ショパン・コンクール過去の入賞者たちの音源から−第1回−

文:松本武巳さん

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1回−1927123日〜130
応募者34名、参加者8カ国26名

<主な出場者と結果>
1位 レフ・オボーリン(ソ連)
第2位 スタニスワフ・シュピナルスキ(ポーランド)
予選落ち ドミトリー・ショスタコーヴィチ(ソ連)

<審査委員長>
ヴィトルト・マリシェフスキ(ポーランド)

<音源>

CDジャケット

1位 レフ・オボーリン
練習曲作品106109251252253
夜想曲嬰ハ短調遺作
ワルツ作品642
子守歌作品57
マズルカ作品503
録音:19471955年(ソ連、ポーランド)
muza(輸入盤 PNCD001

 

2回−193236日〜323
応募者200名以上、書類選考通過18カ国89名、参加者14カ国68名

<主な出場者と結果>
1位 アレクサンダー・ウニンスキー(無国籍、ロシア人)
第2位 ウンガル・イムレ(ハンガリー)

<主な審査員>
アダム・ヴィエニアフスキ(ポーランド=委員長)
カルロ・ゼッキ(イタリア)
モーリス・ラヴェル(フランス)
カロル・シマノフスキ(ポーランド)

<音源>
1位 アレクサンダー・ウニンスキー
夜想曲作品152
練習曲作品105
マズルカ作品61633
ワルツ作品701
録音:1932年(ポーランド)
muza(輸入盤 PNCD001

3回−1937221日〜312
応募者250名、書類審査通過22カ国105名、参加者21カ国79名

<主な出場者と結果>
1位 ヤコフ・ザーク(ソ連)
第2位 ローザ・タマルキーナ(ソ連)
第6位 エディット・ピヒト=アクセンフェルト(ドイツ)
第8位 ヤン・エキエル(ポーランド)
予選落ち 原智恵子、甲斐美和(日本)

<主な審査員>
アダム・ヴィエニアフスキ(ポーランド=委員長)
ゲンリヒ・ネイガウス(ソ連)
ヴィルヘルム・バックハウス(ドイツ)

<音源>
1位 ヤコフ・ザーク
夜想曲作品321371
マズルカ作品172331632633
ワルツ作品343
録音:19481955年(ソ連)
muza(輸入盤 PNCD001

CDジャケット

予選落ち 原智恵子
スケルツォ第2番作品31
録音:1937
ローム・ミュージック・ファンデーション(日本SP名盤復刻選集T−CD3

 

■ ショパンイヤーに少々添え物を 

ショパン・コンクール1927−1995の歴史
ショパン・コンクールの覇者たちのコンクールライヴ音源集5CD

 今年はショパン生誕200年(1810−1849)に当たるため、すでに非常に多くショパンの音源が出されているように思います。そこで、過去のショパン・コンクールの入賞者たちの音源を、できる限り入賞当時の音源で比較視聴してみたいと思いました。第1回は、戦前に開催された第1回(1927年開催)から第3回(1939年開催)までの、3回のコンクールについてです。

 ショパン・コンクールは、第1回から第7回(1965年)までは、2月のショパンの誕生日に基本的に日程を合わせて開催されておりましたが、寒さのために体調を崩して実力を発揮できない参加者が多かったことなどもあり、第8回(1970年)以降は、ショパンの命日である10月を中心に開かれるように変更になりました。

 なお、資料として用いておりますのは、ポーランド政府とショパン協会が2000年に出版しました、ショパン・コンクール1927−1995の歴史を紹介した大型書籍(ポーランド語のみ、写真上)と、学習研究社が、ワルシャワの覇者という、実に31枚組みのDVDに付録として付けた、第1回から第14回までのショパン・コンクールの記録本(日本語、写真下)、さらにポーランド国営のレコード会社であるmuzaから、1990年に発売された、ショパン・コンクールの覇者たちのコンクールライヴ音源集5CD(英語、ポーランド語)の、以上3点の資料や音源から、データ等をリファレンスの上で基本的に引用しておりますことを、予めお断り申し上げます。その他の文献からの引用等を行う場合は、その都度明記したいと考えております。

 

■ 第1回ショパン国際ピアノ・コンクール 

 

 第1回は、1927年の1月に開催されました。わずかに応募者34名、参加者26名のたいへん小規模な形式で実施されました。記念すべき第1回を制したのは、ソ連のレフ・オボーリンでした。第5回で第2位に入賞するアシュケナージの先生として著名ですし、近年話題になっているペーター・レーゼルの先生でもあります。ここに残されたショパンの録音は、戦後のものですが、非常に端正な演奏で、折り目の正しい正統派の演奏ですが、どちらかといえば高名なピアノ教師オボーリンを表しているような録音となっています。また、ヴァイオリンのオイストラフとの競演の中には、歴史的名盤として燦然と輝いている録音も残されておりますことは、皆さまに取りましてもオボーリンが身近なこととして、感じられるのではないでしょうか。

 また、予選落ちした参加者の中に、ソ連から参加したドミトリー・ショスタコーヴィチがおりました。記録によれば湿度が高く、雪の続くワルシャワで体調を崩し、風邪気味となった彼は敢え無く予選落ちとなりました。この後ショスタコーヴィチはピアノの自信を喪失し、作曲に専念するようになったとのことですが、例えば自作の交響曲第10番のピアノ版(2台ピアノ版)などの録音を聞きますと、彼が本当に確かなピアノの腕前であったことが、いとも容易に確認でき、この第1回ショパン・コンクールの予選落ちは、少々残念なことであったと思わざるを得ません。

 

■ 第2回ショパン国際ピアノ・コンクール 

 

 第2回は、1932年の3月に開催されました。参加者は激増し、審査員も世界中とまでは言えないまでも、ヨーロッパ中から大物が参加しました。

 亡命ロシア人(実際はウクライナ人)であるアレクサンダー・ウニンスキーが第1位となりましたが、第2位のイムレと同点となり、何とコイン投げにより第1位を決定したとの記録が残されております。なお、イムレは全盲のピアニストでした。コンクール時の録音がウニンスキーに関して残されており、非常に貧しい音の中から、後年の彼のショパン演奏に通ずる、高貴な表現が聴き取れます。50年代にフィリップスに多くのショパンの録音を残しており、その中でもマズルカ全集の復刻CDは、紛れも無い名演であったと思います。

 

■ 第3回ショパン国際ピアノ・コンクール  

 

 第3回は、1937年の2月から3月にかけて行われました。参加者はさらに増え、国際コンクールとしての体裁を整えて来つつありましたが、残念なことに第2次世界大戦でこの後1949年まで開催が途絶えてしまいます。

 第1位のヤコフ・ザークはショパン・コンクールの覇者の中で、たぶん最も無名であろうかと思われます。彼は、演奏家としてよりも、やはり名教師として知られ、ヴァレリー・アファナシエフの教師であったことが、彼の存在を最も評価することになると思われます。一方、第8位入賞のエキエルは、今回(2010年)からコンクールの公式の楽譜として指定された「エキエル版」の編集者です。前回(2005年)のコンクールでもエキエル版の使用を推奨されておりましたが、ポーランド政府の財政状況もあって、全集の完成が遅れていたものです。

 また、日本から初めて参加者があり、特に原智恵子は抜群の人気を誇りましたが、下馬評どおりの結果とならず、敢え無く予選落ちとなりましたが、きわめて高い評判と話題を提供しました。彼女の帰国直後のスケルツォ第2番の録音が、日本でもCDに復刻されており、当時すでに日本人の演奏技術がかなり高いレベルに達していたことを窺わせる録音となっています。

 

(2010年7月31日記す)

 

2010年8月5日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記