マーラー
交響曲第5番
クーベリック指揮バイエルン放送響
録音:1971年
DG(輸入盤 429 042-2)
前口上:クーベリックはマーラー指揮者としてつとに知られていた。グラモフォンの全集は、多くの指揮者に先駆けて、1967年から1971年の間に録音された、クーベリック芸術の集大成である。私が高校生の頃は、レコード店にはクーベリックのマーラーがうじゃうじゃしていた。LPにはクリムトの絵の断片が使われており、大変かっこよかった。2枚組のLPは重量感もあって、ジャケットの色鮮やかな絵を見ながら聴いていると、その色彩感に痺れることができた。が、あまり売れなかったようだ。グラモフォンのブランド力で大量に入荷させたものの、地味なイメージがたたって、売れ行きに影響したのであろう。
しかし、今繰り返し聴いてみても、クーベリックのマーラーはすばらしい。80年代になって、バーンスタインやテンシュテットの強烈感情移入型の演奏が現れてからは、クーベリックの均整のとれた、退廃的でない、やや健康なマーラーは目立たなくなってしまった。が、何度聴き直しても失われない良さがあり、永遠のスタンダードたりえる優れた録音ばかりだと思う。
誤解のないように申しあげておくと、今私が述べているのは90年代に入って続々と出てきたライブ盤についてではない。あくまでもスタジオ録音盤についてである。何度も書くが、ライブ盤が出現してからのクーベリックの持ち上げられように、私は少し違和感を感じている。どんな指揮者もスタジオ録音とライブ録音で燃え方が違うのは当たり前ではないか。また、ライブ、ライブと騒げば騒ぐほどスタジオ録音の価値が不当に低められるような気がするが、これははおかしい。スタジオ録音にも指揮者やオケの個性が十分刻みつけられれている訳だから、本当に出来のいい指揮者の場合、例えばクレンペラーやクーベリックの場合のように、スタジオ盤を鑑賞することに何ら問題はない。
クーベリックは、一般的にスタジオ録音では極端に走ることをしない。悪く言えば、おとなしく、よく言えば大変なバランス感覚を見せる。このマーラーでもバランス感覚が最高度に発揮されていて、世紀末的なドロドロした音楽になっていない。それがクーベリックの良さでもあると私は思っている(ただ、マーラーの演奏に際してはクーベリックは精魂傾けて指揮を行ったようで、スタジオ録音としてはかなり燃えた部類に属するかもしれない)。しかし、私はこの演奏が気に入っている。マーラーの音楽に一般的に求められている(?)グロテスクな表現にはやや欠けるところが確かにあるにせよ、何度繰り返して聴いても良さを確認できる飽きのこない演奏だと思う。多分この録音は、異常な感覚がやたらともてはやされる昨今のクラシックCDの評価では土俵にさえも載せてもらえないかもしれない。が、逆に、わざとらしい表情付けもデフォルメもないので、「またか」とうんざりすることはまずありえないだろう。高い音楽性があったればこそ、このような均整のとれたマーラーを演奏することができたのだと思う。かえってこの演奏スタイルは非凡に感じられる。万が一、この演奏がその整った顔立ちのために振り返られないのだとしたら、どこかおかしい。もっとも、私はこの録音がずっと廃盤にならないのは、そうした演奏を好感をもって迎え入れる聴き手がわずかながらも後を絶たずに現れてくるからだと思う。クーベリックファンとしてはとても嬉しい。
クーベリックの楽器としてのバイエルン放送響も、優れたアンサンブルを聴かせる。何よりも指揮者の意図を十分に読みとった楽員達の力演が嬉しい。オケの腕前を見せつける山場ばかりの曲であるから、バイエルン放送響の面々も演奏のし甲斐があったであろう。どの楽器も大変すばらしい。トランペット奏者など、おそらく顔を真っ赤にして吹きまくったという気がする。ヘッドフォンを通して聴いていると、トランペット奏者の息づかいまでが感じ取れて面白い。指揮者のバランス感覚とオケの腕を聴ける、楽しいCDだと思う。
今回、クーベリックのマーラー全集最後の録音となった第5交響曲を聴き直し、私はクーベリックのマーラーの良さを再認識した。もちろん録音も良い。アナログの良さを感じさせる上質な録音である。読者の方々にも安心してお勧めできる優れたマーラーである。
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