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ヴィルトゥオーゾ!
- ショパン:子犬のワルツ(ローゼンタール編)
- ヨハン・シュトラウス2世:酒・女・歌(ゴドフスキー編)
- メンデルスゾーン:夏の夜の夢から「スケルツォ」(ラフマニノフ編)
- シューベルト:ウィーンの夜会第6番(リスト編)
- ヨハン・シュトラウス2世:ただ一度の人生(タウジヒ編)
- クライスラー:愛の悲しみ(ラフマニノフ編)
- ビゼー:アルルの女第1組曲から「メヌエット」(ラフマニノフ編)
- ヨハン・シュトラウス:ウィーンの謝肉祭(ローゼンタール編)
チャールズ・ローゼン(ピアノ)
録音:1965年2-3月(ニューヨーク) EPIC(アメリカ盤 BC
1312)(LP)
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■ ピアニスト兼音楽学者チャールズ・ローゼン
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チャールズ・ローゼンは1927年アメリカ・ニューヨーク生まれで、2012年に没したピアニスト兼音楽学者であり、同時に大学のフランス語教授でもあった。1959年から74年にかけて、エピック・レコード及び米コロンビアに多くの録音を残した。これらは、2014年にソニー・クラシカルから、チャールズ・ローゼン・コレクション(21CD)として発売されている。彼は後年、音楽学者としても幅広く活躍した。「シェーンベルク」、「ソナタ諸形式」、「ベートーヴェンを読む-32のピアノソナタ」、「音楽と感情」、「ピアノ・ノート-演奏家と聴き手のために」などの邦訳も残されている。
残された録音も幅広いもので、バッハ(ゴルトベルク変奏曲、フーガの技法、他)、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(ピアノソナタ第27番〜第32番、他)、シューベルト、ショパン、シューマン(謝肉祭、ダヴィッド同盟舞曲集)、リスト、ドビュッシー(練習曲集、他)、ラヴェル(クープランの墓、夜のガスパール)、バルトーク、シェーンベルク、ヴェーベルン、ストラヴィンスキー、エリオット・カーター、ピエール・ブーレーズ(ピアノソナタ第1番、第3番)等々、非常に幅広く、特にベートーヴェンのハンマークラヴィーアソナタは、1964年(ニューヨーク録音)と70年(ロンドン録音)の2度録音している。また、ストラヴィンスキーは、作曲者自身の指揮で「ピアノと管弦楽のためのムーヴメンツ」を残している。
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■ 大穴の「ヴィルトゥオーゾ!」はエピックレコードへの録音
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日本の真面目な音楽評論家や音楽愛好家が、心から毛嫌いし身の毛のよだつ曲目ばかりを並べて録音したと言えるかも知れない、この痛快極まりないアルバムは、チャールズ・ローゼンが米エピックレコードに1965年に録音したものである。非常に有名な原曲を、ケバケバシクかつ極めて高度に技巧的な超絶技巧ピアノ曲に編曲した、いわゆるヴィルトゥオーゾ・ピアニストのためのショウピースばかりである。原曲が余りにも有名なので、個々の楽曲の解説などは一切不要であろう。
このような楽曲を演奏するピアニストを、一般に多少軽く見たり、王道から外れたピアニストとして毛嫌いする文化が、日本には今もなお深く根付いていると言えるだろう。あのホロヴィッツのアンコールピースにも、彼自身が編曲または即興演奏したカルメン変奏曲等があるのはご承知の通りである。これすらホロヴィッツ唯一の汚点として、捉える向きも未だにあるように思えるし、ホロヴィッツを一生懸命擁護するために「彼はこのようなショウピースをアンコールで取り上げたのであり、プログラムの根幹に据えたわけではない」などと、勝手に擁護する向きすら今もあるのだ。
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■ 実に楽しいアルバム
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さて、チャールズ・ローゼンは音楽学者として、マジメな学術論文を後年多く発表しているのだが、一方でローゼンはこのレコードを何かのアンコールピースとしてではなく、独立した1枚のアルバムとして完成させ、堂々と発売しているのである。どう考えても、日本人の考える西洋伝統音楽の「文化」とは異なる、軽視されてもやむを得ないようなアルバムであろう。それにもかかわらず、ローゼン自身がとても楽しんで弾いているのが目に浮かんでくるような、本当に楽しいウキウキするようなアルバムなのである。もしもこのディスクを入手されたならば、ぜひ気楽にのんびりと聴いてほしい、そのように私は念願する。そのこと自体が、このアルバムの録音及び制作目的の本旨なのであるから。
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■ チャールズ・ローゼンの出自は?
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実は、彼の師匠は、フランツ・リストの高弟であったモリッツ・ローゼンタールだったのである。つまり、彼の顔は、残された楽譜を重視する客観的で厳格な立場、現代音楽を演奏し普及に努める立場、音楽学を追究し音楽の学問上の発展に寄与する立場、以上の3つに留まらず、リスト以来のヴィルトゥオーゾ・スタイルを維持する立場も、そもそもチャールズ・ローゼンは有していたのである。そして、ヨーロッパ伝統音楽とは、これらの全てが共存しつつ徐々に形成されていったものであり、ある演奏が正しいか、或いは正しくないかとかは、本質的には存在していないのである。
特に日本における西洋音楽のような、教育上の目的を根幹とした音楽などは、当地ではあまり考えられなかった。もちろん、これは言いかえると、音楽の持つ力自体が日本における立場よりもはるかに高度かつ大きなものであったために、いわゆる政治利用・政治目的から避けえない悲劇をももたらした、そんな負の歴史も確かに存在しているとも言わざるを得ないだろう。
たとえば前世紀の世界大戦当時の音楽家は、政治に迎合して後日冷や飯を食うか、政治に抵抗して終戦まで壮絶な生活を送るか、このどちらかの二者択一を迫られるような、まさに悲惨とも言える悲劇的な過去にも齎されたのである。そしてプロパガンダ音楽には、あのトスカニーニですら、放送や録音を通じて積極的に関与していたのである。もちろん、そのことも含めて、音楽家の活動として決して批判には値しないのだが、同様にこのようなヴィルトゥオーゾ楽派とも言える立場もまた、正しく歴史的に成立し、現在も存在しているのである。
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(2017年1月3日記す)
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