An die Musik 短期集中連載 「名盤の探求」
文:青木三十郎さん
■ インデックス
10.
「「名盤の探求」に寄せて」(文:ゆきのじょうさん 2009年6月11日掲載) 9.
最終回「悪例 ライヴ録音/限定された事例に基づくとりあえずの結論」(2009年6月8日掲載) 8.
「例6 コンパクト・ディスク」(2009年6月7日掲載)
7.
「例5 日本制作」(2009年6月6日掲載)
6.
「例4 量産」(2009年6月5日掲載)
5.
「例3 音質」(2009年6月4日掲載)
4.
「例2’ ジャケット」(2009年6月3日掲載)
3.
「例2 装丁」(2009年6月2日掲載)
2.
「例1’ ボックスセット」(2009年6月1日掲載)
1.
「例1 選曲」(2009年5月31日掲載)
■ 〔名盤〕とはなにか?
「古き佳き時代」というコトバがあります。社会の衛生面や人権に関して世の中は進歩しているのだから「昔はよかった」などと言ってはいけない、とはピアニスト内田光子の弁。その彼女も、芸術的な側面については「進歩も退歩もない」と述べている(*)。そしてクラシック音楽のディスクに限れば、いわゆる〔名盤〕は圧倒的に昔のもの(≒アナログ盤)ばかりである! やはり「昔はよかった」のか?
「大巨匠がいなくなり、演奏家が小粒になったから」「テクニックは向上したが、個性や情熱が薄まったから」。演奏面に関してはたしかにそうかもしれません。しかし名盤を論じる以上は「盤」、すなわちパッケージソフトとしてトータル的にとらえるべきだと思うわけです。するとやはり進歩どころか退化しつつあるようで、どうしても昔のアナログ盤が優勢に見えてしまう。
たとえレコード会社の一社員の立場であっても高い志を持った人たちが、今より余裕のあった制作環境のもとで手間と時間と予算をかけて丁寧に作った数々の〔作品〕たち。その魅力はCD化されても消えるものではなく、永遠の輝きを手に入れているかのようです。そういった世界音楽遺産ともいうべきディスクにめぐりあえることは、この趣味の大きな醍醐味。
とはいえアナログレコードそのものを追求するほどマニアックになりきれない今のワタシの望みは、その魅力をできるだけ壊さないようにCD復刻してほしい、という点に尽きます。もちろん新録音のCDもかつてのように丁寧に収録・制作してもらいたいことは、いうまでもありません。ネット配信という「パッケージ化されない形態」で音楽が売買されはじめているこの時代、趣味のものとしての価値をもっと考えた商品企画をしていかないと、音楽・映像ソフトの明るい将来展望は遠のくばかり。
しかし世間で〔名盤〕が語られる場合、そういう側面はあまり重視されない傾向があって、どうも歯がゆいというかもどかしいというか。いくら理想的なる名演奏であっても、たとえば安っぽい手抜きジャケットだったり、本編に関係ないヘンな別音源が組み合わされていたり、リマスターが劣悪で不自然な音に加工されていたり…というようなディスクを安易に〔名盤〕と呼ぶことには大いに抵抗があります。そういうことを含め、今昔を比較することによってさまざまな側面から〔名盤〕の条件を考えていこう、というのが今回の事例紹介の意図です。伊東さんらが昨年末より提起されていた「懐古趣味」の問題を考えているうちに、どんどん拡がって収拾がつかなくなりました。
食事でいえばソコソコの味でも大量かつ安価に食べられるのがある種のシアワセだった日々は去り、いまや量よりも質、一食一食をたいせつに…という年齢になりつつありまして、音楽を聴くのも同じことですね。
(*)『グラモフォン・ジャパン』1999年12月号,新潮社,p.15
(2009年5月31日〜6月8日、An die MusikクラシックCD試聴記)