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バルトーク ピアノ協奏曲第1番Sz.83
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(1) アルフレッド・ブレンデル(ピアノ) ブルーノ・マデルナ指揮BBC交響楽団
録音:1973年11月5日、ロンドン(ライヴ) Stradivarius(輸入盤STR10071)
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(2) ルドルフ・ゼルキン(ピアノ) ジョージ・セル指揮コロンビア交響楽団
録音:1962年4月、クリーヴランド SONY(国内盤SICC-1660)
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(3) ピーター・ゼルキン(ピアノ) 小澤征爾指揮シカゴ交響楽団
録音:1965年6月、シカゴ RCA(国内盤BVCC-35126)
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ピアノ協奏曲第3番Sz.119 |
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(1) サンソン・フランソワ(ピアノ)
デイヴィッド・ジンマン指揮フランス国立放送管弦楽団
録音:1969年9月14日、場所不明 EMI(輸入盤646 106-2)
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(2) キース・ジャレット(ピアノ)
秋山和慶指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
録音:1985年1月30日、東京・五反田(ライヴ) ECM
(国内盤UCCE-2089)
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(3) ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
ピエール・ブーレーズ指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団
録音:1967年7月、ロンドン Warner(国内盤WPCS-28078)
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■ 夥しい録音が存在する3曲のピアノ協奏曲
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バルトークの3曲のピアノ協奏曲のことを、もしかしたらハンガリーの名手による演奏か、腕に覚えのあるピアニスト限定の楽曲だと思われてはいないだろうか? 実は3曲とも、夥しい録音が存在している非常に人気の高い協奏曲なのであり、かつ取り上げている演奏家も非常に幅広いという、現代音楽としてはとても珍しい部類に属する協奏曲なのである。
ちなみに、このような誤解をもたらしている根本原因として、一つにゲザ・アンダとフリッチャイによる歴史的名盤や、コチシュやシフらの全集録音の存在などが、その一方でポリーニとアバドの1番と2番のディスクや、アシュケナージとショルティの全集録音の存在などが、誰でも多分すぐに思い出されることに尽きるであろう。
そこで、意外なほど多彩な多くのピアニストが、このバルトークのピアノ協奏曲を頻繁に演奏し、数多く録音していることを、今回はぜひ紹介したいと思う。第2番ももちろんレアな録音は存在するのだが、文章の量的な問題もあるので、今回は第1番と第3番について何点かのディスクを紹介することとしたい。
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■ いわゆるハンガリー人による名盤の数々
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第3番の初演者ジョルジュ・シャンドールによるVOXへの全集録音を皮切りとして、ステレオ初期のゲザ・アンダ(フリッチャイ指揮のDG盤)、ゾルタン・コチシュ(イヴァン・フィッシャー指揮)やアンドラーシュ・シフ(イヴァン・フィッシャー指揮)の全集、さらにはNAXOSきっての名盤であるイェネー・ヤンドーによる全集、またアニー・フィッシャーとショルティによる第3番のライヴ録音、加えてデジュー・ラーンキによるコチシュを指揮者として演奏した第2番など、数々の名演奏が思い起こされる。これらの母国人による演奏は、特に注目するまでもなく先刻ご承知であろうと思われるので、ここでは確認代わりにディスクを単に羅列するにとどめたい。 |
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■ 良く知られたハンガリー人以外の名盤
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アシュケナージがショルティの指揮の下で完成した全集や、ポリーニとアバドの名コンビによる第1番と第2番、さらにアルゲリッチとデュトワによる第3番などが真っ先に思い出されるであろう。これに加えてリヒテルの第2番や、カッチェンとケルテスによる第3番、近年では指揮者ブーレーズが3名のピアニストを使い分けて録音した全集、そしてラトルとベルリン・フィルを従えてラン・ランが縦横無尽に駆け巡った第2番の録音などがあり、どのピアニストを見ても、いわゆる技巧派または高度な技巧の持ち主ばかりであることが分かるであろう。 |
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■ まさに多方面のピアニストたちが録音している楽曲
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ところが、である。この曲は決して技巧派ばかりでなく、意外なピアニストたちも多く録音を残しているのである。それも、ひたすらドイツ音楽を中心として活動し続けたピアニストから、フランス音楽に長けた個性派ピアニスト、さらには現代音楽の担い手とされるピアニスト、挙句は本職がクラシック以外のピアニストまで、こぞってバルトークの協奏曲を演奏し、録音を残しているのである。
これは、クラシックの一般的な潮流から考えてみると、実に珍しいことと言えるのではないだろうか。バルトークを弾こうとするピアニストは、きわめて多種多様のピアニストたちであり、結果として実に多くの演奏や録音がなされているのである。 |
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■ ピアノ協奏曲第1番
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あのブレンデルが、作曲家兼指揮者であったブルーノ・マデルナの引退公演のライヴ収録ディスクにおいて、第1番の協奏曲を演奏しているのだ。ブレンデルは、現代音楽も多く取り上げていたので、その点では驚くに当たらないのだが、実はバルトークの演奏に限ればこれがほぼ唯一のものと言えるので、やはり目を引く録音であるといえるだろう。
ルドルフ・ゼルキンが、ハンガリー人のセルのご指名で、第1番の協奏曲に取り組んでいる。これは、非常に落ち着いた渋い演奏で、このような録音を聴かされると、セルとゼルキンの教条的なまでの頑固さが、逆に堅牢な構築物のように思えてくるような不思議な出来上がりとなっており、歴史的録音の一つとして生き残っている。
一方の、息子のピーター・ゼルキンはデビュー録音シリーズの一環として取り組んだもので、こちらの演奏は実の親子と雖も、ルドルフとはかなりタイプが異なる演奏となっている。ただ、どちらかと言うと小澤の指揮が極めて先鋭なのであって、ピーター自身は思いのほか穏当かつ真っ当な演奏であり、父ルドルフの残した演奏とタイプこそ異なるが、音楽自体の大きな方向性の違いは見せておらず、むしろ親子の共通項も多く見出だせる録音ともいえるだろう。つまり指揮者セルの尖り方と、当時の若い小澤の尖り方は、明らかに性質が異なるものであることの方が、むしろ2つの録音を聴き比べてみると印象に残るのである。
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■ ピアノ協奏曲第3番
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サンソン・フランソワは、バルトークへの親近感を普段から口に出してはいたものの、最晩年の心臓を悪くして亡くなる前年の時点で、第3番の協奏曲に初めて取り組んだという事実に対し、とても目を引くのである。このころのフランソワは、一方ではドビュッシーの全集録音に悪戦苦闘しており、結果的には未完に終わってしまう頃であり、もう一方ではフォーレやフランクの室内楽に手を広げている当時でもある。そんなフランソワの内心の変化については、直後に夭折してしまったために窺い知ることはできないが、何らかの心境の変化から、最晩年にある種の境地に達したような、鬼気迫るところのある演奏であると言えるだろう。なお、最晩年といってもこの時点でフランソワはまだ45歳であり、この直後に3度目でかつ最後の来日公演に向かっていることになる。
キース・ジャレットは、著名なジャズピアニストであるが、一方で凡そ余芸とは言いがたいレベルでバッハの平均律全集を完成させ(第1巻はピアノで、第2巻はハープシコードで全集録音を達成)たり、モーツァルトのピアノ協奏曲の録音を数曲残したりしており、けっこう多くのクラシック作品に取り組んでいるのである。そして、この第3番の協奏曲では、非常にノーマルなクラシカルなスタイルで演奏を貫いており、ここで取り上げた第3番の3種類のディスク中、もっとも妥当な正統派の演奏であるといえるだろう。技巧的にもたついているところは散見されるが、大きな傷には至っていないので、驚くほどに模範的な演奏が記録されている。
最後に、若いころのバレンボイムが、やはり先鋭的な活動を行っていた当時のブーレーズと組んで録音を残している。もっとも著名なピアニストと指揮者の組み合わせであり、誰もが興味を抱きそうなディスクであるといえるだろう。しかし、このディスクはこれほどの大演奏家に向かって断言するのは非常に心苦しいのだが、私には失敗作に思えてならないのだ。多くを語ることは避けるが、あえていえば、バレンボイムもブーレーズも、お互いに自分の世界に相手を引きずり込もうとしつつ、結果としていずれの世界にも引き込まれていない演奏となっているのだ。これでも最後まで崩壊せずに録音が成り立ってしまうのだから、その意味では両者ともに横綱相撲を取っていると言えなくもないのだが、内容は決して大相撲になっているのではなく、両者相容れないまま最後まで進行してしまっているように思えてならない。
繰り返すが、このディスクには破綻した箇所はほとんどないし、取り方によっては問題なく演奏が始まり、そして終わっているのだが、残念なことにいつものバレンボイムも、いつものブーレーズも、どちらもまったく現れてこない覆面演奏家による演奏のような感覚が付きまとうのである。かりにブラインドテストをされたとしたら、私は演奏家を当てることは不可能であるだろう。そのくらい余所行きの演奏に終始しているように思えるのである。
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■ さいごに
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これほどまでに、毛色の異なった著名な演奏家たちがこぞって演奏し録音しているバルトークの魅力とは、いったい何なのであろうか。この結論は、私にはまだ導けていないのである。そこで、今回は珍しいディスクの紹介を兼ねて、ある種の問題提起としてこの小文を記したつもりである。やはり、作品には向き不向きが必ず存在するものだが、それを超越して取り組んでみたいと多くの演奏家が考える、バルトークの作品の真の魅力は、実際どこにあるのだろうか? このことに対する興味は尽きないのである。
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(2018年11月25日記す)
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