クーベリック指揮の「マーラーを聴く 第9回 交響曲第9番」

文:松本武巳さん

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LPジャケット
LPジャケット裏
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マーラー
交響曲第9番
  
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1967年2月28日-3月4日、ミュンヘン(スタジオ録音)
DG(139 345/46)西独盤LP
ジャケット写真は西独盤初出LP(クリムト画ジャケットは第9番のみ再発盤)

DG(UCCG 4990)国内盤CD 

CDジャケット
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ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1975年6月4日、東京(ライヴ録音)
Audite(輸入盤audite95.471)

参考盤@
ラファエル・クーベリック指揮
ボストン交響楽団
録音:1967年1月21日収録

参考盤A
ラファエル・クーベリック指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1978年1月24日収録 

■ 第9番から開始されたクーベリックのマーラー全集

 クーベリックによるドイツグラモフォンへのマーラー交響曲全集録音は、1967年2月に第9番から開始された。さて、当の演奏だが、世評と評価が最も異なるのがこの第9番の録音ではないかと考えている。DGへのクーベリックの全集は、クーベリックの穏健な指揮に一定の評価はなされてはいるものの、特徴の薄いインパクトにやや欠ける演奏であり、特に第9番の録音は全集中で評価が低い方の演奏に分類されているように考えてもほぼ間違いないように思われる。一方の、東京でのライヴ録音は、演奏前のスキャンダル寸前ともいえる事件性も相まって、実際の演奏以上にスタジオ録音を補う好演奏であると看做されているように見受ける。もちろん、穏健過ぎて少々冴えないスタジオ録音に比べて、ライヴ特有の熱気に溢れた録音と捉えている人もいれば、スタジオ録音の方は全集最初の録音でもあるためか存在感が希薄であり、一方のライヴ録音の方がクーベリックの第9番演奏としては少なくともスタジオ録音よりは数段マシな演奏であると考えている人もいるであろう。これらは実のところ程度問題であり、要するにスタジオ録音よりは、東京でのライヴ録音の方が良い演奏であることは、どうやら共通認識であるように思えるのだ。

 スタジオ録音でのクーベリックは、クーベリックとしてもかなり抑え気味の演奏であることは間違いなく、そのために、演奏があまりにも大人しすぎるとか、聴かせどころのない穏健すぎる演奏であると看做され、極端な場合マーラーの表層を撫でているだけであるとの批判すら存在しているのだ。つまり、深みの感じ取れないとてもあっさりした演奏として、評価の低い状態のまま今日に至ってしまったとも言えるだろう。しかし、私はそのようにまったく受け取っておらず、マーラー自身が実演を聴くことなく世を去ったこの交響曲は、本来ならば初演後にマーラーが再度手を入れたであろう部分が一切存在しないことからもたらされる、そんな点をも十分に配慮した録音であると考えるのである。

 第9番のスタジオ録音は、確かに一聴すると淡白な深みの無い演奏なのかも知れない。しかし、マーラー自身が本質的に描こうとした世界が、初演を経ることなく作曲者が世を去ったために、他の交響曲とは異なり本質部分が白日に晒される形で残された交響曲であるとも言えるのだ。そして、マーラーは初演後に改作を繰り返す中で、本来描こうとした世界を大きく変換させることは過去にも多くあった。たとえば、第1番などは表題を取り去った上に、花の章をカットして全体を4楽章構成に変更し、その後の交響曲でも、多くの変更を加えた結果ようやく完成に至っていることは、ご承知のとおりである。そして、そこにこそ、クーベリックの残したこの第9番のスタジオ録音最大の価値があると思うのである。

 マーラーの交響曲の本質は、そもそもは後期ロマン派の香りが曲全体を通じて、そこはかとない美しく儚く漂うような、とても繊細な音楽であったと思うのだ。さらに、ここにボヘミアの素朴な民族性も同時に兼ね備えているような音楽であろう。しかし、大半の交響曲において初演後に著名な指揮者マーラーにより、作曲家マーラーへの楽曲自体への助言と介入を繰り返し、そこに聴衆が音楽に熱狂し陶酔できるような要素とか、複雑に錯綜する精神的な楽曲構造とかが、徐々に後付けで組み込まれていったのではないかと考えている。結果的に、このような部分が指揮者バーンスタインによって大きく光を当てられ、場合によってはデフォルメに近いくらい拡大され誇張された経緯もあって、マーラーは死後ずいぶんと経過してから交響曲作曲家として一躍脚光を浴びるに至り、現在における人気作曲家としての不動の地位を確立したのだと思われる。

 これは、バーンスタインがマーラー作品の演奏において、後世に残したとてつもなく大きな功績である一方で、マーラーの素朴な民族性や後期ロマン派特有の音楽性が削ぎ取られた側面も否定できないと思われるのである。ここでのクーベリックの演奏からは、特に初演を聴くことなくマーラーが世を去った第9番においてこそ、もともと持っていたマーラー特有の顕著な特質が、さり気なく表面に出されているように思えるのだ。私は、このクーベリックの第9番のスタジオ録音をこのように高く評価しているのである。 

 

■ アウディーテのライヴ録音シリーズ、第9番東京ライヴ

 

 一方のAuditeのライヴ録音は、バイエルン放送交響楽団との2度目の来日時に、東京文化会館で行われたコンサートのライヴ録音である。この演奏会は、当初日比谷公会堂で行われる予定だったのだが、すったもんだの末、日比谷公会堂での演奏会と東京文化会館での演奏会のプログラムをそっくり入れ替えた上で、東京文化会館で行われたのである。この経緯自体は、ここで取り上げることが適切かどうかは微妙だが、要するに日比谷公会堂を見たクーベリックが、マーラーの交響曲を演奏するにはあまりにも不向きなホールであると考え、東京文化会館への会場変更を求めたことに端を発し、そのために、クーベリックはとても横暴な指揮者であるとの見解も、当時はずいぶんと出たように思うが、そもそも日比谷公会堂でマーラーの第9番が演奏可能であったのかと、現代のコンサートホールに慣れた我々には思えるのだ。舞台も会場も狭い日比谷公会堂で、マーラーを演奏するのはどう考えても不向きであると思われる。ただ、当時はそのくらい、マーラーの交響曲に対する様々な知識が、主催者側にもなかったのであろうと思うのだ。

 そんなこんなで、東京での交響曲第9番の演奏会は、本来は来日した初日に日比谷公会堂で予定されていた公演を、クーベリックの強い希望で、来日公演最終日の東京文化会館での公演に変更となったわけである。しかし、最終日であるための疲れであるとかも加わり、ミスが多めに起きた部分などはある程度仕方がないと思うのだが、この第9番の演奏はそのような範疇ではなく、指揮者もオケも久しぶりの演奏であったためか、非常にギクシャクと音楽全体の流れが進行してしまっているのである。つまり、大変意欲を感じさせる演奏でありながら、細部の詰めがリハーサル等できちんとされていないためか、結果的に全体像とかやる気とかは見えてくるのだが、細かい部分の処理は極めて大雑把なものに留まっており、加えて奏者のミスも想像以上に多く、およそ本来のクーベリックの実力を発揮した演奏とは言い難い演奏だと、私はそのように感じてしまうのである。 

 

■ 全集録音開始直前のボストン交響楽団との第9番

 

 ミュンヘンでの全集録音開始直前の1967年1月に、全集中最初に録音予定であった交響曲第9番を、ボストン交響楽団と演奏した記録である。正規に録音は残されているが、公式には未発売の物である。ここでのクーベリックは、ドイツグラモフォンへのセッション録音に比べるとテンポは終始若干遅めで、自身の解釈を確認しつつも全般的に若干安全運転を試みているように思われる。解釈自体は後日のセッション録音と非常に似通っているものの、インパクトのやや弱い演奏であると言えるだろう。ただし、第2楽章の諧謔性に満ちた勢いのある演奏からは、他の残されたどのディスクよりも、リズミカルで楽しい演奏を堪能できる。このあたりに、オーケストラの違いや個性を感じさせると言っても良いのかも知れない。

 ただ、見方を変えるならば、このボストン交響楽団との公演によって、クーベリックのマーラー交響曲全集に立ち向かう方向性がほぼ確立したように思えるのである。この録音以前にもすでに第2番、第4番、第5番、第8番をコンセルトヘボウ管と演奏済みであり、またウィーン・フィルとは第1番のセッション録音やザルツブルクで《大地の歌》の演奏を残しており、さらにトリノにおける客演では第1番の演奏記録も残している。しかし、これら一連の演奏記録はDGへの全集録音とは基本的に異なった、個々の交響曲ごとに演奏方針を策定した、そんな位置づけであるのに対し、このボストン交響楽団との第9番に関しては、全集録音に向けての大きな全体像を策定する布石となったように思えてならない。その意味で、あえてディスク化されていないこの録音を、参考盤@として取り上げた次第である。 

■ 東京録音の3年後に残されたニューヨーク・フィルとの第9番

 クーベリックは1978年のこの第9番を皮切りに、ニューヨーク・フィルとマーラー交響曲チクルスを開始した。クーベリックの体調不良もあり、結果的に1981年の第7番、1983年の第1番を加えた計3曲が残されたに留まったが、これらの一連のニューヨークでの定期公演は、ドイツグラモフォンへの全集録音とは異なる新たな視点を有した、一連の演奏記録であると思われる。これまでのクーベリックの基本姿勢とも言える、穏健かつ中庸な解釈で全体のバランスを何より重視して進行させる演奏スタイルから一転して、この一連の3曲のマーラー演奏では、かなり積極的かつ攻撃的な指揮振りを見せており、時にはアンサンブルの乱れも厭わず、時には一部奏者の若干乱暴にも聞こえるような激しい音出しを許容してまでも、交響曲全体を大きなうねりをもって壮大に表現する、そんなスケールの大きな演奏を見せているのである。

 1975年6月の東京でのライヴ録音は、1967年のドイツグラモフォンへのスタジオ録音と比べて、演奏の方向性自体は大きく異なっていないように見受ける。しかし、わずか2年7か月後のこのニューヨークでの定期公演では、クーベリックが新たなマーラー演奏に向けて一歩踏み出したように思える。それ故、参考盤Aとして取り上げることにしたのである。残念ながらこの方向性が継続するかどうかを見極めることなく、クーベリックの体調悪化が原因で3曲だけで中断してしまったことは、残念でならない。この方向性の帰結点として、われわれはせいぜい1991年のチェコ・フィルとのプラハでのモーツァルトとドヴォルザークに、わずかにその痕跡を確認することしか叶わないことは、本当に残念なことである。 

(2023年7月24日記す)

 

An die MusikクラシックCD試聴記 文:松本武巳さん 2023年7月25日掲載