シューベルトの名作「An die Musik」を、少しだけ聴き比べてみる

文:松本武巳さん

ホームページ What's New? 旧What's New?
「音を学び楽しむ、わが生涯より」インデックスページ


 

CDジャケット An die Musik 譜面 
 

(フィッシャー=ディースカウの記念盤、An die Musikの自筆楽譜)

シューベルト
An die Musik D.547(楽に寄す、音楽に寄せて)

《男声》

  • ハンス・ホッター(1909-2003,ドイツ)
  • ジェラール・スゼー(1918-2004,フランス)
  • ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012,ドイツ)
  • ヘルマン・プライ(1929-1998,ドイツ)
  • フリッツ・ヴンダーリヒ(1930-1966,ドイツ)
  • イアン・ボストリッジ(1964-  ,イギリス)
  • ブリン・ターフェル(1965-  ,イギリス)
  • マティアス・ゲルネ(1967-  ,ドイツ)

《女声》

  • キャスリーン・フェリアー(1912-1953,イギリス)
  • エリザベート・シュヴァルツコップ(1915-2006,ドイツ)
  • クリスタ・ルートヴィヒ(1928-  ,ドイツ)
  • エリー・アメリング(1933-  ,オランダ)
  • ブリギッテ・ファスベンダー(1939-  ,ドイツ)
  • フェリシティ・ロット(1947-  ,イギリス)
  • アンドレア・ロスト(1962-  ,ハンガリー)

(個々の録音データ及びディスク番号は割愛) 

 

■ まずは伊東さんの文章から

 

 このページのタイトルはご存知のとおり、この曲から取っている。"An die Musik"は、シューベルトの大変有名な歌曲である。色恋を歌った曲ではない。題名からも類推できるかもしれないが、音楽に対する感謝の気持ちを歌った曲である。わずか3分ばかりの短い曲でありながら、音楽にぬくもりが感じられ、聴く人の心を温めてくれる。
 シューベルトはどんなに出来の悪い歌詞に対しても最高の音楽をつけてしまう驚くべき才能を持っていたといわれるが、この歌詞は悪くない。音楽を聴いて慰められた人は多い。何でもない音楽が、人が生きるよりどころになったりする。このSchoberの歌詞はそんな音楽の一面をよく表現していると思う。シューベルトの音楽は慰めと感謝に満ちあふれ、聴き手の心をとらえて放さない。

(伊東さんの「An die Musikを聴く」から、冒頭の2段落を抜粋)

 

■ 星の数ほども存在するであろう録音から

 

 シューベルトの名作「An die Musik」は、そもそも演奏時間が3分程度と非常に短いこともあり、まさにコンサートの冒頭やアンコールで数多く演奏を耳にした機会が誰しもあるだろう。ここで聴き比べる15名の歌手は、全員が正規音源または映像が存在し、かつYouTubeに少なくとも1種類の音源又は動画が掲載されている歌手ばかりである。そのため、仮にディスクを持ち合わせていなくても、この聴き比べには誰でも簡単に参加できるのである。
 なお、私が聴きたい歌手自体は割合簡単に決めることができたのだが、肝心のディスクを探すのは、想像以上に困難な作業であった。なにぶん、たった3分の楽曲であるため、オリジナル盤、リサイタル盤、編集企画盤等々、肝心の音源がいったいどこに潜んでいるか、なかなか記憶を頼ってもきちんと浮かんでこず、結構ディスク探しに辟易としたのである。大前提として、以上のことを書いておきたい。
 また、実際に聴いた音源は、途中で聴くのを止めたものを含めると優に50種類以上に及ぶのだが、執筆意欲を嵩じさせるような音源は意外なほど数少なく、結果として15種類の音源や映像を取り上げて、聴き比べてみることにした。 

 

■ 男声陣8名の聴き比べ

 

ホッター 

 客観的に優秀な演奏であることは吝かではないのだが、少々歌い振りが丁寧過ぎるようにも感じられ、残念ながら感動するまでには至らなかった。ただし、丁寧に慈しむような歌い振りは見事であるし、曲や詩に対する愛情も十分に感じさせるところが、さすがは往年の名歌手だと感心させられた。

スゼー 

  きわめてロマンティックな演奏であり、かつ全体を通して非常に清潔な雰囲気が漂っているのだ。もしかしたら、聴き手が通常この曲に対して一般的に期待する歌い振りに最も近い演奏なのかも知れない。発声も想像以上に明瞭であり、スゼーのドイツ歌曲に対する適性を感じさせてくれる名演奏である。

フィッシャー=ディースカウ 

 けっこう速めの演奏である。聴いていて面白みはないものの、音に対しても詩に対しても表情付けが非常に豊かであることは、特記したいと思う。また全体的な見通しがとても良く、歌い手自身の余力と自信を感じさせる。まさにリートの王者たる風格と余裕を感じさせる演奏である。

プライ 

 意外にもドイツ語の発音自体がやや不明瞭で、音楽の表情付けも若干曖昧である。演奏は全体的に早めのテンポで押し通しているのだが、彼の本領発揮には至っていないやや残念な録音であると言わざるを得ない。期待が大きかった分、はぐらかされた感が強い。

ヴンダーリヒ 

 死の直前のラストコンサートのアンコールで歌った録音が残されている。人生最後の歌唱がこの曲であったのだ。しかも、歌う前に楽曲紹介だけでなく「これが最後のアンコール曲です」と話して聴衆を笑わせてから歌った、そんな客席との微笑ましいやり取りもそのまま録音に残されている。美しい、本当にどこまでも美しい。テンポは速めで、きわめて明瞭な歌い回しである。スタジオ録音も方向性は同じだが、もう少し堅実な響きである。それにしてもドイツ語の発音が、会話のようにきわめて聴き取りやすく明確である、そんな稀有な歌手であった。

ボストリッジ

 非常に細かい部分にまで、緻密な配慮が行き届いたきめ細かな演奏。かつ全体的に中庸のテンポを堅実に維持し、十分に余力を残しつつ美声を聴かせるので、特にホールで実演奏を聴いたとしたら、とても感動するかも知れないと思う。ただしスケールはやや小さいが、そのことが決して欠点にはなっていない。

ターフェル 

 想像以上にリートの本流に合わせた慎重な歌唱である。ただし、テンポ感はきわめて優秀で、事前の期待感とは異なる方向で感心させられた。発音も思ったよりも詩を大事にした、明確な方向性を維持していて、優れた録音の一つであると言えるだろう。スケールの大きい演奏でもある。

ゲルネ

 美声かつ表情豊かで、それでいて十分な余裕も感じさせる優れた演奏である。この歌手の欠点は、鼻息が録音でも聴き取れることぐらいだろうか。ブレスがやや特殊で、これが気になる人がいてもおかしくはない。スケールはやや小さい。さすがは現代を代表するリート歌手であると言えるだろう。 

 

■ 女声陣7名の聴き比べ

 

フェリアー

 全体を通して非常に遅めに歌い上げている。一つ一つ確認しつつ前に進むようなとても慎重な歌唱である。しかし非常に丁寧な歌唱であり、あまり感動はしないもののとても感心する歌い振りで、何度も繰り返して聴くのに適している録音と言えるだろう。

シュヴァルツコップ 

 聴いていて、意外なほど余裕がなく、声もやや硬いことが気になった。テンポはかなり遅めである。ただし、エドウィン・フィッシャーとの古い共演盤の方が、全体の流れが良く歌唱も優れているので、不調な時期の録音であったのかも知れない。

ルートヴィヒ 

 とても意外なことに、いわゆる「豪傑」「女傑」を感じさせる押し出しの強い演奏である。もちろん音楽の流れはとても良く、歌い手の余裕も十分に感じられる。演奏の方向性が稀有であるためか、一聴してルートヴィヒだと分かる強みがあると言えるだろう。事前の予想は外れたものの、優秀な演奏であること自体は間違いない。

アメリング 

 男声のボストリッジと似た方向性の演奏志向だと考えて良いだろう。ただほんの少しではあるが、余裕が足りないようにも見受けられたのが残念なのと、発声が気のせいかもしれないが、やや違和感を感じるところがあることが、少しだけ気になった。

ファスベンダー

 実はこの演奏が、私にとって結構お気に入りなのである。いかにもドイツ歌曲であることを聴き手に実感させてくれる、そんな堅実な演奏でもある。ドイツ人らしく、テンポはやや速めであるが、表情付けは決して平板ではない。スケールはやや小さいが、特に気にはならない。

ロット

 ゆったりと全体を歌い通している。ほれぼれするような美声である。発音はとても明瞭だが、一方で表情付けはやや平板であると言えるだろう。ただし透き通った彼女の声には、いつもながらうっとりさせられる。声そのものの魅力を聴くには、最も適した録音であると言えるだろう。

ロスト

 2011年ブダペストでのライヴ映像である。なによりもゾルタン・コチシュのピアノ伴奏が聴きものである。テンポ感が抜群で、伴奏の域を遥かに超越している。一方歌手のロストは、きわめて素直に曲を歌い進めているのだが、彼女の美声もほれぼれするくらい素敵な声で、とても聴き映えのする歌い方でもあり、たいへん筋の良い優れた演奏であると思う。 

 

■ ドイツ語を母言語とするか否かの違い

 

 ドイツ語を母言語とする歌手の方が、基本的にやや早めのテンポを取っていることが多いと言える。ドイツ語を母語とする歌手は2分30秒前後で歌い終える場合が多い一方で、他言語を母語とする歌手は、3分近い辺りに平均値があるように思われる。短い楽曲である分、演奏時間としてはわずかの差ではあるものの、この差は明瞭な差でもあるように思えるのだが、単に実測値としての意味合いを超えて、この名曲への解釈まで影響を与えているのかどうかは、残念ながら分からない。 

 

■ 男声と女声の違い

 

 一般的に言われる男女の性質や方向性とは異なり、どちらかと言うとこの曲の場合に限っては、男声の歌手の方がやや主情的であり、女声の歌手の方がやや主知的な演奏が多いように思えるのは、何か理由があるのだろうか。この曲への思い入れが、どうしても男声陣の方が強いように思えてならないのだ。やや不思議な傾向であると言えるだろう。 

 

■ 名作の名作たる所以

 

 とにかく、この名曲はポップス並みのとても短い曲でもあり、多くの音源を簡単に誰でも比較試聴できる曲でもあるので、ぜひある程度まとめて聴き比べてみることを読み手に広くお勧めしたいと思う。私自身も、たいへん気楽に聴き比べたつもりであるし、いつも以上に単なる感想の域を出ない内容でもある。名作を誰でも簡単に比較できるようなケースは、クラシックの場合だと結構珍しい稀有な事例であると思うのである。そこにこそ、An die Musikの素晴らしさがあると言えるだろう。 

 

(2016年12月7日記す)

 

2016年12月7日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記