音を学び楽しむ、わが生涯より
文:松本武巳さん
■ 「音を学び楽しむ、わが生涯より」
■ 指揮者「ラファエル・クーベリック」のページ
インデックス(最終更新 2023年9月17日)
■ ピアニスト「アルフレッド・ブレンデル」のページ
アルフレッド・ブレンデル ―誤解を受け続けているロマンティスト―
《真のブレンデルの魅力を探るディスクの紹介》
2004年8月2日開始-2009年1月13日連載終了■ ピアニスト「サンソン・フランソワ」のページ
4.
前奏曲集第2巻(第11曲を除く)を聴く(2009年9月1日)
3.
前奏曲集第1巻−第7曲〜第12曲−を聴く(除く第8曲)(2008年8月13日)
2.
前奏曲集第1巻−第1曲〜第6曲−を聴く(2008年5月11日)
1.
前奏曲集第1巻を聴く(総論)(2008年4月22日)
0.
インデックス(2008年4月22日)
■ ヴァイオリニスト「庄司紗矢香」を応援するページ
4. 「庄司紗矢香のチャイコフスキー&メンデルスゾーンを聴く」(2007年3月30日)
3. 「庄司紗矢香のデビュー盤を聴く」(2007年3月29日)
2. 「庄司紗矢香のプロコフィエフとショスタコーヴィチを聴く」(2007年3月28日)
1. 「庄司紗矢香《Live at The Louvre》を聴く」(2007年3月27日)
■ はじめに
このたび伊東さんから、私の書き散らしたものをまとめて、新たなコーナーを作りたいので、「タイトル」を考え、挨拶文を書くようにとのお話を、賜りました。とてもありがたいお話ではあるものの、すでにゆきのじょうさんが、2008年1月から「わが生活と音楽より」という、たいへん高尚なタイトルのもと、多くの名文を発表されておられることもあり、まずタイトルをどうするかで、たいへんな産みの苦しみを味わう羽目になりました。しかしこれ以上、入り口で立ち止まり続けるのも如何なものかと考え、結局、二番煎じではあるものの、「音を学び楽しむ、わが生涯より」とさせていただくことに決定しました。
一般に、「音学」ではなく「音楽」なのだから、楽しまなければならない。このように良く言われます。私もその通りであると思います。しかし、これも実はやや極論ではありますが、そもそも音を楽しむための基本的知識があるし、また絶対に必要であるとも思うのです。要するに、音楽は「音の学問」ではないことは確かなものの、「音楽を楽しむために学ぶ」ことは、絶対に必要であると考えています。つまり「学」の意味も、複数あるように思えるのです。
私は、An die Musikの執筆陣の中では多分ただ一人、「音楽での定期的収入を得ている」人物であると思われます。しかし、音楽での収入は全体の一部に過ぎませんし、そもそも私は、個人としてはあくまでアマチュアだと思っています。一方で現在、高等学校で正規の音楽の授業を担当している(担当する資格がある)のも、事実です。
ここで、個人的な前半生について、書かせていただく必要があると考えますので、多少お話させていただければと存じます。私は、ものごころが付く以前から、音楽の英才教育を受けた最初の世代に属すると思われます。しかも、英才教育を開始したのは、現在でも極めて早期であるわずか2歳(正式開始は3歳1ヶ月=受入年齢制限未満だったため)のときでした。ただ、当時、男性でそのような幼少時を過ごした経験者は、ほとんど絶無に近いと思います。この幼少時の経験は、私にとって、プラスでもあり同時にマイナスでもありました。
最大のプラス面は、強制的な学習動機を与えられた結果、無条件反射的に音楽を捉えることが出来る能力を付与されたことだと思います。一方で、最大のマイナス面は、レッスン等のために、小学校高学年になるまで、男の友達が一人もいない孤独な少年生活を過ごすはめになり、いわゆる男の子が普通したであろう「遊び」の方法すら知らないことに尽きるでしょう。幼稚園を早退して親に連れられレッスンに向かい、音楽を勉強している仲間には、男の子は誰もおりませんでしたし、そもそも最年少でしたので、一緒に学ぶ女の子も全員が年上でした。
この子どもの頃の生活が、このコーナーのタイトル名に影響を与えていると考え、あえてお話した次第です。さて、そんな私ですが、家庭の事情等で、22歳でピアノ演奏の筆を折る事態になりました。演奏の世界に復帰を果たしたのは、実に46歳になってからでした。さて、22歳からは聴き手専業になったわけですが、その際に直面したのは、22歳までにそれなりに幅広く、音楽を学んできたはずの自分の知識が、余りにも少ないことでした。つまり、演奏するために必要な技術や知識や語学は、それなりに習得していたものの、楽しんで聴く場合に必要な知識として捉えた場合、余りにも知識の絶対量の少なさに愕然としたわけです。そこで、22歳からは貪るように音楽誌を読み、音楽評論の書物を読み漁りました。
つまり、22歳までに得た技術、知識、語学には、楽譜を正確に読む方法論や、音楽史の本質的な内容や、作曲理論の理論的側面等の、聴き手専業の場合にはそんなに重視されない側面であり、22歳以後に得た知識は、名演奏家の録音記録や、著名な音楽評論家の体系だった評論や、コンサートホールの歴史や評判、オーケストラの歴史等の知識でした。ただ、その際に、私が得をしたと感じるのは、プロになるための教育の根幹に、楽譜を読んだり、理論を学ぶ基礎としての語学力であることでした。この語学力は、リスナーになった後にも、知識を得る必要がある際に、翻訳の有無が大して重要では無いという形で、私に有効に還元されました。私の先生の方針で、男の子が音楽英才教育を受けること自体は賛成だったのですが、音楽以外にも幅広く通用するようにと、ごく初期からソルフェージュ等を、ドイツ語で教授されたことが、今思えばどれだけ得をしたであろうかと痛感します。ヨーロッパ言語の根本的な部分を徹底的に鍛えられたせいでしょうか、辞書さえあれば、ほとんどのヨーロッパ言語は、何とか凡その理解が可能です。このことが、幼少時にドイツ語で音楽理論を授けてくださった先生に対して、今も大恩を感じている理由です。
強制的に幼少時に学んだことが、その後の楽しむための音楽人生にも大きなプラスをもたらしてくれた、私のそんな貴重な体験を通じて、音楽を楽しもうと考える仲間に、専門用語抜きで伝えたい内容を記すことが多少なりとも可能になっているとすれば、加えて、私の考える「音を学び、そして音を楽しむ」私の生涯に大きな寄与をしてくれているとしたら、私の世代には珍しかったであろう過去の英才教育の経験は、今も生きているであろうと思うのです。
(2009年10月18日記す)
■ 「音を学び楽しむ、わが生涯より」前史
「あなたもCD試聴記を書いてみませんか」から2009年11月1日に移転させました。
20.
「アンドレイ・ガヴリーロフ‐名盤紹介+@」(2009年10月8日)
19.
「リヒャルト・シュトラウス「ヨゼフの伝説」を聴く(見る)」(2009年10月5日)
18.
「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第0番をもう少し聴く」(2009年10月4日)
17.
「カラヤン、アンダ、シュターツカペレ・ドレスデンによるザルツブルクライヴを聴く」(2009年9月23日 シュターツカペレ・ドレスデンのページに掲載)
16.
「いろいろな「皇帝」協奏曲の演奏を聴き比べる‐標題音楽の難しさ‐」(2009年9月19日)
15.
「ヤナーチェク作曲「1905年10月1日、街頭にて」を聴く」(2009年8月29日)
14.
「ヤナーチェクのオペラ『ブロウチェク氏の旅行』を紹介する」(2009年8月6日)
13.
「バッハ《ゴルトベルク変奏曲》をひたすらピアノ演奏で聴く」(2009年5月23日)
12.
「トゥーランガリーラ交響曲を聴く」(2008年10月20日)
11.
「3大レクィエムを聴く」(2008年6月20日)
10.
「シベリウスの音楽が持つ官能性を上手く引き出したカペレの伴奏」(2008年6月1日 シュターツカペレ・ドレスデンのページに掲載)
9.
「ベートーヴェン《ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲ハ長調Op.56》聴き比べ」(2008年4月20日)
8.
「デュトワの名盤「オネゲル交響曲全集」を聴く」(2008年4月16日)
7.
「カペレ唯一の「わが祖国」を聴く」(2007年7月17日 シュターツカペレ・ドレスデンのページに掲載)
6.
「2人の同世代日本人女性による《ショパンのバラード全集》聴き比べ」(2007年4月3日)
5.
「スメタナの『わが祖国』《ピアノ連弾版》を聴く」(2005年8月1日)
4.
「エッシェンバッハ−苦悩からの開放を求めて− 31年の時を経ても何一つ変わらぬ苦悩」(2005年5月21日、コンサート見聞録)
3.
「ポリーニの「ワルトシュタインソナタ考」」(2004年12月23日)
2.
「ケンペのグラゴル・ミサ(ヤナーチェク)を聴く」(2003年5月18日)
1.
「クレンペラー指揮の<ペトルーシュカ>を聴く」(2003年1月20日)
An die MusikクラシックCD試聴記