続き述べる元手兵との7.や9.の録音よりも優れた演奏であると思われてならない。晩年に残したヤナーチェクの音源中、最高の名演であると思われる。正規にアーカイブに音源が残されておるので、近いうちに陽の目を見る可能性があると信じている録音である。

 さて、7.については、オルフェオからCD化されており、かつ、映像も前述の通り自由に閲覧可能である。私は、非常に優れた演奏であることを認めつつ、しかし何かが足りない演奏に思えてならない。あえて言えば、クーベリックの元手兵のバイエルンのオーケストラは、円満退任直後のクーベリックとは、依然として阿吽の呼吸で演奏することが可能であった上に、バイエルンのオケの技術的な側面の高さもあいまって、何と言おうか、あまりにも易々とこの楽曲を演奏してしまった風に思える。クーベリックの意思がオーケストラに苦労することなく伝播し、あらゆる意味で優れた演奏を技術的にも、解釈においても見せているのだが、要するに金管楽器が咆哮するような部分でも、聴き手が熱くならないことが不満の全てだと言ってしまうと、身も蓋も無いかも知れない。

 この不満は、9.にも感じられる、と言うよりもさらに強く感じられる録音である。しかし、正規盤として現段階では世に出ていない1982年の放送録音は、私には優れた演奏に感じる一方で、クーベリックの健康面の不安を予感させるような楽曲進行が、わずか数箇所ではあるものの垣間見られる、少々怖い演奏でもある。つまり、7.と非常に似ているものの、クーベリックの暗譜が飛び掛ったように思える部分とか、バトン・テクニックが曖昧になった部分とかが、感じ取れるのである。そのため、私のようなクーベリックを愛している聴き手には、結構辛い録音でもあるのだ。7.の録音からも、クーベリックの演奏にある種の翳りが感じ取れるものの、破綻に繋がるような綻びは全く感じ取れない。しかし、9.はさらに進んで、クーベリックの老いを感じ取らせる部分が存在するように思えてならない。

 

■ 蛇足だが…  

 

 2009年、村上春樹氏の小説がきっかけで、この楽曲の人気が日本国内で沸騰した。私は特に彼の文体に親しんでいるわけではないのだが、このようなきっかけが元となり、ヤナーチェクやシンフォニエッタが著名になることは、大変個人としても嬉しいものがある。このことを最後に付け加えておきたいと思う。

 

(2014年1月22日脱稿。なお、当該試聴記は2011年にヤナーチェク友の会会報に発表した小論に、加筆修正を加えたものである)

 

An die MusikクラシックCD試聴記 2014年1月22日掲載