「スーク『アスラエル交響曲』」の録音を、あれこれ紹介する

文:松本武巳さん

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■ 作曲家ヨセフ・スークについて

 

 ある程度年配の方なら、共産圏が崩壊以前からDENONがPCM録音を旧チェコ・スロバキアで広く行っており、その中心的な団体の一つに、スーク・トリオが存在していたことを覚えておられることと思う。そしてスークが、ドヴォルザークの縁戚関係に当たることもご存じであったろうと思われる。ここで紹介する作曲家ヨセフ・スーク(実際の発音は『スク』に近いのだが、慣例でスークと表現することにしたい)こそ、トリオの名を冠するヴァイオリニスト、ヨセフ・スークの祖父なのである。

 

■ アスラエル交響曲について

 

 1904年にスークは、師であり義理の父でもあったドヴォルザークに哀悼の意を込めて交響曲の作曲に着手した。ところが、作曲の過程で「死の天使アスラエル」は、スークの妻でドヴォルザークの娘オティリエまでも、スークのもとから奪ってしまう。こうした背景から生まれた「アスラエル交響曲」は演奏時間1時間に及ぶ大作交響曲で、後期ロマン派特有の華麗な管弦楽法により、悲痛かつ美しい音楽で満たされていることから、スークの最高傑作と呼ばれている。曲の内容は、どうしても耐えられないような力に苦しめられる悲劇ではあるものの同時にそれを克服し、安堵と希望を捜し求める物語という面を併せ持っている。

CDジャケット
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スーク「アスラエル交響曲」作品27
(クーベリック盤)
  
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1981年10月1-2日、ミュンヘン、ヘラクレスザール
PANTON (81 1101-2)

 クーベリックの引退後に、チェコのPANTONから発売されたバイエルン放送交響楽団との録音である。第1楽章の序奏は非常にゆったり開始され、アレグロに入っても遅めのテンポが続く。しかし緩んだ感じが全くしないので気にならない。第2主題もゆったりしたテンポだが、曲想が盛り上がる部分ではワーグナー風の濃厚なロマンの香りが漂っている。展開部も高雅で濃厚なロマンの香りが継続する。第2楽章は緩徐楽章だが特に遅い感じはしない。構成がしっかりしておりまるでマーラーの音楽のように聴こえてくるところがある。ピチカートの刻み方が特に印象に残る。第3楽章は冒頭から引き続き遅いテンポである。しかし緊張感が切れることはなく辛さは感じない。トリオの部分は非常に清楚にまとめており味わいが深い。第4楽章も相変わらず濃厚な演奏になっているが、決して単調な響きにはなっていない。ただし、作為的な指揮はほとんど行っておらず、自然な進行に基本的に委ねている。第5楽章、終楽章に至ってようやくテンポが上がり、確実に音楽が終結に向けて進行していく。楽想の激しいところも若干控えめな表現であったが、最後の盛り上がりの部分に至り、これまで抑えてきたものが一気に噴出するように物凄い響きが充満したのには驚いた。その後曲想が再び静まって曲を閉じるまでの部分は印象派の音楽に近い感じがして、最後は美しく曲を閉じる。

 クーベリックの指揮は終楽章を除いて、全体的にかなり遅めの指揮となっている。しかし決して弛緩した音楽になっていないことや、聴き手を退屈させないのは、クーベリックの指揮が予め全体像を捉えたものだからだと、そんな風に思えてならない。

 

(ターリヒ盤)

CDジャケット

ヴァーツラフ・ターリヒ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1952年5月22‐29日、プラハ、ルドルフィヌム
SUPRAPHON (SU 3830-2)

 プラハ音楽院時代にドヴォルザークの援助を受けたターリヒにとって、チェコのほかのどの音楽家以上に敬意と愛着を持ち、加えて同時代をともに生きたスークのスペシャリストでもあった。 死の天使(アスラエル)という表題を持ち、スークの師であり義父ドヴォルザークと自身の妻でドヴォルザークの娘への哀悼を込めた壮大な葬送交響曲である。すでに半世紀以上も前の録音になるが、絶大な説得力ゆえ当曲の代表的録音としての地位を現在まで保持し続けていると言えるだろう。5分間にわたってターリヒの肉声(アスラエル交響曲の録音中、指揮者69歳の誕生日に団員へ向けてのスピーチ)が聞けるボーナス・トラック付きディスクである。

 

 (アンチェル盤〈2種類〉)

 CDジャケット  カレル・アンチェル指揮
バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団
録音:1967年5月、バーデン=バーデン、ハンス・ロスバウト・スタジオ
SWR CLASSIC (SWR19055)
CDジャケット

カレル・アンチェル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1967年4月6日、プラハ、ルドルフィヌム、ライヴ
SUPRAPHON (SU 4308 2)


(SWR盤)
 チェコの指揮者の多くがこの作品を重要なレパートリーにしており、アンチェルにとってもそれは同様だが、この演奏がアンチェルにとって初めて世に出た「アスラエル交響曲」の公式録音である。アンチェルは上品かつ荘厳なオーケストラの音色を生かした演奏を聴かせている。第1楽章のテンポは標準的。第2主題のピチカートなどは非常に気合いが入っている。音色も暗く、ちょっと現実的な音が連続しており聴いていてかなり疲れる。第2楽章は明確性に長けた演奏だが、マーラー風に聴こえるのは仕方がないところもある。第3楽章は暗いスケルツォでとても重々しい。響きが現実的すぎて少々落ち込んでしまう。第4楽章は弦がこれまでより幻想的だが、全体にリアル過ぎる感は否めない。第5楽章もきちんと演奏しているものの、全体的に凄みが足りず穏健すぎる。アンチェルの「アスラエル交響曲」初めての正規録音は、少々残念な演奏だったと言わざるを得ない。

(SUPRAPHON盤)
 アンチェルとチェコ・フィルの、未発表ライヴ音源ばかりを集めた15枚組に収録されているライヴ録音。こちらの方が、圧倒的に優れた手の内に入った演奏であると言えるだろう。バーデン=バーデンで失敗したと思われるほとんどの点で、このチェコ・フィルとの演奏ではきちんと成功に導いており、両者の演奏時期は非常に近いにも関わらず、次元の異なるアンチェルの本領が遺憾なく発揮されたディスクと言えるだろう。15枚組でしか聴けないのが残念でならない。そんな優れたライヴ録音である。

 

(ノイマン盤)

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ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1983年プラハ、芸術家の家
SUPRAPHON (original release: SUPRAPHON 11104411(2LPs))

 第1楽章は素直で朴訥とした独特な味わいがある。第2楽章は淡々と進んで行くが、曲の雰囲気に良く合っていると思われる。第3楽章は特別なことはしていないが、音楽の見通しはとてもよく素晴らしい。第4楽章も大変穏やかだが、暗く陰鬱な雰囲気を楽章全体から引き出している。第5楽章冒頭のティンパニの強打は聴きものである。中間部の盛り上がりは見事。終結に向けて美しく浄化されていく表現力は素晴らしい。最後の最後になって救済を感じられる。ノイマンは、あらゆる場面で几帳面かつ誠実に演奏をしており、所謂面白みはないものの、名演たる要件を十分に満たした演奏と言えるだろう。

 

(マッケラス盤)

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サー・チャールズ・マッケラス指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2007年4月5、6日、プラハ、ルドルフィヌム、ライヴ
SUPRAPHON (SU4043)

 マッケラスは若いころ、ターリヒから「アスラエル交響曲」について聞かされたが、後年マッケラス自身が愛娘の死に遭遇した後、まったく違った角度で作品を捉えたと打ち明けている。心境の変化を経て臨んだマッケラスとチェコ・フィルとの顔合わせによる演奏である。第1楽章は序奏からアレグロに入るとテンポが遅いというほどではないが、落ち着き払った進行が独特。一方で第2主題は意外とテンポを動かしている。展開部ではテンポを結構揺らしている。第2楽章の基本は空虚な感じだが、元気を感じさせる側面もある不思議な指揮ぶりである。第3楽章のスケルツォは決して速くはないものの、引き締まった良い響きがする。トリオは濃厚なロマン派風で素晴らしい。金管の強奏が意味深でとても印象的。ちなみに、マッケラス指揮の第3楽章スケルツォは、他の指揮者に比べて非常に速いのが特徴である。第4楽章はゆったり進めており、絶妙な揺れを感じさせて飽きない。弦楽器が上手いのが目立つ。第5楽章前半の激しさは凄まじく完全に聴き手は圧倒される。拍手が収録されているが、ライヴ録音だとは気づかないほど整った優れた演奏であると言えるだろう。

 

 (ビエロフラーヴェク盤〈3種類〉)

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 イルジー・ビエロフラーヴェク指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1991年、チェコ
CHANDOS (CHAN 9640)

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 イルジー・ビエロフラーヴェク指揮
BBC交響楽団
録音:2008年6月1日、プラハ、スメタナホール(プラハの春音楽祭ライヴ)
SUPRAPHON (SU 4095)

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イルジー・ビエロフラーヴェク指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2014年10月2,3日、プラハ
DECCA (4834781)


(CHANDOS盤)
 ビエロフラーヴェクが最初のチェコ・フィルの首席指揮者だった当時の録音である。後年の2種類の録音に比べると、どうしても特徴に乏しく見劣りがしてしまう。彼のファンや、彼の成長過程を聴くためには貴重な音源ではあるが、普通の聴き手であれば、このディスクの価値はすでに過去のものになりつつあると言えるだろう。

(SUPRAPHON盤)
 スークの最高傑作と呼ばれるが、どうしても耐えられないような力に苦しめられる物語であるものの、それを克服し安堵と希望を捜し求める物語という面を併せ持っていることも、ビエロフラーヴェクは予め意識しているように思える。第1楽章の序奏はゆったりしたテンポで開始される。アレグロに入ると若干焦点がぼやける。しかし金管は鳴らしまくっている。第2主題もゆったり気味だが少し起伏が乏しいように感じる。展開部も遅めのインテンポ。盛り上がっていく様はとても良いが、もう少しテンポを揺らすとか動かしても良い気がする。楽章の終わりに向かって徐々に集中力が高まっていく。第2楽章は神秘的な緩徐楽章であり、充分美しく仕上がっている秀演だと思われる。第3楽章は明確な楽章で強奏が耳に心地良い。中間部のヴァイオリン・ソロは非常に上手く聴き惚れる。終結部分も豪快かつ的確にまとめている。第4楽章の緩徐楽章においても、ヴァイオリン・ソロの技巧や表情付けが素晴らしい。第5楽章冒頭ティンパニがとても素晴らしい響きで開始される。抒情的に音楽が流れて行き、最後は非常に美しく曲を閉じる。非常に真面目で全編を通じて美しい音楽に仕上げており、安定した良い演奏ではあるものの、大層地味だとも言える。ノイマン盤以上に落ち着いた地味な印象が強い。しかしビエロフラーヴェクの残した3種類の録音の中で、この2度目の録音が最も優れた演奏であると思われる。

(DECCA盤)
 ヨセフ・スーク生誕145周年を記念した「アスラエル交響曲」の新録音である。最晩年のビエロフラーヴェクがチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、作品の隅々まで知り尽くした見事な演奏を披露しているが、最晩年特有の弛緩が若干感じ取れ、プラハの春のライヴ音源である前述のSUPRAPHON盤に比べると、良く言えば落ち着いた演奏であるが、演奏の勢いに於いてSUPRAPHON盤の方が優れていると思われる。一方で、死者を想う心情や救済の側面に焦点を当てた、柔和な仕上げと心温まる解釈を中心に据えたことを、とても強く感じさせる演奏であるとも言える。ビエロフラーヴェクはこの録音からわずか3年足らず後の2017年に、71歳で他界した。

 

 (フルシャ盤〈2種類〉)

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ヤクブ・フルシャ指揮
東京都交響楽団
録音:2013年11月19日、東京、東京文化会館ライヴ
EXTON (OVCL 00564)

CDジャケット

ヤクブ・フルシャ指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:2018年10月18-20日、ミュンヘン、フィルハーモニー・イン・ガスタイク、ライヴ
BR KLASSIK (900188)

(EXTON盤)
 フルシャと都響による録音。スークが「アスラエル交響曲」に込めた深い慟哭と、フルシャがこの交響曲に込めた多くの想いに必死で応える都響が、「アスラエル交響曲」の真価を発揮させた名演と言えるだろう。しかし、フルシャと東京都交響楽団によるこの録音は、EXTONの編集方針と音の雰囲気作り全般が、この交響曲の特長と今一歩相容れず、指揮者、オーケストラ、EXTON三者間に、録音に対する若干の齟齬があったように思えてならない。

(BR盤)
 ヤクブ・フルシャはこの作品を得意としており、プラハ芸術アカデミーの卒業コンサートの演目でこの曲を選んだ。作品を完全に掌握した上で愛情と共感に満ちた表現を施した演奏は、スークの想いを聴き手に届けるに相応しい。バイエルン放送交響楽団による演奏は、オーケストラにとってクーベリックとの録音以来であると思われる。バイエルン放送交響楽団の技術力とフルシャの楽曲に対する確信とが相まった、極めて高い完成度を誇る録音であると言えるだろう。都響盤といくつかの点で聴き比べると、フルシャの解釈はほぼ一致しており、フルシャが楽曲の細部に至るまで完全掌握しており、自らの意思をすでに確立していることが伝わって来る。フルシャの解釈で最も特徴的なのは、硬質で輪郭の明確な音の美学だと言えるだろう。「アスラエル交響曲」はとっつきにくいと良く言われるが、フルシャのように明確な意図を有した演奏が少ないことも原因だと思われる。フルシャは曲のフォルムを勝手に崩すことや、オーケストラの本質的な美感を損なうようなことは一切しないので、繰り返し聴くに耐える録音となっている。

 

(アシュケナージ盤)

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ヴラディーミル・アシュケナージ指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2008年4月、ヘルシンキ、フィンランディア・ホール、ライヴ
ONDINE (SACD ODE 11325)

 チェコと縁の深かったアシュケナージが、ヘルシンキ・フィルハーモニーを指揮したコンサートのライヴ録音。チェコ生まれ、プラハ音楽院でドヴォルザークに学んだ作曲家、ヨセフ・スークが作曲した「アスラエル交響曲」は、ドヴォルザークとオティリエの気高き思い出に捧げられた曲。1904年、ドヴォルザークの死をきっかけに着手し、3つの楽章が完成した翌年、こんどはドヴォルザークの娘だった妻オティリエの死に遭遇してしまう。死者の魂を永遠の地に導く死の天使、アスラエルの名が副題につけられた。大作交響曲を、ヘルシンキ・フィルの明確なアンサンブルを生かし、アシュケナージは感動的かつ壮大に仕上げ、優れた演奏だと思う。死者を想う心情や救済の側面にフォーカスした柔和な仕上げを目指したように思われる。2008年のライヴ録音で、ライヴで取り上げただけでなくSACDとして発売した。録音状態もほぼ最良で楽曲の全貌が良く分かる。ライヴであるがほとんどノイズはなく拍手も入っていないのは、曲の性格が性格だけに好ましい。弦楽器や木管も輪郭がきれいに響いていて優れた録音となっている。

 

(シュナイダー盤)

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ペーター・シュナイダー指揮
モンペリエ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1996年11月25日、ライヴ
ACTES SUD (AT 34105) ※自主制作盤

 ペーター・シュナイダーは1939年オーストリア生まれの指揮者である。子どものころにはウィーン少年合唱団に所属していた。ウィーン国立歌劇場に、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』で1984年にデビューした。2007年には日本でも『ばらの騎士』を振っている。後期ロマン派、特にワーグナーを想起させるような旋律部分(特に第1楽章)や、指揮者の抒情性に長けた表現が、この交響曲特有の特長と合致しており、そこにこのディスクを聴く価値を感じる。ペーター・シュナイダーは、2011年4月17日にウィーン・フィルの演奏会で「アスラエル交響曲」を取り上げており、ワーグナーとリヒャルト・シュトラウス演奏で著名なシュナイダーが、「アスラエル交響曲」に興味を抱き続けているだけでなく、この交響曲演奏に適性を持った指揮者の一人であることを聴き手に感じさせてくれる。

 

(キリル・ペトレンコ盤)

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キリル・ペトレンコ指揮
ベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団
録音:2002年、ベルリン、コーミッシェ・オーパー、ライヴ
CPO (777001-2)

 ベルリン・フィル首席指揮者キリル・ペトレンコが、ドイツCPOレーベルで制作した録音。私がキリル・ペトレンコを意識するきっかけとなったディスクでもある。この「アスラエル交響曲」は、キリル・ペトレンコの主張の明確な劇的な音楽づくりとなっている。明確な主張のもとに劇的な音楽づくりをすることは、その後のペトレンコの指揮に於いても維持されているため、かなり好悪が分かれる指揮者であると言えるだろう。当盤は、ベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団を振って、2002年にライヴ録音したものである。ペトレンコは、現在では、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として名が知られているが、録音当時はベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団の音楽総監督に就任したばかりだった。

 「アスラエル交響曲」は、一般的に抒情性に富んだ柔らかく、透明で幻想的な、暖かくまどろみながらも、神秘的な光線が射しこんでくるような印象をもたらす演奏が多いと思われる。しかし、キリル・ペトレンコの音は硬めで、攻撃的と言って良いほどに力強いオーケストラの響きを引き出してくる。キリル・ペトレンコの演奏からは、悲劇や回避しえない定めのようなものであるように伝わって来る。終楽章の静かに消え入るような終結に向けて、常に緊張感溢れる音響が続く。キリル・ペトレンコの演奏は、この交響曲がもつ近現代の音楽特有の精緻さを丁寧に表現しつつ、緊迫感を持続させ、強靭な部分では厳しい迫力で攻撃を加えるのが基本である。個人的には、もっと幻想的な暖かみのある演奏の方が好きなのだが、キリル・ペトレンコの演奏が完成度の高いことは、正当に認めざるを得ない。

 

■ まさかの20種類の音源所持

 

 いざ執筆を開始してみると、実際には20種類もの膨大な音源を所持していたことに、自分自身でも驚いた次第だが、多すぎる音源の紹介は結果的に何らの紹介にもならないことを考慮し、以下の音源の紹介については、残念ながらデータのみに留めたいと思う。(おまけに、スヴェトラーノフ盤に至っては、盤自体も執筆までに発見できなかった。膨大な音盤とデータに埋没してしまい、整理の行き届かない自分自身に自己嫌悪を感じる)

 

(ペシェク盤)

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リボル・ペシェク指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1991年、VIRGIN CLASSICS (VC 791221-2)※ジャケット写真は再発EMI盤

 

(ヴァーレク盤)

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ヴラディミール・ヴァーレク指揮プラハ放送交響楽団
録音:1992年、チェコ・プラハ、PRAGA(PR 250018)

 

(スヴェトラーノフ盤)

エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団
録音:1993年、RUSSIAN DISC (RD CD 11 011)

 

(ペーター=フロール盤)

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クラウス・ペーター=フロール指揮マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2009年、BIS (SACD-1776)

 

(ワルター・ヴェラー盤)

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ワルター・ヴェラー指揮ベルギー国立管弦楽団
録音:2009年、FUGA LIBERA (FUG 557)

  (ネトピル盤)
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トーマス・ネトピル指揮エッセン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2016年11月17-18日、ドイツ・エッセン、OEHMS (OC 1865)

 

(2024年12月1日記す)

 

2024年12月2日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記