「名盤の探求」

「名盤の探求」に寄せて

文:ゆきのじょうさん

ホームページ WHAT'S NEW? 「名盤の探求」インデックスに戻る


 

 このたびの青木さんが書かれた「名盤の探求」や、その元となった伊東さんの「懐古趣味」を今一度読み考えてみると、これは何もクラシック音楽に限らない現象なのではないかという恐ろしい(?)仮説になってしまいました。

 例えばテレビです。一昔はそれこそ「熱狂」する番組がありました。翌日は学校や職場で、その番組の話題でもちきりになったものです。最近はそういう番組がありませんし、しかも、とんとテレビを見なくなりました。ドラマはちゃちな作りが目に付きます。バラエティも予定調和的であり、ドキュメンタリーでも見え透いた演出が耐えられません。これは私が年取ったらなのか、あるいは変な意味で妙に知識がついてしまったからなのか、と思っていましたが、どうもテレビという媒体に力がなくなっているのは共通の認識のようでして昨今の不況がとどめを刺しているようです。

 例えば映画です。特撮(いまはSFXですね)技術は向上し、不可能と可能とするくらいの映像技術があります。しかし予告編をみるだけで映画館に行く気がでるのは本当にわずかです。「あの映画すごいぜ、絶対見にいかなきゃ損だよ」というような私の周囲では話題にでません。「おくりびと」が社会現象になったのは賞を取ったからであって、最初から映画そのもので人々が熱狂したわけではないことは自明です。場内が暗転する、あるいは予告編が一通り終わって映画会社のロゴが出たときのワクワク感を、この何年間かで味わったことは数えるほどしかないと思います。なんというか、レンタルDVDを家庭で見ているときとの違いを感じられないのです。

 事は映像芸術に限りません。先頃、阿修羅展が大きな話題になったようです。これほどの訴求力を持つ美術が昨今生まれているのかどうか・・・私は専門ではないので見落としているのかもしれませんが。

 さらに文学芸術でも最近村上春樹が騒がれているのを希有な例として、それ以外には静かなものです。私は件の村上作品を読む予定はないのですが、それでは最近発表された本で、むさぼるように読んだのは何であったかを思い出すとこれが数えるほどしかないのです。

 そしてマンガです。確かに「のだめ」は出色の一品でした。しかし一頃のように少年漫画雑誌も部数は売れていないようですし、最近もマンガ家の待遇を巡る話題があったくらいで、マンガ業界も順風とは言えないようです。

 それではロック・ポップスのコンサートだけが盛り上がっているのでしょうか? これについては、私には芸術としての熱狂とは一線を画しているのではないかと思うことがあります。いいえ、ロックやポップスが芸術として質が落ちると言いたいわけではありません。ただ、コンサート会場で盛り上がることと、音楽芸術としてCDなどを通して人々が熱狂することとは、クラシックにおけるコンサートとCDとの違いと同等ではないかと感じるのです。そして録音芸術としてのCDやDVDが、クラシックと、クラシック以外とで明確に区分されるほどの熱狂度の違いがあるのかという確信が持てないだけです。

 さてさて、こうやって考えてきてみると、いずれも昔の作品の方が今でも熱狂を誘うのではないでしょうか? テレビにおいては最近TBSで、ある1日で視聴率が高かったのは水戸黄門の再放送であったと言います。男の子であった私は、サンダーバードやシービュー号は今見ても余韻が残ります。映画においても、名画と呼ばれるものはやはり今見てもすばらしいし、それをリメイクされると(わずかな例外を除いて)やはりダメです。美術においては、現代を生きた美術家で私が夢中になったのはワイエスのみですし、文学ではホームズは結末が分かっていても楽しめます。(マンガに関しては好みがかなり偏っているので割愛)・・・いずれもが(個々について異論はあるでしょうが)昔の創り手には「愛情と誇り」に満ちていました。

 つまりはこういうことになります。現在において創り手として愛情と誇りがどうなのか常に自問自答しているのだろうか、音楽にしろ、映像にしろ、文字にしろ、何かを創るという所作で苦しんでいるのだろうか、と。「やっているさ」と答えるでしょうね。「俺も苦しんでいる」と。でもその愛情と誇りはもしや自分自身に向いてはいないのかと再度尋ねたいです。自分可愛さがありませんか、青木さんが引用されたRCO LIVEではそれが見事に出ているではありませんか。

 音楽ファンにこのオーケストラを聴いてもらう

 これには、正直申し上げて吐き気すらでました。壮大な勘違いです。上記の物言いでの「オーケストラを聴いてもらう」とはCDが売れる、コンサートに客が来る、そういうことでもあります。違います、断じて違います。聴いてもらうのは結果です。まず自分たちが何を訴えたいか、何を創り上げたいのか、が、まずありきではないのか。何をはき違えているのか、このマネジャー氏は。私なら即刻クビですね。そして一連のディスクの質は、やはり、こういう姿勢の賜物なのかと合点した次第です。もう手にとることはないでしょうね(>青木さんのせいではありません、念のため)。これはテレビでの視聴率、本やマンガでの部数という構造でも同じでしょう。視聴率を上げるために番組をつくる、ベストセラーにするために本を出版する。生業としているからには、そういう要素もあることは否定しませんが、芸術家としての本分(=愛情と誇り)がそこに欠落すれば、捏造や盗作という自滅が待っているだけになります。

 私はクラシック音楽に限らず、今あげた「芸術」においても「愛情と誇り」を今後も拘っていくでしょう。そしてせめてそれを「いやぁ、これはなかなかいいですよ」と語ることが、私ごときにできることのすべてかな、と思っています。

 乱文失礼しました。

 

2009年6月11日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記