ハインツ・ボンガルツ(1894-1978)は、旧東ドイツの指揮者、作曲家、教育者であった。残された音源は決して多くはないが、日本ではあまり聴く機会のないヒンデミットやレーガーの録音は非常に優れていて、これらの録音は高い評価を現在でも受け続けている。また作曲家として残した作品リストの中に、「日本の春」というタイトルの歌曲集が存在している。今回取り上げたブルックナーは、ドレスデン・フィルの首席指揮者を退いた翌年のライプツィヒでの客演録音である。ライプツィヒ音楽大学で教鞭を執っており、教え子にクルト・マズアらがいる。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、長年カペルマイスターを務めたフランツ・コンヴィチュニーが1962年に逝去したため、1964年からヴァーツラフ・ノイマンがカペルマイスターに就任した。伝統あるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、コンヴィチュニーの死の前後から急速に技術的な衰えや音楽の停滞感を示し始めたころの録音であり、後任者ノイマンが祖国でプラハの民主化運動弾圧が1968年8月に発生したため、突如ゲヴァントハウスを辞任するに至り、さらにオーケストラの停滞感や昏迷度が加速していく、そんなオーケストラの危機的な激変時に該当する録音である。
演奏は、残された録音が決して多くないボンガルツの確かな実力を示す一方で、その他の録音とは明らかに異なる方向性を示した録音でもある。このブルックナーの交響曲では、確かな全体像の把握を感じさせる一方で、金管楽器の強奏をはじめとする強い自己主張が見られる。もちろんこの交響曲は、ブルックナーの中でもとりわけ金管の活躍の場が多い交響曲ではある。しかし一方で、管と弦の見事なまでの融和というブルックナーの交響曲の本質の一つが削がれてしまっており、金管の際立った優位性がこの録音全体を支配していると言えるだろう。オーケストラ全体の音もブルックナーの演奏にしては異質なくらい硬く響いてくる。
しかしながら、ここでの演奏は、楽曲全体の進行という面から捉えてみると、実に見事な揺るぎないテンポ感を基礎として、音楽の淀みがなく楽章間の矛盾もなく、全曲が一貫した指揮者の主張のもとに纏められており、ボンガルツの確かな指揮者としての能力を感じさせるのである。少なくとも音楽の構成自体にボンガルツの自己主張は及んでおらず決して恣意的な演奏ではないのである。客演ながらオーケストラの統率も問題なく取れており、この観点から捉えると非常に優れた録音であると言えるだろう。名演であると言って何ら差し支えないのである。突出した金管楽器の扱いに違和感さえ持たなければ、間違いなく名演であるのである。なんとも評価の難しい録音である。
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