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プライス&カラヤン&ウィーン・フィルの「CHRISTMAS」
- きよしこの夜(グルーバー)
- 天には栄え(メンデルスゾーン)
- われらは3人の王(ホプキンス)
- あら野の果てに(民謡)
- もみの木(民謡)
- ともに喜びすごせ(民謡)
- あめなる神には(ウィリス)
- 高き天から(バッハ)
- おさなごイエス(民謡)
- アヴェ・マリア(シューベルト)
- オ・ホーリー・ナイト(アダン)
- アヴェ・マリア(バッハ、グノー)
- アレルヤ K.165(モーツァルト)
レオンティン・プライス(ソプラノ) ウィーン楽友協会合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー
録音:1961年(ウィーン、ムジークフェラインザール) DECCA(イギリス盤
SXL2294)(LP)
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松田聖子「金色のリボン」
Blue Christmas(1枚目)
- クリスマスソング・メドレー
赤鼻のトナカイ
サンタ・クロースがやってくる ジングルベル
White Christmas
- 恋人がサンタクロース
- Blue Christmas
- ジングルベルも聞こえない
- 星のファンタジー
Seiko ensemble(2枚目)
- 1.小麦色のマーメイド
- 白い貝のブローチ
- HAPPY SUNDAY
- Romance
- 野の花にそよ風 〜サブテーマ「雲」
- 赤いスイートピー
- 水色の朝
- 一千一秒物語
- チェリーブラッサム
- 野ばらのエチュード
松田聖子(歌唱)
録音:1982年(初出1982年12月5日(LP)、2016年11月(SACD))
CBS Sony(国内盤 35AH-1489,1490)(LP)(国内盤SSMS-015)(SACD)
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■ カラヤンとプライスとウィーン・フィルのクリスマス
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クリスマス・アルバムの定番として半世紀前から親しまれ、現在も全く色あせることのない世紀の名盤である。1960年代に絶大な人気のあったレオンティン・プライスが、カラヤンと共演したクリスマス曲集であり、プライスの非常に澄み切った歌声が聴かれ、星の数ほどもあるクリスマス・アルバムの中でも、最高の名盤として誉れ高いものである。当時のカラヤンの音楽センスの良さも同時に感じさせられる。
レオンティン・プライスの声はいわゆるリリコ・スピントであり、クリスマス曲集を歌うには一般的に考えて、多少声質が重いのではないかとも思われる。しかし、かえってその分聴きごたえがあるとも言えるだろう。「おさなごイエス」は無伴奏で歌い、そこから「アヴェ・マリア」「オ・ホーリー・ナイト」と続いている辺りの流れは、尋常ならざる聴いていて震えが来るほどの美しさを感じさせられる。このレコードの本質は気楽に聴けるクリスマスソングではなく、非常に厳粛な宗教性に満ちたアルバムであるのだと考えられるのだ。
イギリスデッカによる優れた録音も、このディスクが大きな魅力を保ち続けている理由の一つであり、他の同様の企画盤をまるで寄せ付けず、今もなお圧倒し続けている。プロデュースと録音は、ジョン・カルショーとゴードン・パリーに依っている。かつ録音会場はウィーン・ムジークフェラインザールである。あまりにも美しく、同時にきわめて荘厳なクリスマス・アルバムなど、世にほとんど存在しないと言えるだろう。ただし、一般的な日本人が求めるクリスマス的な楽しさとかではなく、じっくり一曲一曲をコンサートか教会のミサで聴くような制作方針であったと思われる。カラヤンの指揮する小編成のウイーン・フィルの深くて非常に美しい音色と、プライスの澄み切った歌声がみごとにブレンドしたからであろう。カラヤンの盤歴のなかでも、最高傑作の一つと言えるのではないだろうか。
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■ 松田聖子の「金色のリボン」
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1982年のクリスマスに合わせて発売された、完全限定の2枚組LPであり、事実その後単独での再発売は一切行われていないようで、2016年にSACD盤がようやく出るに至った、非常にレアなアルバムである。私は松田聖子には全く明るくないし、普段はさして興味もない。ただ、世間では幻のアルバムと言われているこの2枚組LPのみが、私の松田聖子のレコード購入歴なのだが、決して意図したものではなく全くの偶然なのである。
では、なぜこの限定発売のアルバムを購入したのだろうか。その事情は、実は自身の大学2年次まで遡るのである。熱狂的な松田聖子ファンであった、当時語学クラスの同級生であったN君が、発売直後の12月6日に早速ダビングしたカセットテープを半ば私に押しつけ、「まぁ、聴いてみろよ」と手渡したのである。そして早い話がこのカセットテープに私は嵌ったわけである。
このアルバムについて細かく論評することは差し控えたい。ただ私にとって本来歌詞のある楽曲は、ジャンルの如何にかかわらずBGMにはなり得ないのである。本格的な音楽専門教育を幼少時から受けた人間の社会生活上の最大の難点は、「BGMを聴いてしまう」ことに尽きるのである。つまり頭がBGMの方に条件反射的に向かってしまい、本来の仕事や勉強が一切手に付かなくなってしまうのである。ところが松田聖子の声に限っては、試験勉強中のBGMとして用いると、なぜか勉強がはかどるのである。理屈ではなく自身の経験則に過ぎないので、理由は今もって不明であるし、何らかの検証してみようとも思わない。ちなみに私の在籍していた大学では、当時は専門教科の学年末試験は1月下旬に実施されていたが、大学2年までの必修科目である語学の学年末試験は、12月の登校最終週と1月最初の登校週に、前もって行われていたのである。
結果から言うと、お蔭で苦手とする英語の学年末考査を含め、語学の全ての試験で、たいへんに守備の良い結果が得られたのである。これ以後、今でも何かストレスを抱え込んだり、仕事で修羅場を迎える直前になると、松田聖子を聴くことがたまにあるのである。なお余談ではあるが、カセットテープを聴いた翌日には、まだ入手可能であった2枚組アルバムを早速購入したのであるが、これが後に松田聖子の最もレアなアルバムになることなど私には知る由もないし、これ以外の松田聖子のディスクは、残念ながら1枚も購入したことがないのである。
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■ クリスマス
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日本における一般的なクリスマスと、正式な宗教儀式としてのクリスマスの関係について、多少思うところを書いておきたい。日本では、一般にクリスマスは「クリスマス商戦」などと言われるように、一つのイベントに過ぎないであろう。完全に宗教から切り離された、年の瀬の慣習行事に過ぎないと思われるし、日本ではそのような形態がすでに確立しているとも言えるだろう。
しかし、日本にも一定数のキリスト教信者が在住しており、キリスト教会が設置した学校も、日本中に多数存在している。私はそのなかの一つで、どちらかと言えば宗教的な色彩の強い宗教法人が設置したカトリックミッションスクールに通学していた。理事長先生も校長先生も外国人神父様であるという学校に通学していたのである。この学校では、学校行事としてのクリスマスは一切実施されないが、設置者が主宰するクリスマスは、生徒にとっては「任意参加行事」として実施されていたのである。つまり、憲法で禁じた「宗教教育」に該当すると学校はみなしており、あくまでも任意参加行事として毎年実施していたのである。この学校におけるクリスマスは、非常に厳かな宗教行事であったことは言うまでもないであろう。そんな環境で私は育ったのである。
その一方で、私は現在縁あって私立学校に勤務しているのだが、非宗教系の学校でありながら、中学校も設置していることもあってか、校内にクリスマスツリーが飾られることもあるのだ。もちろん、全くの社会慣習の一つとして飾っており、そこに宗教性は微塵も感じられないし、学内にキリスト教的な雰囲気も凡そ存在しないのだが、それでもなお、私自身は今もってある種の抵抗を感じてしまうのである。ところが、学校の所在する町内会の秋のお祭りに、生徒の希望者が参加して神輿を担ぐことには、あまり抵抗を感じないのである。素直に、地元との地域交流の一つであると思えるのである。
面倒な御託をこれ以上延々と述べるつもりはないが、私が松田聖子のアルバムを手にしたのがたまたま1982年12月6日であったことも、私にとって複数の運命づけがなされたとも言えるだろう。キリスト教に縁のある方なら、12月6日の方が聖夜よりも重要な位置づけの日であることは、十分ご存じであろうと思う。要するに私にとってこの2枚のアルバムが、並列して大事なクリスマス曲集であることこそが、この試聴記の最大かつ唯一の本旨なのである。
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(2016年12月24日記す)
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