シフとショルティによるブラームス協奏曲第1番を聴く
文:松本武巳さん
ブラームス
1.ピアノ協奏曲第1番ニ短調 作品15
2.シューマンの主題による変奏曲 作品23
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
サー・ゲオルク・ショルティ(指揮:1、ピアノ:2)
録音:1988年4月(ウィーン、コンツェルトハウス)
DECCA(輸入盤 425 110-2)■ 名手による埋もれた録音
2人のハンガリー人の名手によるブラームスのピアノ協奏曲録音は、ともに著名なピアニストと指揮者による演奏であり、かつオーケストラもこれ以上を望めないウィーンフィルでありながら、録音後さして長期間が経過していないにも関わらず、当該ディスク自体ほとんど忘れ去られようとしている。これは一体どうしたことであろうか?今回はここに焦点を当ててみたい。
■ 意外に少ないショルティとシフの共演
アンドラーシュ・シフもゲオルク・ショルティも、この当時までのキャリアの大半を、DECCAの専属演奏家として過ごしてきた。かつ、二人は同国人でもある。ところが、ショルティは、かつてバルトークのピアノ協奏曲全曲録音を行う際に、ピアニストとして選んだのはアシュケナージであった。もちろん、ベートーヴェンの全集などは、当時の知名度を勘案しても、アシュケナージでやむを得なかったであろう。しかし、バルトークに関しては、シフとショルティの共演で残して欲しいと考えたファンは多かったに違いない。(ただし、協奏曲第3番のみ、1990年にブダペストでの両者によるライヴ録音が残されている。)救いは、アシュケナージとの共演も名演として生き残っていることである。シフは後年、バルトークの協奏曲を、やはり同国人のイヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団と全集録音を達成しているし、当盤は名盤の誉れが高いのも公知の事実であろう。それだけに、DECCA時代にショルティとも残して欲しかったのは、多くのファンにとって未だに残念なことであると思われる。
■ 当該録音の経緯
そんなショルティが1980年代に至り、初めてブラームスの交響曲全集を録音したのである。それに遅れること7年、ピアノ協奏曲第1番を録音する際に、ショルティはピアニストとしてシフを選んだのである。なお、ピアノ協奏曲第2番は、録音計画自体はあったものの、ショルティの死もあって実現には至らなかった。
■ ピアニストとして世に出たショルティ
さて、ショルティはそもそもピアニストとして世に出たいと念願し、ジュネーヴ国際コンクールでも覇者となったが、生憎第二次世界大戦の最中で、ピアニストとしての活躍の場を得ることが叶わなかった。しかし、指揮の素養も元々身に付けていたこともあり、56年から開始されたDECCAのワーグナー「指環」全曲録音において、まだ若いショルティが抜擢され、ショルティはウィーンフィルとの数々の確執を抱えつつも、期待に応え大仕事を成し遂げたのである。そんなショルティが、協奏曲の難曲としても知られるブラームスのピアノ協奏曲のソリストとして、同国人のシフを選んだのはなぜであろうか? ■ 当盤録音の意図
私には、以下のように思えてならない。それは、一般に『ピアノ付き交響曲』などと揶揄されるこの協奏曲のイニシャティヴを、指揮者のショルティが取ることに留まらず、彼はこの協奏曲の弾き振りはさすがに困難であると考えた結果、ショルティのピアノの代演者として、同国人のシフに白羽の矢を立てたのではあるまいか?そんな風に思えるのである。終始壮大なスケールの中にピアノを完全に組み込み、ショルティの意図の元、全体の録音が進行しているように思えてならない。もちろん、そんなショルティの意図に応え得るピアニストは、ピアニストとしての実力から言っても、指揮者ショルティの意向を汲み取る能力から言っても、同国人のシフ以外には考えられなかったに違いない。そんな風に全体が仕上がっているのである。
■ 当録音の意外な価値
そのことを確信させるに足るのは、実は余白に収録されたピアノ連弾曲である、シューマンの主題による変奏曲作品23の演奏である。こちらは、第1ピアノがシフで第2ピアノがショルティであるが、良く言えば協奏曲と方向性がきちんと整った、ディスクとしての一貫性を持った演奏であると言えよう。しかし、悪く言うと、こちらの連弾曲でも明らかにショルティの方向性に、シフは支配されたままなのである。むしろ、ピアノを通じてである分、協奏曲以上にショルティの意思が直接聴き手に伝わってくるのである。
■ 結語
ショルティとシフによるピアノ協奏曲第2番の録音は、結局行われることはなかった。これが、シフの意思であったのか、晩年のショルティとのスケジュールが単に合わなかっただけなのか、現時点では分からない。しかし、ブラームスのピアノ協奏曲を、このレベルまで指揮者の意図中心に、ピアノパートを含め統率しきった、まさに『ピアノ付き交響曲』の異名を納得させ理解させる録音は、他には残っていないと思うのである。この点で、当盤は稀有の方向性を有した、究極の録音となっているのである。本来わがままで独善的な人物の多い指揮者やピアニストであるが、このように一方が強く抑制を効かせた演奏に終始したことが、かえって過去に例を見ない録音として残されたことは、ある意味驚異的である。できれば、この盤の正当な評価を理解し、レコード会社は今後も廃盤にしないで貰いたいものである。つまり、この盤の鑑賞用としての価値はともかく、演奏史上の価値はとてつもなく高いのである。
(2016年10月20日記す)
2016年10月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記