マーラーを聴く 第3回 ■交響曲第8番■

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団他
録音:1970年6月
DG(ドイツ盤 447 529-2)

 

■ 参考盤

CDジャケット

参考盤1
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮
シカゴ交響楽団他
録音:1971年9月
LONDON(国内盤 POCL-9080/91)

伊東注:CDジャケット写真は裏面を使用しました。何卒ご容赦下さい。

CDジャケット

参考盤2
クラウス・テンシュテット指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団他
録音:1986年4月及び10月
英EMI(ドイツ盤 CMS 7 64476 2)

 

■ 同時に進行した初のマーラー全集

 

 1960年代の後半から70年代の初頭にかけて、ステレオLPが音質的に安定期に入ったのをうけて、各レコード会社は、史上初のマーラー交響曲全集の完成を目指してしのぎをけずった。CBSがバーンスタイン、PHILIPSがハイティンク、DECCAがショルティ、そしてDGがクーベリックであった。各レコード会社が初のマーラー全集の演奏者として選んだ指揮者たちは、これらの全集が今もなおマーラー全集のスタンダードとして、すべて生き残っていることをみても、正しかったと言えるだろう。その中にあって、交響曲第8番の録音が最後に回される傾向が強かったのは、演奏者の数だけではなく、その他の交響曲を録音したホールでの録音が、第8番に限ってはあまり相応しくなかったことも一因となっていた。クーベリックもまた、第8番のみがバイエルンの本拠「ヘルクレス・ザール」での録音が叶わず、ミュンヘンにある「ドイツ博物館大会議場」で行われたのである。

 

■ 発売時の評価

CDジャケット

国内盤CDジャケット

 初めから大きな話題を呼んだのは、バーンスタインであろう。また、ショルティは途中から評価が鰻上りになっていった。しかし、クーベリックとハイティンクは大きな話題を呼ぶには至らず(特に日本では)、大きなレコード店にはいつ見ても、クーベリックとハイティンクのマーラーの交響曲(多くは2枚組)が売れ残っていた。クーベリックの方は、玄人筋の受けは良かったが、一般的な人気を博せず、ハイティンクの方はほとんど無視されてしまっていた。しかも、クーベリックにとって悪いことに、第8番の発売が、話題盤として発売されたショルティと重なって、本当に不運であった。ショルティの第8番は、シカゴ交響楽団の創立80周年記念のヨーロッパ・ツアーの一貫として、ウィーンの合唱団と共に録音し、そういった話題に弱い日本では、永きにわたってショルティ盤が、マーラーの第8番の代表盤として君臨し続けた。この地位は、その他の曲では王座についていたバーンスタインも、侵すことができなかったのである。そこで今回は、そのショルティ盤と、それから私がある理由で極めて高く評価しているテンシュテット盤と、3枚の比較を試みることとしたい。

 

■ 第1部

 

 古典的なソナタ形式を踏襲している。バッハの宗教作品と並び称されることも多いが、個人的には宗教的なドラマとしてこの曲を聴くことはほとんどないので、あまりとらわれることもないであろう。ショルティ盤は圧倒的な迫力で迫ってくる。しかし、良く耳を傾けて見ると、迫力はあるが細部の詰めは結構甘い。ライヴのような感覚を受けてしまうが、元々この曲は、テープをつぎはぎしながら録音することは難しいと思うので、この迫力はむしろ自然なものであろう。クーベリックの録音は、叙情性に富んでおり、また全体のバランス感覚が抜群で、声楽陣の安定感も最も優れている。ただ、祝典性は乏しく、また大音量で聴くよりも少し抑え気味にCDを鳴らしたほうが、隠れたロマン性やほのかな明るさが浮き上がってくる。もしもクーベリックのどこが良いか理解できない方がいらっしゃったら、音量を抑えて聴いてみて欲しい。テンシュテットは、声楽陣のバランスだけでなく、オーケストラのバランスも悪く、正直言って初めて聴いたときは最悪であった。しかし、である。クーベリックとは逆に大音量で聴いてみて欲しい。すると、一部の独唱者の素晴らしさが聴こえてくるのだ。なお、精緻さでは、テンシュテットはクーベリックとショルティの中間に位置する。

 

■ 第2部

 

 大きく分けて、3つの部分に分かれる。アダージョ、スケルツォ、フィナーレである。しかし、3つの部分の主題は相互に連関しており、明確に分けることはできない。この長大な第2部の演奏は、困難を極める。ショルティは第1部と同じスタンスで臨み、祝典的な気分を高揚させ、実に聴き映えのする録音に仕上がっている。しかし、何と言おうか。私には「高度経済成長」の申し子のように聴こえてくる。従って、まさに当時の時代背景に合致し、そのために非常な高評価を得たことは当然と言えよう。ただ、今となってはこのような勢いに依存したマーラー演奏は、若者受けはするし、素人受けもするであろうが、マーラーのファーストチョイスとしては依然お勧めではあるのだが、この方向での演奏ならば、既により優れた演奏も録音も他に存在するようになったと考える。その点で、発売時の評価は良く理解できるし、実際自分自身も、ショルティのマーラーに昔熱中した記憶はあるのだが、現代の時流からは既に乗り遅れてしまった、「過去の名演」となりつつあると思う。クーベリックの演奏は逆に、いまこそ見直されるべき演奏内容であると思う。第1部と第2部を相互に関連付けて聴いてみると、クーベリックが如何にこの長大かつ大規模な交響曲を、把握しているかが良く理解できる。また、全体を見つつ細部もこだわって処理しており、スタンダードとしての地位は、いまもなお揺るがない、というより、いまこそスタンダードたり得る録音となりつつある。永く聴き継がれる名演であろう。さて、テンシュテットであるが、第1部よりも柔和なイメージが強く、そのために宗教的な感覚を最も強く感じる。しかも、生と死の境目の描写が絶妙で(彼はこの録音を癌の告知を受けた直後に行っている)、死を絶望と捉えず、また生を神の導きと捉えているように聴いてしまうのは、知識を持って聴いてしまった者の穿った考えとは必ずしも言えない、そんな迫力が柔らかな表情の中からにじみ出てきており、正直私には第8番の第2部の最高の演奏となっている。

 

■ 最後に

 

 要するに全曲を通して聴くと、クーベリックのバランスと叙情性が最高に思える反面、第2部のみを聴くときは、テンシュテットに止めを刺す。ただし、第1部のバランスは非常に悪い。また、古き良き時代の元気な演奏を聴きたくなれば、いまもなおショルティ盤は優れた演奏であろう。なお、私は個人的な、全く個人的な見解から、この曲に関してのナンバー1はテンシュテットに捧げたいと思う。それは、そんなに多くは歌っていないが、ソプラノの「フェリシティ・ロット」の若き美声が聴けることである。当時のロットの声は、この曲にはピッタリであろう。登場場面はそんなに多くはないが、とてもうっとりするくらい素晴らしい。よって、テンシュテット>クーベリックと言うことで、ご勘弁願いたいと思う。

 

An die MusikクラシックCD試聴記 2003年11月20日掲載