「名盤の探求」
例3 音質
文:青木三十郎さん
リスト:ピアノ協奏曲第1番、第2番
[CD1]
ピアノ:バイロン・ジャニス
キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(第1番)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団(第2番)
録音:1962年6月14,15日 チャイコフスキー音楽院大ホール、モスクワ
マーキュリー(国内盤CD:日本フォノグラム PHCP10214 =1990/11発売)[CD2]
ピアノ:スヴャストラフ・リヒテル
キリル・コンドラシン指揮ロンドン交響楽団
録音:1961年7月19-23日 ウォルサムストウ・タウン・ホール、ロンドン
フィリップス(国内盤CD:ポリグラム PHCP24007 =1996/7発売)マーキュリー・リビング・プレゼンスのアルバムは、大巨匠の演奏を何日もかけてじっくり収録・制作する類いのものではなく、実務的演奏家によるコンサートの前後の時間や集中的セッション(後述)で効率よく録音されたものがほとんど。しかしその〔音質〕面に関する追求にはすさまじいものがありました。
ハード面では、1/2インチ3トラック録音機や35ミリ磁気フィルム録音機の導入。これらは機材だけでなくテープやフィルムにもカネがかかるものでしょう。そして「レコード史上でも一、二を争う優れた耳の持ち主」といわれたらしいウィルマ・コザートによるディスク・マスタリング全工程の監督。旦那のC.ロバート・ファインやハロルド・ローレンスというエンジニアが別にいるにもかかわらず、プロデューサーのコザート女史が音質面も監修していたそうなのです。のちのCD化にあたっても彼女が自ら編集・リマスタリングを行ったとのことですが、その際もオリジナル・マスターテープだけを使用し、イコライザーやフィルター、コンプレッサーやリミッターなどは一切使わず、さらに録音当時に使用した真空管式テープレコーダーを完全整備したといいます。
今回はリストのピアノ協奏曲を二種類の録音で聴きくらべました。フィリップスのリヒテル盤は、彼がロンドン・デビューを果たした演奏会の直後のスタジオ録音で、当時フィリップス傘下にあったマーキュリーのスタッフ(W.コザート、H.ローレンス、C.R.ファイン)が録音作業を担当したもの。ジャニス盤はその翌年、彼らマーキュリー技術陣がソヴィエト連邦に機材持参で乗りこんで敢行した録音。両方とも35ミリ磁気フィルム録音機が使われています(前者では原解説にその旨記載)。
でもこのリヒテル盤はいわゆるマーキュリーらしいエネルギーやシャープさが感じられず、かといっていわゆるフィリップス調でもなく、悪くはないけど特徴の乏しい平凡な音になってしまっている。ワタシが持っているCDは原解説が裏面に掲載された紙ジャケット盤で、24bitデジタル・マスタリング方式というものが使われています。ライナーノートではそのテクノロジーを自慢げに解説してあったりするものの、ようするに元の録音を手掛けたのがコザートだろうがシュトラウスやネグリだろうが、当シリーズどのCDも新規機材を使って同じ手順で機械的にリマスターされているわけ。
一方のジャニス盤は、曲想に合った豪放磊落な演奏はリヒテル盤と同傾向ですが、それに加えて「これぞマーキュリー!」なダイナミック・サウンドを楽しめます。コザート本人が当時の機材まで引っぱり出し、オリジナル3トラック・マスターとデジタル化したマスターとを比較調整しながら入念に復刻したという純正マーキュリー印のCD、それがいかに特別な存在かということをまざまざと実証しているかのよう。それらはわりと最近まで「日本盤」の製作が認められていなかったことも、その品質管理の一環だったとしか考えられません。
ほかにもこのような〔元の録音に関わった本人が手がけるCD化〕の優位性が話題になるのはコロンビアのジョン・マックルーアによるワルターのステレオ録音や、ジャズですがルディ・ヴァン・ゲルダーによるブルーノートの一連の録音などが挙げられます。また本人でなくとも丁寧にリマスターされたCDとしてはビクターのXRCDなどがありますね。最近はSHMだのHQだのBLU-SPECだのといった新素材CDがSACDに代わる(?)新たな市場になりつつあるようですけど、やはり元の録音やCD化の際のリマスタリングがしっかりしているかどうかが重要であって、それがおざなりだと盤の素材を変えたところで焼け石に水、ではないでしょうかね。
2009年6月4日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記