シューベルト晩年のミサ曲を、クーベリックの名盤とカペレの最新盤で聴き比べる

文:松本武巳さん

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CDジャケット

シューベルト作曲
ミサ曲第6番変ホ長調D.950
グンドラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)

グレイス・ホフマン(アルト)
アルベルト・ガスナー(テノール)
ヴァルデマール・クメント(テノール)
フランツ・クラス(バス)
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団&合唱団
録音:1968年3月22日、ミュンヘン、ヘルクレスザール(ライヴ)
Audite(輸入盤AU92541)

CDジャケット

シューベルト作曲
ミサ曲第6番変ホ長調D.950
サー・チャールズ・マッケラス指揮

ゲーニア・キューマイアー(ソプラノ)
クリスタ・マイヤー(アルト)
オリバー・リンゲルハーン(テノール)
ティモシー・ロビンソン(テノール)
マシュー・ローズ(バス)
ドレスデン国立歌劇場合唱団
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:2007年、ドレスデン、フラウエン教会(ライヴ)
Carus(輸入盤83249)

 

■ シューベルト晩年の名作 

 

 ヨーロッパの音楽史をふりかえるとき、キリスト教の果した役割がいかに大きかったかを再認識せずにはいられないでしょう。音楽が宗教と密接な関係を持たなくなったのは、近代になってからにすぎないと思います。しかし宗教音楽にかわって世俗音楽が支配する時代にいたっても、宗教的な伝統は依然保たれているのです。古典派におけるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらの残した優れた宗教音楽や、シューベルトからブルックナーにいたるロマン派。さらにストラヴィンスキー、オネゲル、メシアンなどによって生みだされた近現代の宗教作品などは、音楽史上に重要なジャンルを形成しているのです。

 カトリック教会音楽の最も大切な形式がミサ曲であることはいうまでもないでしょう。キリエ、グローリア、クレード、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイをひとまとめに作曲したものを一般にミサ曲と呼んでいます。フランツ・シューベルト(1797〜1828)は6曲のミサ曲を作曲しました。初期ロマン派の時代に活躍し、31年の短い生涯のうちに歌曲集「冬の旅」をはじめとする珠玉の歌曲を生み出したシューベルトが、宗教音楽の分野にも多くの名作を書いていることを忘れてはならないと思います。この分野で、かつてサヴァリッシュが中心となって全集を作成したこともあるくらいです。

 シューベルトがウィーンの王室礼拝堂の児童合唱団として、18世紀後半以降の宗教音楽に親しみながら学生時代を過ごしたことは、彼の宗教音楽の作曲に決定的な方向を与えることになったと考えられます。伝統的な厳粛でポリフォニックな書法と、旋律美と響きの美しい音響を湛える抒情的なホモフォニックな書法との、みごとな統一のもと、天国的な美しさにつつまれた清らかな祈りの音楽を繰り広げています。シューベルト特有の素朴な優しい祈りであり、ロマンティックな美しい献呈品であるとも言えるでしょう。

 シューベルトの晩年をかざるミサ曲として、非常に注目すべき作品であるとともに、大規模作品でもあるミサ曲変ホ長調D.950は、シューベルトの死の年にあたる1828年の6月から7月にかけて作曲されました。合唱を中心に構成されるミサ曲変ホ長調は、シューベルト晩年の敬虔な祈りが清らかに歌われます。ドイッチェ番号を見ても分るように、もっと広く聞かれて欲しい晩年の名作の一つと言えるでしょう。

 

■ 各曲の簡単な紹介 

 

第1曲《キリエ》
主のあわれみを求めるこの第1曲は、合唱による簡潔な3つの部分からなっています。
第2曲《グローリア》
天における主の栄光と地における平和を祈る第2曲は、6つの部分に分かれます。力強い合唱にはじまる第1部。女声合唱と男声合唱が応答する第2部に、第1部の縮小された反復が続き、アンダンテに転じ、トロンボーンの響きで第4部に入ります。ふたたび第1部に回帰し、雄大なフーガに発展して曲を閉じます。
第3曲《クレード》
信仰宣言を歌うこの曲は4つの部分からなっています。主題を中心に展開する第1部は、敬虔な雰囲気を醸しだし、アンダンテの第2部は独唱テノールが歌い、清らかな3重唱へ発展し、更に合唱を組み入れ明暗の綾をなします。合唱が終ると第1部の発展した曲想が続きフーガヘと進展していきます。
第4曲《サンクトゥス》
「聖なるかな」が次第に強められながら進んだあと、フガートが続く壮麗な楽曲です。
第5曲《ベネディクトゥス》
弦楽がおだやかな調べに乗り4重唱が歌い出し、やがて合唱も加わります。サンクトゥスのフガートが再帰して曲を閉じます。
第6曲《アニュス・デイ》
ポリフォニックな書法とホモフォニックな書法が対比を生み出す4つの部分からなっています。合唱が多声的にくりひろげる厳粛な第1部。合唱と4重唱が和声的に歌う優美な第2部。第1部が変ホ短調で回帰したのち、第2部にもとづく第4部が全曲を感動的に結んでいます。

 

■ クーベリックのライヴ録音 

 

 バイエルン放送交響楽団との1968年のライヴ録音です。バイエルン放送交響楽団と合唱団は、この曲をレパートリーにしているようで、ベームやジュリーニその他の名録音が他に存在しています。クーベリックの当該録音は、その中の1枚で、当日はブルックナーの「テ・デウム」に引き続き演奏されたようです。

 

■ クーベリックのディスク 

 

 「キリエ」の斉唱が非常に優しく、穏やかな雰囲気で厳かに開始されます。シューベルト最晩年のミサ曲の冒頭から、演奏に自然に引き込まれていきます。しかし決して厳粛な重々しい雰囲気でなく、親しみやすい歌心あふれた演奏となっています。壮麗な「グローリア」では、ライヴ録音特有の溢れんばかりの熱気がきちんと感じ取れ、加えて迫力十分に楽曲が進行します。さらに「クレード」では、テノールとソプラノの重唱が、まるでオペラのように甘い旋律で歌われ、ほとんどセンチメンタリズムの極みで、聴き手をうっとりとさせてくれます。

 バイエルン放送交響楽団と合唱団もいつもながら素晴らしく、各声部の重層的な掛け合いなどもとてもみごとです。あえて欠点を探せば、バイエルン放送合唱団の響きが、人数がやや多いために、ミサ曲としては響きが全体にやや分厚すぎることでしょうか。しかし、その分厚い響きがあるからこそ、普段ミサ曲に触れる機会の少ない、キリスト教に無関係のリスナーには、より聴き応えのある録音となっているようにも思います。

 

■ マッケラスとカペレの最新録音 

 

 2007年のライヴ録音です。カペレもバイエルンと同様に、サヴァリッシュ等の優れた録音を過去に残しており、どうやらシューベルト晩年のこのミサ曲は、バイエルン放送とシュターツカペレが、そもそもの二大巨頭であるようです。このミサ曲の名盤といわれるディスクは、ほとんどがいずれかとの共演となっています。しかし、マッケラスにとっては、この録音は他流試合でもあります。

 

■ カペレの新盤 

 

 第二次世界大戦中、ドイツ軍の攻撃に対する英軍を中心におこなわれた報復攻撃である「ドレスデン爆撃」によって徹底的に破壊され、60年後になってようやく再建されたドレスデンのフラウエン教会でおこなわれたコンサートのライヴ録音です。やはり爆撃によって壊滅的打撃を受け、40年後の1985年に再建されたゼンパー歌劇場を本拠地とするシュターツカペレ・ドレスデンが、演奏を担当しております。

 この録音は、サー・チャールズ・マッケラスによって演奏されたライヴ録音です。数多くあるシューベルトのミサ曲の中でも最も人気の高い第6番変ホ長調ですが、マッケラスは冒頭から深々とした美しい旋律を引き立たせ、甘美なまでに昂りを感じさせる音楽自体を、うまく作為を感じさせずに指揮したこのディスクは実に魅力的な仕上がりとなっているように思います。とても深い感銘をもたらしてくれる録音だと思います。名演が一つ増えた喜びを感じさせてくれます。

 

■ 両盤の決定的な違い 

 

 私は、クーベリックとバイエルンは、カトリック教会を念頭に置いて演奏しているように思えるのに対し、マッケラスとカペレは、シューベルトのミサ曲を念頭に置いて演奏しているように思います。このことについて、若干補足させて頂こうと思います。実は、第3曲「クレード」において、シューベルトのミサ曲は、ラテン語の歌詞を直訳すると、「教会を信じる」という、非常に重要な一節が脱落しているのです。シューベルトが6曲残したミサ曲すべての歌詞が、そのように扱われているのです。私は、シューベルトが故意に歌詞を抜いたのだと考えています。

 この事実があるため、カトリック教会のミサとしては、実は使うことが困難なミサ曲であるのです。非常に細かいことになってしまいますので、この辺で歌詞の件はお仕舞いにしようと思いますが、それにもかかわらず蛇足かも知れませんがあえて付け加えますと、クーベリックとバイエルンのディスクは、歌詞の省略された当該部分に差し掛かる直前から、明らかに非常に大きな抑揚をつけて楽曲を進行させているのです。私はこの演奏行為を、クーベリックとバイエルンが"Ohne Worte"で、カトリック教会および脱落した一節を念頭に置きつつ、このミサ曲を演奏したものと受け取っているのです。また、そのように信じております。

 一方のマッケラスとカペレの「クレード」は、当該部分に良くも悪くも何らの作為を感じさせない演奏になっています。彼らが、個人の信仰はともかくとして、シューベルトが残したとおりに演奏し、そして楽曲を解釈して、美しく全体をまとめているのです。しかし、全体的な演奏レベルの高さは、間違いなく傑出しているディスクだと思います。

 私は最後に、冒頭に書いた文章を繰り返し書いた上で、この小文を閉じたいと思います。『ヨーロッパの音楽史をふりかえるとき、キリスト教の果した役割がいかに大きかったかを再認識せずにはいられないでしょう。』

  (2009年11月26日記す)
 

An die MusikクラシックCD試聴記 2010年3月3日掲載