アシュケナージ「ソヴィエト亡命前夜の演奏会ライヴ」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット
CDジャケット

ベートーヴェン
ピアノソナタ第18番作品31−3
ショパン
4つのバラード(全曲)
ドビュッシー
喜びの島
途絶えたセレナード
月の光
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音:1963年6月9日、モスクワ音楽院(亡命前夜、最後の演奏会ライヴ)
Russian Disc (アメリカ盤 RC CD 11 208) 

 

■ アシュケナージがソ連を亡命する前夜のリサイタル

 

 アシュケナージは1937年旧ソ連のゴーリキーに生まれた。父がユダヤ系であるが、母は非ユダヤ系の家系である。1955年のショパン・コンクールで第2位、1962年にはチャイコフスキー・コンクールで第1位を得たものの、いわゆる反体制派と目されており、海外公演の際には常に護衛ではなく厳重な見張りが付きまとい、ソ連国内でも常に監視されるような緊迫感のある生活を、当時は送っていたのである。

 そんな境遇にあったアシュケナージは、妻がたまたまアイスランド人であったこともあって、ついに1963年6月に至ってソ連からの亡命を決意し、決行前夜の6月9日に、ソ連で最後のリサイタルをモスクワ音楽院で行ったのである。ここで取り上げ紹介するディスクは、なんと当日のリサイタルのライヴ録音なのである。1990年代末にアメリカから発売されて、当時は結構大きな話題を呼んだものの、発売された期間が限られていたこともあって、現在では幻のディスクと化しつつある。

 

■ ほとんど信じがたいほどの凝縮された緊張感の連続

 とにかく、ディスクから聴き手の誰もが感じ取れる緊張感が半端ではないのだ。アシュケナージと彼の家族への政府の監視体制はますます強められ、もしも亡命計画が事前に官憲に知られたりしたら、そのときは即刻捕らえられてシベリアの強制労働所送りになってしまったであろう。そのような緊迫した情勢下で、この運命のリサイタルが開催されたのである。

 当日の抑圧された強い緊張感と目前に迫った自由への出口が、たぶん今回が最後になるであろうモスクワでのリサイタルに於いて、アシュケナージの錯綜した思いが恐るべき緊張感を伴いつつ、ピアノという楽器の音を通じて余すことなく紡ぎだされ、まるでアシュケナージの心の叫び声が始終あちこちから聞こえてくるような、そんな記念碑的リサイタルを記録したディスクとなったのである。これぞ滅多にない貴重かつ稀有な録音記録であると言えるだろう。良くぞこのような記録が、アシュケナージの亡命後もソ連に残されていたものである。

 

■ 古びたピアノから叩き出される異様なほどに強い打鍵

 

 アシュケナージの心の叫びは、通常よりもはるかに強い打鍵からも聴きとることが可能である。いつものどちらかというと、美音で優しく語りかけるアシュケナージは、ここでは一切姿を見せないのである。その代わりに、彼の悲痛なまでの心の叫びを、ピアノの鍵盤を通した楽曲演奏に向けることによって、ただ単に打鍵が強いとか鋭いとかにとどまらない、鋭利な刃物のような鋭さに満ち満ちたピアノ演奏が、冒頭からリサイタルの最後まで間断なく繰り広げられたのである。

 

■ ベートーヴェンのソナタ第18番

 

 リズムの刻み方や楽曲の進行が、全楽章を通して非常にシャープであることにまずは気づくであろう。そして、ピンと張り詰めた強い緊張感から紡ぎだされる、腹の底から絞り出すようなアシュケナージの強打鍵が、聴く者全員に当夜の異様なほど張り詰めた緊張感を、容易に悟らせてくれるのである。

 通常、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番は、ベートーヴェンのソナタの中では比較的モーツァルト的なところが感じられるソナタであるとも言われるのだが、ここでのアシュケナージは、ほとんどまるでショスタコーヴィチのピアノ曲を弾くかのように、強い推進力に満ちたきわめて尖った演奏を繰り広げており、コンサート最初の曲から会場は異様な緊張感に包まれるのである。

 

■ ショパンの4つのバラード

 

 この激しい4曲のバラード演奏が、あのアシュケナージの演奏だとは、仮に知らされずに聴いたならばとても信じられないほど、演奏者の激しい気迫に満ちた、それでいて造形の破綻が一切ない、恐るべき完成度の高いバラード全曲演奏である。この演奏を前にすると、かつてのどんな名盤も、そして後世のあらゆる名演奏も、評価が消し飛ぶくらいに凄まじい演奏なのである。もちろんライヴ収録ではあるが、これを上回る演奏などほとんど存在しないかのような強烈な聴後の印象を、一度聴いた瞬間に聴き手は持たされてしまうのだ。

 ただし、多少客観的に言えば、このディスクの解説書にも実は記載がなされているのだが、ピアノの調整がきちんとなされておらず、かつかなり古いピアノでもあるために、遺憾ながらアシュケナージの激しい感情の吐露にピアノの機能が凡そ付いていかずに、あちこちで音が激しく割れてしまった個所や、演奏中に徐々に調律が狂ってきていることまで起きてしまっているのである。そのために、歴史的演奏であることは間違いないものの、この4曲のバラードを世紀の名演奏として紹介することには、残念ではあるがどうしても若干躊躇せざるを得ないのである。

 

■ ドビュッシー作品集

 

 最後にドビュッシーが3曲取り上げられている。最初の喜びの島は、本来とても激しい音楽ではあるが、アシュケナージのこの日の演奏は、ほとんどピアノを破壊しかねないほど、彼の思いの丈を音楽及び楽器にストレートにぶつけており、聴き手は一瞬の気も抜くことが出来ない、そんな非常に凝縮された演奏となっている。

 つぎの途絶えたセレナードは、この日のリサイタルで取り上げられた曲の中では、最も平板な演奏であると言えるが、あくまでも当夜の中での限定的な話である。そして、最後のベルガマスク組曲から「月の光」。激しく繰り広げられてきた闘いがようやく終わり、突如としてあまりに美しい世を超絶した世界が眼前に広がってくるような、そんなたいへん幻想的な雰囲気を演奏全体から醸し出しつつ、アシュケナージは運命のこの日のリサイタルを無事に終えるのである。まさに歴史に残る恐るべきリサイタルであった。

 

■ これぞアシュケナージの真骨頂

 

 このディスクが、長らく廃盤になっていることもあってか、ピアニストとしてのアシュケナージの本質や美点が、近年は著しく誤解されているように見受けるのは私だけであろうか。アシュケナージは、本来は激しい気性をピアノに思い切りぶつけるような、聴き手に強い印象を刻むタイプのピアニストなのである。

 最後に、このようなコンサートライヴ録音が、一度でも正規発売の形で世に出たことは、それだけでも十分奇跡に値すると思われる。しかし、もしも可能であるならば、再び世に出てほしいと念願しているピアノファンは、今もって多数いるのではないかと、私は思っているのだ。そのくらい、廃盤にしておくにはもったいないだけでなく、アシュケナージを語るうえで必須の音源でもあるのである。

 

(2017年10月12日記す)

 

2017年10月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記