クーベリックのメンデルスゾーン

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CDジャケット

メンデルスゾーン
劇音楽「真夏の夜の夢」作品21,61
ウェーバー
歌劇「オベロン」序曲
歌劇「魔弾の射手」序曲
録音:1964年
クーベリック指揮バイエルン放送響
DG(輸入盤 415 840-2)

 「真夏の夜の夢」:クーベリックを代表する名盤の一つ。メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のあらすじは、現代人からすれば少し現実離れがしている。が、それだからこそ天才メンデルスゾーンの才能が花開いたのか、精妙極まりないロマンチックな曲が出来上がった。そのロマンチックさはメンデルスゾーンらしく健康的で、メルヘンチックでもある。そのような音楽は現在まで聴き継がれている19世紀のロマン派音楽の中でも異例であろう。ところが、そんなメルヘンチックな曲がドイツ系大指揮者の興味を惹くらしく、クレンペラーのようなコワモテ指揮者やクーベリックのような、いかにも実直そうな指揮者が歴史的な名盤を残しているから面白い。

 クーベリックの演奏は、ロマンチック、メルヘンチックでありながらも、自分が作り出した幻想の世界に耽溺しない、いうなれば大人の演奏である。悪く言えば「のめり方」が足りない。よく言えば、クーベリックらしい中庸の美徳がある。「のめり方が足りない」という意味では、「妖精たちの歌」でのあっけない歌わせ方が例として挙げられる。が、それは全く些細なことで、全体的な仕上がりは実にすばらしい。これほどすっきりとまとめられると、過剰な味付けや嫌味がない分、繰り返しメンデルスゾーンの作った19世紀的浪漫の世界に浸ることができる。

 もしかしたらクーベリックはライブではもっと大きな味付けをしたのかもしれないが、ここで聴くメンデルスゾーンはほとんど非の打ち所のない最高の出来映えだ。クーベリックの指揮に応えたドイツの名門バイエルン放送響の精緻なアンサンブルが、精妙なメンデルスゾーンの音楽を余すところなく表現している。このようなすばらしいオケが天才の曲を演奏するとなると、言葉にもできないような微妙な表現を可能にする。オケのメカニックな響きがすごいわけではない。そのうえの「表現」がすばらしい。きらきら輝くような光、ふと差し迫る暗い陰。また、森の木々がざわざわ動く気配すら表現している。オケの力量が傑出しているために、そういったものまで聴き取れるのである。録音が行われた64年はクーベリックがバイエルン放送響の常任指揮者に就任して3年経過している。3年が過ぎ、このようなオケを縦横無尽、自由自在に使えたからこそ、「真夏の夜」の名演ができたのであろう。

 なお、録音は「カラヤンの耳」とまでいわれたギュンター・ヘルマンスが担当している。64年の古い録音なのに、全く不満を感じさせない。この名演奏がずっと聴き継がれてきたのも、この名録音があったからかもしれない。みずみずしさは最新録音にも引けを取らないと思う。。

 歌劇「オベロン」序曲、歌劇「魔弾の射手」序曲:「オベロン」も「魔弾の射手」もクーベリックは後に全曲盤を作った。「オベロン」は1970年にDG、「魔弾の射手」は1979年にDECCAで録音している。いずれもバイエルン放送響を起用しているので、その聴き比べをすると大変面白い。クーベリックはその生涯で大きく演奏スタイルを変えなかった指揮者ではあるが、やはり録音時期が違えば、演奏内容が異なる。「オベロン」序曲は、この64年盤の方が生き生きとした演奏になっている。「ワクワク度」という言葉をあえて使うとすれば、圧倒的にこちらに分がある。極論すれば、これを聴くだけでもこのCDの価値があるかもしれない。「魔弾の射手」もすばらしい。ホルンの朗々たる響きや、ダイナミックな押し出しはまさにドイツ的で、この国民的オペラの序曲にふさわしい演奏だと思う。

 

An die MusikクラシックCD試聴記