「名盤の探求」
例2’ ジャケット
文:青木三十郎さん
[CD1] [CD2] [CD3] [CD1]シューベルト(ワインガルトナー編):交響曲第7番 ホ長調 D.729
[CD2]ワーグナー:交響曲 ハ長調
[CD3]デュカス:「魔法使いの弟子」ほか
ハインツ・レーグナー指揮ベルリン放送管弦楽団
録音:1977年3月(1,3),4&10月(1),1978年10〜11月(2) キリスト教会、ベルリン
ドイツ・シャルプラッテン (国内盤CD:徳間ジャパン TKCC70668(1),15038(2),70669(3))装丁といえば、〔ジャケ買い〕という楽しくも愚かな(?)行為があったり、ジャケット・デザインがテーマの本がいろいろあることからもわかるように、アルバム・ジャケットはきわめて重要な存在。これに関してはLPがCDよりも圧倒的に優位なのは当然で、面積が1/4に縮んでしまったうえ味気ないプラスチック・ケースに収納されてしまうCDでは、LPのように気合いを入れてデザインしろというほうが無理な注文というもの。しかもクラシック音楽のジャケットは風景画や風景写真、あるいは演奏家のポートレートや演奏場面の写真に曲名を書き入れるだけでもそれなりに格好がつくせいか、〔名作〕といえるほどのジャケットの比率はロックやジャズよりも少ないのが現実。
そんななかでワタシが独特の魅力を感じるのは、ドイツ・シャルプラッテンのLPです。好例としてレーグナーのアルバムを三枚並べてみましたが、いずれも半分以上が真っ黒で、大胆にトリミングされた写真を細長くレイアウト。ドイツ語のタイポグラフィは極端に小さく、渋い色調と空間を生かした独特のデザイン。こういうセンスは大好きですね。大映時代の市川崑監督作品のタイトル映像を思わせます。
これらは当時の販売元の徳間音工社によるデザインだったのでしょうか。エテルナのLPやCDは違うジャケットのようですし、ベルリン・クラシックスやキングレコードで復刻されたCDもまったく別の装丁になっている。キング社のハイパー・リマスタリング・シリーズは音質が改善されているそうですけど、あんなジャケットでは1800円も出して買い替える気にはならない。元のデザインの紙ジャケCDでも出れば、たとえ2500円でも全買いしてしまうでしょう。愚かですねぇ。それより中古LPを探せよ、という話なんですけど。
上記三枚のうち(3)は独特のスケール感を持つユニークな演奏と録音でオーケストラ小品を楽しめる名盤ですが、(1)と(2)は曲がどうにも退屈なので、ジャケットが平凡だったら単なる〔珍盤〕になってしまうかも。
【参考:紙ジャケットCD】
紙ジャケCDについては魅力と問題とがいろいろあって、賛否両論もまたさまざま。CDなのにわざわざ元のLPに似せた体裁にする…これこそ〔懐古趣味〕のきわみかも。しかしLPジャケットにはない新たな魅力も附加されるため、単なるアナクロニズムだけでは片づけられません。その魅力とはなにか?
「精巧に再現されたミニチュア」という側面です。これに関してはロック系の紙ジャケCDの世界において顕著で、ジャケットがA式かE式かをはじめ、封入されたスリーヴや国内盤のオビ、各種特典類に至るまで、CDサイズでどこまでLPに忠実に復刻しているかを果てしなく追及するという風潮がありまして、いやはやすさまじいもんです。音楽の中身は同じでも再現度の高い紙ジャケ盤が出るたびに買い直したりするのもアタリマエ。
レンタルCDのコピーやデータ配信のダウンロードなどで音さえあればいい、というヒトには理解不可能な世界でしょうが、一方でわが国には盆栽や箱庭、根付やフィギュア、光学合成処理よりもミニチュアワークを重視する特撮映画など、独自の〔ミニチュア文化〕とでもいうべきものの長い歴史がありまして、紙ジャケCDもその延長上に位置づけられるものだと思われます。たまに入ってくる輸入盤紙ジャケのズサンな造形を見るにつけ、こういう付加価値はいかにも日本人好み(さらにいえば「元・男の子」好み)なんだな…と。
そして重要なことは、もとのアナログ盤に対する自分の愛着や世評の名盤度が高いほど、ペーパースリーヴ化されたCDジャケットの魅力も増す、という現象。プラケース盤のほうが急に色あせて見えてくるほどで、やはり名盤にはそれにふさわしい体裁というものがあるということなんでしょうか。
2009年6月3日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記