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ボロディン 交響曲第2番作品5 カルロス・クライバー指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
録音:1972年12月12日 エーリヒ・クライバー指揮 NBC交響楽団 録音:1947年12月20日
haensslerClassic (輸入盤 CD 93.116)
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■ 最近あまり聴かれなくなった交響曲
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ボロディンの交響曲第2番は、以前はそれなりに多くの名録音や新録音が存在したのだが、近年はあまり取り上げる指揮者がいないようである。かつては、クーベリックもステレオ初期にEMIに録音を残しているし、スヴェトラーノフやネーメ・ヤルヴィに至っては、ボロディンの交響曲全集の録音を残していたのである。この曲を、カルロス・クライバーが1972年にただ1回取り上げた際の録音と、父親のエーリヒ・クライバーがアメリカでトスカニーニのオケを振って録音した際の録音を、1枚の正規盤ディスクとして発売したのがここで紹介するCDなのである。
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■ ボロディンの交響曲第2番
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第1楽章は、冒頭いきなり非常にインパクトの強い、とても豪快・勇壮な第1主題で開始される。第2楽章は、なんと1分の1拍子という非常に珍しいスケルツォ楽章である。続く第3楽章は、大変美しくかつ幻想的な冒頭の主題(アンダンテ)と、同じくうっとりするような中間部のテーマ(ポコ・ピウ・アニマート)から構成されており、この交響曲全体の聴きどころとなっている。第4楽章は、テンポの速い舞曲で爽快に曲全体を閉じる。全曲の演奏時間は30分弱であり、かつてのLPの片面にきれいに収まる理想的な長さであった。
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■ クライバー親子のレパートリー
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もともと親子のレパートリーが大きく重なっていることは、たいへん良く知られたことであるのだが、このボロディンの交響曲第2番の演奏は、親子の残した録音の中でもとりわけ両者の解釈の似た録音であると言えるだろう。ベートーヴェンの4番、5番、7番の交響曲などは、あちこちで親子の演奏比較をされている文章を見かけることがあるし、そもそも正真正銘の親子である上に、同じ指揮者の道をたどったカルロスが父エーリヒと演奏解釈が似ていたところで、何らの問題もなく、むしろある意味当然のことだとは思う。
そこから想像の世界を膨らませて、カルロスが最後まで超えられなかった親の壁であるとか、親に対するコンプレックスであるとかいった精神分析の文章も本当に多く目にするし、もちろんそれらを否定する必要もまるでないだろう。有名な親を持つことは、子にとってそれだけで大変なプレッシャーであろう。しかし、本来はそれだけの話なのである。ただ、もう一度繰り返すと、たぶんこのボロディンの録音こそが、親子の残した演奏の共通性がもっとも明確に確認される録音ではないだろうかと、そんな風に思うのである。
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■ 親子で似ていない最大の事象
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何といっても、親子のディスクの売れ行きである。親エーリヒのディスクは、少なくとも最近はあまり売れないというか、残念ながらほとんど売れないようである。その理由は、エーリヒの亡くなった年が1956年という、ステレオ録音が始まったごく初期の段階であるために、エーリヒの残した録音のほとんどがモノラル録音であることに起因するのだろうと言わざるを得ないのである。私は、このステレオ録音神話について、聴き手の嗜好がやや度が過ぎているように思う点こそが、今回の執筆に至った主たる動機なのである。早い話が、モノラル録音であることが唯一の原因で、エーリヒの残した名演奏をほとんど聴かないのは、リスナーとして非常にもったいないと思うわけなのである。
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■ ステレオ録音とモノラル録音
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実はステレオ録音初期の段階では、ステレオ録音とモノラル録音のLPが、ほぼ同時に新譜として両方発売された期間が存在している。そして、この期間は実は意外に長かったうえに、レコード録音史上もっとも活発な録音がレコード会社によって行われた時期ともほぼ重なっているために、ステレオ録音とモノラル録音の初出LPを比較して、その両者の音の違いに愕然とするなんて経験は、一定の年齢層の方には必ずあったことと思うのである。
たとえば、SAXとCX、ASDとALPなどと書いただけで、ほとんど条件反射のように敏感に反応されるような方も、今なお結構多くいらっしゃると思うのだ。一方で、CD世代の方にとっては、こんなアルファベットの羅列は、ほとんど暗号としか思えないであろうことも理解しているつもりである。しかしながら、そこには事実として音の差が歴然と存在することは争いようがなく、そのため中古LPの相場において、両者のレコードには信じがたいような値段の差が厳然と存在しているのだ。中には、1枚のLPが40万円に達しようというものまで存在するのである(例えばASD429という番号の初出LP)。
しかし、である。この当時は本当に世界中で「レコード芸術」を競って、真剣にレコードを作成していた時代なのである。当時の音の良さがSAXやASDの初出LPの、中古市場での高額取引で象徴されているのは事実だが、一方でモノラル録音として発売されたCXやALPにしても、近年の粗製乱造に近いデジタル録音のCDよりも、実はLPの溝に刻まれた確かな情報量の多いことに、ぜひ今一度気づいて欲しいとも思うのである。もちろん、モノラル録音であることは確かに魅力の一部が削ぎ取られてしまう上に、同じ録音のステレオ盤が存在する場合に、なかなか手が伸びないのも事実であろうことは容易に理解できる。
ところが、ステレオ録音がそもそも存在していない、1950年代前半までの初期のLPレコードにおいては、確かにレコード録音史上ある種の盲点となっている時期ではあるのだが、その録音レベルはモノラルとはいえ意外なほど高いのである。そして、エーリヒ・クライバーが最晩年に録音した多くのディスクは、まさにこのようなモノラル録音が多いのである。父エーリヒは、たいへん不幸な時期に多くの録音を残した名指揮者であったのだ。
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■ エーリヒの録音を今一度聴いてみませんか?
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カルロス・クライバーのファンであった方は非常に多いと思う。そして、彼の残した正規録音の少なさを今なお嘆き続けていて、元々は膝上録音であったような海賊盤まがいのディスクを発見し、カルロスを偲ぶためもあって多く所有されている方も、たぶん意外なほど多いであろう。そんなときちょっとだけ視点を変えて、父エーリヒの残した1950年代前半のモノラル録音にも、ぜひ目を向けてみて欲しいのである。カルロスのファンであれば、これらのエーリヒの多くの埋もれたモノラル録音から、想像以上に大いなる価値を見出すことが出来るのではないかと思うのだ。このまま忘れ去るにはあまりにも惜しい、カルロスをも想起させるような名盤が、エーリヒ・クライバーには本当に数多く残されているのである。
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(2017年10月27日記す)
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