エッシェンバッハ「ベートーヴェンピアノ協奏曲第1番」を聴く

文:松本武巳さん

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ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第1番作品15
LPジャケット クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1966年11月30日〜12月1日
DG(西独盤 139023)LP

CDジャケット スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
クリストフ・エッシェンバッハ指揮シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭祝祭管弦楽団
併録:ショパン「練習曲集」(7曲抜粋)
録音:1988年6月(ライヴ)
RCA(国内盤 BVCC-661)

CDジャケット ラン・ラン(ピアノ)
クリストフ・エッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団
併録:ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」
録音:2007年
DG(輸入盤 477 671-9)
 

■ まずは、エッシェンバッハ自身の語りから

 

 後にも先にも私の受けた唯一のオーディションは、カラヤンのところだった。彼は1時間にわたって私が演奏するのを聴いていた(彼はふつうそういうことはしなかったのだが)。その後カラヤンは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番をドイツ・グラモフォンのために録音しないかと誘ってくれた。それでこのようにしてきわめて緊密な関係がめばえ、それはまた私の成長にとってたいへん重要な学びのプロセスの始まりともなったのである。
 首席指揮者として仕事のない2年間がそれに続いた。それを「楽しんでいる」というふうにわが師カラヤンとの会話のなかで語ると、彼はきびしく私の言葉をさえぎったのである。「きみはまったく間違っている」と彼は言った。彼は私の中に、あたかもレンガを一個一個積み上げることによって大きな建物を建てていくように、ものごとをひとつひとつ積み上げていく、という姿勢が欠けているのを見抜いていたのである。少なくともそれが、彼がずっと私に期待していたことだった。私が1988年にヒューストン交響楽団を率いることになった時、彼は祝いの言葉として「きみがこうなることは私にはわかっていた」と書いてきた。私は感動した。それは彼の死の前年であった。

(エッシェンバッハの公式ホームページより引用)

 

■ 初演はサリエリの指揮で行われた

 

 この曲は、完成直後の1795年春に、ベートーヴェン自身のピアノとアントニオ・サリエリの指揮によって初演が行われたとの記録が残っている。ベートーヴェン24歳、サリエリ44歳の共演である。また、第1楽章のカデンツァは、作曲者自身だけで3種類が残されているが、協奏曲本体の作曲とは時期が異なり、後年になって書いたものであるようだ。なお、この協奏曲はピアノ協奏曲第2番よりも後で作曲された経緯があり、ベートーヴェンにとって最初に完成したピアノ協奏曲ではないことを、念のために附記しておく。

 

■ カラヤンによって見事に引きだされたエッシェンバッハの繊細な音色

 

 エッシェンバッハ26歳、カラヤン58歳の共演である。エッシェンバッハが1965年にクララ・ハスキル国際ピアノコンクールに優勝直後の録音で、モーツァルトのピアノソナタ全集に先だった64年録音の1枚、シューマンの作品集の1枚(66年録音)に引き続いて行われた、エッシェンバッハ初の協奏曲録音である。ちなみに指揮者カラヤンにとっても、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番の指揮は初めてであった。
 第1楽章は、エッシェンバッハのピアノの入りの部分が特に際立っている。遅めに開始された伴奏部分が終わると、まさに震えるような繊細さでピアノの音色が聴こえ始めてくるのだ。ところが、第1楽章は、その後はカラヤンが全体をリードしつつ徐々にテンポを上げて行き、本来のカラヤン流儀である重厚さへと曲を変容させつつ、最後のカデンツァ部分では、ベートーヴェンが書いた最も長い壮大なカデンツァを、ピアノが開始時の繊細さとは明らかに異なる堂々とした響きでエッシェンバッハは演奏して、第1楽章を閉じるのである。
 しかし、第2楽章の纏綿と音楽を紡ぐような儚く美しいピアノの歌い方は、この協奏曲録音全体の白眉であろう。エッシェンバッハのピアノは、まるでモーツァルトの緩徐楽章をピアノソロで弾くかのように、静かにモノローグのように孤独に奏でているのだが、カラヤンは意図的に表に出ずにサポートに徹する伴奏者として参加しており、カラヤンの本来的な主張を少なくとも第1楽章冒頭と第2楽章に於いてはほぼ封印していると言えるだろう。第2楽章でのエッシェンバッハのピアノは、そんな古き良き美しき時代を延々と語っているのだが、カラヤンは背後から包み込むようにサポートこそすれど、エッシェンバッハの奏でようとしている世界を決して壊していないのである。
 終楽章では、一転してカラヤンの世界に全体を引き摺りこんでいくのだ。毎度おなじみのカラヤンとベルリンフィルによる、一糸乱れぬハーモニーの強奏をフル回転させつつ、一気に曲の終結に向かってなだれ込んでいく、あのカラヤンらしい楽曲の締め方をしており、エッシェンバッハもその一員として、オーケストラに決して埋没することなく、カラヤンと見事に協奏しているのだ。今でもこの協奏曲録音の演奏内容は、私の脳裏に完全に染み付いているのである。

 

■ リヒテルの意向に懸命に寄り添うエッシェンバッハの指揮

 

 エッシェンバッハ48歳、リヒテル73歳の共演である。エッシェンバッハが主宰する音楽祭でのライヴ録音で、後年リヒテルが満足できる録音の一つとして、自ら挙げている録音である。
 エッシェンバッハは、交響曲を指揮する場合などで時おり見られるような、細部に拘泥したりすることなく、全体像についてリヒテルと事前に意思を共有した上で臨んだか、あるいはリヒテルのその場の意思に可能な限り合わせる形で指揮を貫いたと思われる。そのため、エッシェンバッハの指揮には、オーケストラ部分ではいわゆる淀みがなくスムーズに音楽が流れ、一方でピアノパート部分に関する指揮者自身の理解の深さから、ピアノの難所では指揮者がピアノに寄り添うように意図的に配慮しているのだ。リヒテルがこの録音において演奏に満足した内容には、エッシェンバッハの良き指揮が含まれているのは、まず間違いないだろうと思う。伴奏指揮として求められる秀逸な理想形の一つが、このディスクには明らかに刻まれていると言って差支えないだろう。

 

■ ラン・ランを自由に振る舞わせた有能なサポーター・エッシェンバッハ

 

 エッシェンバッハ67歳、ラン・ラン25歳の共演である。エッシェンバッハとラン・ランがパリ管と競演した録音だが、若いラン・ランに弾きたいように弾かせる一方で、そもそも自我が強いパリ管の奏者にもかなりの自由度を与えているのだが、エッシェンバッハがこの曲をピアノパートを含めて知り尽くしている余裕が感じられるため、ラン・ランもオーケストラの奏者も、結果的にはエッシェンバッハの手中できちんと掌握された演奏となっているように思われる。そのため、通常この手法を取った時に生じがちな、全体像がバラバラになってしまう危険性を、エッシェンバッハは見事に回避することに成功していると言えるだろう。
 ラン・ランは強弱のコントラストを含めて、場合によると楽曲構造までデフォルメに近い加工をした上で、劇的に聴かせようとする志向を有したピアニストであると言えるだろう。一方のエッシェンバッハは、基本的にピアニストとしてはコントラストの幅はかなり狭いピアニストである。しかし、エッシェンバッハはむしろこのような両者の資質の違いを楽しんでいるように見受けるのである。ここまで来るには、やはり多くの経験とそれなりの年輪が必要なのであろう。エッシェンバッハはラン・ランを見出し、その後も擁護し尊重しているように見受けるが、そもそもはかなり異なった資質を有した芸術家であることは明白である。

 

■ 独白

 

 このような柔軟な受容性が、近年のエッシェンバッハに加わってきたためであろうか、最近になってエッシェンバッハ自身が、長年避けてきたピアノソロ作品を弾く機会まで復活しつつあるのだ。私が、11年以上前の2005年5月に一度An die Musikに書いた、エッシェンバッハへの長い長い本当に長い苦悩から、ついに脱出できる時期がついに到来したように感じる、そんな気がするこの頃である。

 

(2016年11月23日記す)

 

2016年11月23日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記