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ブルックナー ミサ曲第3番ヘ短調
マリア・シュターダー、クラウディア・ヘルマン、エルンスト・ヘフリガー、キム・ボルイ
オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団 録音:1962年 DG(西独138 829)LP
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ブルックナー ミサ曲第3番ヘ短調
カリータ・マッティラ、マルヤーナ・リポフシェク、トマス・モーザー、クルト・モル
サー・コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団 録音:1988年
PHILIPS(国内盤PHCP-9236)
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ブルックナー ミサ曲第3番ヘ短調
サリー・マシューズ、カレン・カーギル、イルケル・アルジャユレク、スタニスラフ・トロフィモフ
マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団 録音:2019年1月21-25日 BR
KLASSIK(追悼盤全集からの分売)
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■ バイエルン放送交響楽団が首席指揮者と残したブルックナーのミサ曲
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バイエルン放送交響楽団は、世界のトップレベルのオーケストラの中では比較的歴史が浅く、第二次大戦後の1949年に創立されたドイツ・ミュンヘンに所在するバイエルン放送所属のオーケストラで、歴代の首席指揮者は以下の通りである。
初代 オイゲン・ヨッフム(1949‐1960) 第2代 ラファエル・クーベリック(1961‐1978)
第3代 サー・コリン・デイヴィス(1982‐1992) 第4代 ロリン・マゼール(1993‐2002)
第5代 マリス・ヤンソンス(2003‐2019) 第6代 サー・サイモン・ラトル(2023‐ )
今回は、このうち、ブルックナーのミサ曲第3番の録音を残している、初代ヨッフム(1962年録音)、第3代デイヴィス(1988年録音)、第5代ヤンソンス(2019年録音)の録音を聴き比べたいと思う。
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■ ブルックナーのミサ曲第3番ヘ短調について
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ミサとは、キリストの受難と復活を記念するカトリック教会において、典礼の中枢をなす礼拝である。ミサには通年の「通常文」と、季節や祝日によって異なる「固有文」とがあり、聖職者によって唱えられたり聖歌隊によって歌われたりする。このうち、ミサで歌われる5つの「通常文」に音楽を付けたものを一般に「ミサ曲」と呼んでいる。したがって「ミサ曲」では、基本的に決まったラテン語のテキストに曲を付ける。ブルックナーは「ミサ曲第3番」において、以下のような音楽を作曲した。
「キリエ」は、冒頭から厳粛なヘ短調で始まる。歌詞は“Kyrie, eleison”が“Christe,
eleison”の後に回帰するため、音楽も同様に冒頭の再現となる。「グローリア」はハ長調で書かれ、下行旋律を基調とするキリエとは異なり高らかに上行する。三部形式で書かれ“in
gloria Dei Patris”と“Amen”がフーガで締めくくられる。
「クレド」も「グローリア」と同じ3音から構成されており、冒頭の“Credo in unum Deum”だけでなく“Et in
unum Dominum/Jesum Christum”や“Et in Spiritum
Sanctum”でも同じ3音が回帰する。中間部ではイエスの降誕・磔刑・復活と昇天が語られ、場面に合わせて音楽が都度変転する。最後の“Et
vitam venturi saeculi/Amen”はフーガで“Credo”の合唱が間に挟まれている。
「サンクトゥス」は緩急のコントラストが際立つ二部構成である。弦楽合奏で開始される後半の「ベネディクトゥス」は独立した単独楽章として扱われ、深い情感をたたえた慈愛に満ちた楽想である。「アニュス・デイ」は「神の子羊」の意味で、いわば平和への賛歌である。ヘ短調で開始されるがキリエやグローリアの旋律が回帰し、最後はへ長調に転じて平安のうちに曲を締めくくっている。
全体的にブルックナー特有の強奏と弱奏、独奏と総奏など、コントラストに溢れた楽曲構成であり、ブルックナーらしさを満喫できるミサ曲だと言えるだろう。ブルックナーの交響曲と同様に、もっと多く聴かれても良い名曲であると思われてならない。
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■ 1962年録音の初代指揮者ヨッフム盤
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初代指揮者オイゲン・ヨッフムによる、1962年録音のドイツグラモフォン盤である。長年名盤の誉れを受け続けてきた著名なディスクでもあるし、加えて当ディスクはブルックナーの宗教曲全集という、ヨッフムの残した偉業の中の一曲に過ぎないのである。ヨッフム盤は全曲をとおして一切隙を見せずに堂々としたたいへん恰幅の良い演奏で、オーケストラの技量も素晴らしいレベルである。まさに長年名盤の地位を占めてきただけの存在感抜群の録音であると言えるだろう。
全体をとおして早めのテンポで突き進み、想像以上に劇的かつ力強い「クレド」の部分などは、ミサ曲全体の中でも特に聴きごたえがある箇所だと言えるだろう。ただし、合唱団についてはオーケストラの高い演奏レベルと比較すると、多少細部の詰めなどに荒い感じが残る点が少しだけ残念な録音でもある。設立からわずか13年しか経過していない若い交響楽団と合唱団であるが、技術的なトレーニングに関しては、合唱の方がはるかに長く熟練したトレーニングが必要であることが、暗に理解できるような録音であると言っても良いのではないだろうか。決して、この名盤の地位を揺るがすほどの大きな瑕疵ではないのだが、後年の録音と比較して今回気づいた点である。
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■ 1988年録音の第3代指揮者デイヴィス盤
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第3代指揮者であるサー・コリン・デイヴィスの、1988年フィリップスへの録音である。オリジナル版のスコアを使用している。全体的に、デイヴィスの地味ながら端正な音楽を聴かせる姿勢が貫かれている。特に、このミサ曲第3番では、静謐な部分に関してはヨッフムを上回る名演と言えるのではないだろうか。デイヴィスは宗教曲を得意としており、数多くの名演を残している。しかし、合唱団がヨッフム時代ほどではないものの、優れたオーケストラ演奏と比較した場合、やはり少々不安定な部分が残されていると言わざるを得ないのが少し残念でもある。
「キリエ」のまさに厳かと言うしかない静謐さ、「グローリア」の神々しいまでの演奏、「クレド」の極めて印象的な楽曲展開、「サンクトゥス」と「ベネディクトゥス」に於ける精緻な演奏、そして最も緊張を強いられる「アニュス・デイ」における強い集中力。どれをとっても基本的にすばらしいと思う。それらを根底から支えるバイエルン放送交響楽団とコリン・デイヴィス指揮の、明らかな成果であると言えるだろう。バイエルン放送交響楽団の優れた魅力は、全体を包み込むような音の柔らかさであろう。ただ、それはとても微妙な観点でもあるのだが、「グローリア」の神々しくかつ緊張感ある部分の演奏などは、まさに言語を絶するすばらしさと言えるだろう。
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■ 2019年録音の第5代指揮者ヤンソンス盤
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第5代指揮者マリス・ヤンソンスが、亡くなるわずか十か月前に残したライヴ録音である。ブルックナーが教会音楽から交響曲へと、作曲の重点を移し始めた時期の作品で、たいへん厚みのある管弦楽が、随所で後年の交響曲を先取りしているかのように豊かに響き、優れた合唱と相俟って音響的にも音楽的にも、極めてダイナミックで壮大なブルックナーの世界を構築していると言えるだろう。
ヤンソンスは、大規模な編成の作品にこそ適性があり、圧倒的な求心力と統率力を見せていたのだが、このヤンソンス最晩年の演奏でも、彼の求心力と統率力に些かの衰えも感じさせない、たいへん見事な演奏と言えるだろう。とりわけ「クレド」に於ける複雑なフーガの巧妙な処理や、朗々と歌われる「ベネディクトゥス」の恐ろしいまでの美しさは、まさに晩年のヤンソンスならではの際立って優れた個性的表現と言えるだろう。
ただ、ヤンソンスに終生付き纏ってきた、きわめて高度な演奏のわりに没個性的演奏であるとの批評は、このミサ曲からも感じ取れるであろう。誰もが不満を持つことなく感銘を受ける演奏でありながら、強い感動を聴衆に与える個性的な演奏ではなかった。このことをプラスと捉えるかマイナスと捉えるかは、将来のリスナーの判断に委ねられる。そして、この種の批判は、実は2代目指揮者クーベリックもまた、生涯言われ続けて来たことである。もしかしたら、強い個性を持たない代わりに高水準の音楽を常に提供できる、そんな指揮者たちこそが歴代バイエルン放送交響楽団を率いる標準だとも言えるのではないだろうか。ヤンソンスの冥福を心より祈りたい。
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■ 3種類の録音についての若干の私見
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三者三様の演奏ではあるものの、ヨッフム盤もデイヴィス盤もヤンソンス盤も、客観的には十分に名演であると思われる。ただ、オーケストラの技量面では、いずれの録音でもきわめて高度な内容で充実しているのだが、合唱団の細部の詰めなどは、1962年録音のヨッフム盤では若干荒く、1988年録音のデイヴィス盤でも多少の問題を感じさせるのだが、2019年録音のヤンソンス盤では合唱の精度が著しく向上しており、バイエルン放送局所属のオーケストラが設立当初から高い技術を誇っていたのに比べて、合唱団の方は、時代とともに技術を徐々に向上させていったのがはっきりと分かるのである。これこそが、私にとって今回の聴き比べ最大の価値であったのである。
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(2024年11月24日記す)
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