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ブラームス ピアノ協奏曲第2番 作品83
ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1967年4月14-18日(ウィーン・ゾフィエンザール) DECCA(国内盤
UCGD9050)(SACD) |
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■ 録音から50周年を迎えて
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この歴史的な名盤が録音されたのは、今からちょうど50年前の1967年4月のことであった。実に半世紀もの間に渡って、名盤としての地位を保ち続けたこのディスクについて、久しぶりに聴き直してみることにした。なお執筆するにあたって、同じウィーン・フィルと共演したポリーニ盤(1976年録音、指揮:アバド)と、アシュケナージ盤(1982年録音、指揮:ハイティンク)を比較対象盤として、同時に聴き比べたことを予めお断りしておく。
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■ 第1楽章
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非常に落ち着きのある、ゆったりとした響きで開始される。その後も、決して強引に楽曲が進行することなどはなく、むしろ典雅な佇まいとも言えるような、美しくて若干軽めの音楽にすら聴こえてくるのだが、もちろんこの曲に対する重厚なイメージが、予め刷り込まれている聴き手のフィルターを通した話であって、仮にこの楽曲の予備知識が一切無い人が聴いた場合には、それなりに歯切れの良い響きの充実した音楽に聴こえることであろう。しかし、思いのほか全体を通じて高い品格を感じさせる極めて穏当な美しい音楽に仕上がっていて、録音からはいわゆる強引さとか押しつけがましさとかは、全く感じることがないのである。
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■ 第2楽章
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バックハウスのピアノが非常に良く歌っている。これがまず感じた感想である。それでいて、結構テンポ自体はめくるめくように揺れ、かつペダルもかなり多用しているために、一部では音の濁りも確かに感じ取れる。それでもなお、フレーズの処理に気を配り、第一に歌うこと、第二に勢いを維持すること、この二点を重視しつつとても音楽的に処理しているために、ブラームスの後期ロマン派の音楽特有の世界が、確かに描かれていると言えるだろう。またオーケストラとの呼応も、かなり熱い掛け合いを感じさせる熱演でもある。聴き手は十分に引き込まれていくのだ。これには、バックハウスとベームの長い共演歴も寄与していると思われる。オーケストラも含めて、三者間の共通認識が形成されており、かつ信頼感も感じ取れるので、聴き手は安心して身を委ねることができる。
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■ 第3楽章
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冒頭にチェロの独奏部分を持つこの第3楽章は、ピアノの入りが意外に難しい楽章でもあると思うのだが、バックハウスのピアノは自然体でまさにすーっと入ってくるのだ。気づいたらピアノが入ってきているような、あまりにも違和感のない自然な入り方に、まずはびっくりし、次いで感動させられるのだ。もちろん、若干動きの重い箇所や、流れの多少滞るところなどは、さすがに高齢ゆえに全くないわけではないのだが、それ以上に良い面が目立つために、弱点が決して気にならないし表だって来ないのである。バックハウスに取って、本当に長年弾き込んできた総決算としての意味合いもあるのであろう、実に充実した楽曲進行であり、心から惚れ惚れとしてしまう第3楽章の演奏である。
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■ 第4楽章
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極めて陽気で若々しい音楽として、楽章全体が弾き切られており、老境に入った指揮者と、亡くなる直前のピアニストとの共演であるなどとは、とても信じがたいくらいである。しかも、押しつけがましいような老人特有のわがままな演奏振りでなく、聴き手の自由度を一切束縛しない音楽として、心から楽しく聴くことができるのである。もちろん、若干引きずるような場面もないわけではないが、全体を通して感じることは、楽曲を鷲掴みにするような強い構成力ではなく、もっと推進力の強い楽しく明るく柔らかい音楽になっているのだ。少なくとも聴き手はそのように感じ、とても気を楽に最終楽章を聴き終えることができるのである。全曲を聴き終えたときの聴き手の充実感が非常に大きいことは、言うまでもないであろう。
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■ バックハウスのピアニズムと後期ロマン派
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バックハウスの音楽性の本質は、温かいヒューマニズムに満ちた音楽を奏でることである。バックハウスは晩年に集中的に取り組んだベートーヴェンのピアノソナタ全集の評価が、今なお一人歩きしているためか、彼のピアニズムや音楽の本質に関して、極めて大きな誤解を未だにされ続けているように思う。この誤解が評価面でプラスの方向にされているため、バックハウスの名誉は傷ついていないが、バックハウスの音楽に対する本質を正当に語られていないと信じている。ここでのバックハウスは、ブラームスの音楽を北ドイツの謹厳実直な禁欲的なスタンスから捉え、演奏したわけでは決してない。ブラームスに対する偏見を取り除いて聴く事で、ブラームスの作品とバックハウスの演奏の両方から、それまで見えてこなかったロマンの香りが見えてくるだろう。良く日本で言われるような解釈が、そもそもブラームスの音楽の本質であるとすると、なぜブラームスが「後期ロマン派」に分類されているのだろうか。
ブラームスの音楽の本質が暗いことは確かに否定しえないが、ブラームスが明るい音楽を書いた典型例であるピアノ協奏曲第2番は、ブラームスのイタリア旅行の産物であって、非常に明るい光が差し込んでいる作品であるとの評価が以前から確立している。この事実が、ブラームスの多くの作品の中で、ピアノ協奏曲第2番が極めて人気の高い楽曲の一つになっている理由とも言える訳だが、その典型的な場面は、第4楽章に表れていることは周知の事実かも知れない。また、ピアノ協奏曲第2番の第3楽章におけるブラームスの書法から、ショパンの書法を熱心に研究し、一部は模倣した成果が指摘できるだろう。特に楽章後半部分はショパンの書法の影響下にあるか、ショパンを熱心に研究した成果をブラームスが取り入れた楽章であるとも言えるだろう。まさにロマン派の音楽として、ピアノ協奏曲第2番はそもそも作曲されたのである。
そんなわけで、この盤の世紀の名盤たる価値は、今後も間違いなく維持されていくものと思われる。それと同時に、そろそろ日本においても、バックハウスのピアニズムに関する誤解が正当に解かれることを期待したい。思えば、バックハウスの評伝は、彼の名声に比して非常に少なく、日本語の単独著作としては今なおほとんど見かけることがない。そんな状況も、日本においてバックハウスへの誤解がなかなか解けない要因の一つなのかも知れないと思う。
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■ 日本におけるバックハウス評価の変遷に関する学術論文
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東京大学大学院総合文化研究科教授の杉田英明氏が、学内の紀要に「ヴィルヘルム・バックハウスと日本人-夏目漱石から池田理代子まで-」なる非常に興味をそそられる論文を、近年に発表されておられるのだ。たいへん示唆に富むだけでなく、なぜ日本で鍵盤の獅子王なる呼称が長く用いられたか等々の、歴史的な経緯も詳細かつ学術的に紹介されており、どなたにとっても参考に資するであろう、たいへん優れた論文であると思われる。
この論文は、全文が現在無料で一般公開されており、全体の長さもさして長い文章ではなく、かつ日本語のみで執筆されている論文なので、興味のある方には必見だと思われる。そこで下記にリンクを貼っておきたい。下記URLから直接閲覧可能である。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/55873
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(2017年1月5日記す)
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