ショパン・コンクール過去の入賞者たちの音源から−第3回−

文:松本武巳さん

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6回−1960222日〜313
応募者144名、書類選考通過31カ国87名、参加者30カ国78名

<主な出場者と結果>
1位 マウリツィオ・ポリーニ(イタリア)
第2位 イリーナ・ザリツカヤ(ソ連)

<主な審査員>
ズビグニェフ・ジェヴィエツキ(ポーランド=委員長)
ヤン・エキエル(ポーランド)
ディミトリー・カバレフスキー(ソ連)
ゲンリヒ・ネイガウス(ソ連)
ナディア・ブーランジェ(フランス)
ステファン・アスケナーゼ(ベルギー)
ミェチスラフ・ホルショフスキ(アメリカ)
マグダ・タリアフェロ(ブラジル)
アルトゥール・ルービンシュタイン(アメリカ)

<音源>

CDジャケット

1位 マウリツィオ・ポリーニ
ポロネーズ第5番作品44
ピアノソナタ第2番作品35
録音:1960年(コンクールライヴ)
muza(輸入盤 PNCD002

 

7回−1965222日〜313
応募者109名、書類選考通過30カ国85名、参加者30カ国76名

<主な出場者と結果>
1位 マルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン)
第2位 アルトゥール・モレイラ=リマ(ブラジル)
第3位 マルタ・ソシンスカ(ポーランド)
第4位 中村紘子(日本)
予選落ち(名誉賞) ヴィクトリア・ポストニコーヴァ(ソ連)

<主な審査員>
ズビグニェフ・ジェヴィエツキ(ポーランド=委員長)
ニキタ・マガロフ(スイス)
ヤコフ・フリエール(ソ連)
ヴラド・ペルルミュテール(フランス)
ヤン・エキエル(ポーランド)
マグダ・タリアフェロ(ブラジル)

<音源>

CDジャケット

1位 マルタ・アルゲリッチ
練習曲作品10110
スケルツォ第3番作品39
夜想曲作品552
舟歌作品60
ポロネーズ第6番作品53
録音:1965年(コンクールライヴ)
muza(輸入盤 PNCD002

 

■ 第6回ショパン国際ピアノ・コンクール 

 

 ポリーニに始まり、ポリーニに終わったコンクールでした。しかし、その伏線は、久しぶりに祖国に帰り、名誉審査委員長を務めた名ピアニストのルービンシュタインの発言にあると言えるでしょう。ルービンシュタインの「彼はここにいる誰よりも上手い」との発言が、その名文句とともにいまだに語り継がれている、そんなポリーニの優勝でした。しかし、残されている音源は、1960年になっているにも関わらず、なぜか霞のかかったような音質で、ルービンシュタインの賞賛とも嘆きとも受け取れる名言を、その場に居合わせることが出来なかった聴衆が堪能するには、あまりにも貧弱な音質に留まっているのです。

 さて、それはともかく、実際のところ確かにポリーニの圧勝であったと思います。彼が弾く練習曲の作品25−6、いわゆる3度のエチュードは、聴いていて難曲であることを全く感じさせません。当時18歳であった彼は、驚異的な超絶技巧を示していると思われます。同じ曲を5年前のアシュケナージも弾いておりますが、確かにアシュケナージも完璧に弾いておりましたが、そこに機械的なイメージを聴き手が持ってしまうような演奏でもありました。もちろん、完璧であったからこそ、聴き手が機械をイメージできるので、決してアシュケナージへの批判では無いのですが、ポリーニはそれとは若干異なったものを感じさせてくれました。

 何が異なるかと言えば、ポリーニの演奏が芸術的かどうかと言う差ではなく、この曲を弾くポリーニの雰囲気から、何と余裕を感じさせる部分があることの差であろうと思うのです。この雰囲気を醸し出した瞬間、彼の勝利は決まったも同然だったように思うのです。恐るべき出来事でした。

 その後のポリーニに関しては、特に多くを付け加えることは無いと思います。ただ、今年の8月22日、ポリーニはザルツブルクで前奏曲と練習曲作品25を柱としたプログラムで、一夜のリサイタルを開催しました。昨年末に予告されたプログラムでは、ともに全曲演奏であるかのような期待を持たせてくれましたが、実際には前奏曲作品45で開始し前奏曲作品28の全曲を演奏した後、休憩を挟んで、後半のエチュード作品25は、1−5、7、10−12番の抜粋演奏であり、3度のエチュード(6番)と6度のエチュード(8番)は外されておりました。

 ポリーニは、テクニックがかなり落ちたと囁かれる最近でも、実際にはかなりの技巧を維持しておりますが、彼なりの考えもあってか、上記の9曲抜粋での演奏となりました。決して不満を持ったのではありませんが、ある年齢にしか成し遂げられない演奏と言うものが、どんな名演奏家にも存在することを改めて思い知らされたように感じました。もちろん、18歳当時のポリーニは、今年の秋の来日公演で予定されている、「バッハ平均律第1巻全曲」などと言うリサイタルを挙行することは、逆に絶対にあり得なかったでしょう。ポリーニは今も成長しているのだと思いますが、ファンの心理として、何としても「聴きたかった」思いも残りました。

 

■ 第7回ショパン国際ピアノ・コンクール 

 

 1965年は、アルゲリッチに始まり、アルゲリッチに終わったコンクールでした。そして、冬場の開催(ショパンの生誕日に合わせての開催)はこの第7回が最後となり、第8回からはショパンの命日を挟む形の日程で、コンクールが開催されるように変更されました。真冬のワルシャワの厳しい気候から、体調を崩してしまい、本来の力を出し切れない出場者が多く出ていたことが、開催時期の変更を決めた原因の一つであると言われています。

 さて、実はアルゲリッチは、第6回の優勝者ポリーニよりも1歳年長です。二人は、かつてジュネーブのコンクールで戦い、1位アルゲリッチ、2位ポリーニの結果が出ております。その後、非常に若かったポリーニは、ピアニストとしてデビューせずにそのまま勉強を継続したため、逆に1960年のショパン・コンクールに参加し、優勝しましたが、アルゲリッチはジュネーブ優勝後、プロのピアニストとしてデビューし、1960年にはドイツ・グラモフォンへのレコードまで吹き込んでおりました。しかし、アルゲリッチは芸術的な迷いから、若干演奏から遠ざかった時期を経て、迷いの精算の場として、1965年のショパン・コンクールに出場し、みごとに優勝したようです。

 また、この第7回コンクールの話題として、一つに日本人の中村紘子が第4位に入賞したことが挙げられると思います。日本人として初めての上位入賞者となった中村が開拓した分野は、大きかったと言えるでしょう。その後、今なお日本人の優勝者が出ていないことも考えますと、中村の切り拓いた成果をもっと評価しても良いように思います。もう一つの話題は、第3位に入賞した地元ポーランドのマルタ・ソシンスカでした。優勝したアルゲリッチとファーストネームが同じであるだけでなく、何とソシンスカはコンクールに臨月の状態で臨み、みごとに3位入賞を果たしたのです。こんな話題性にも富んだ、第7回ショパン・コンクールでした。

 

■ ポリーニとアルゲリッチ   

 

 さきほど、多少話題を振りましたが、1960年のポリーニと、1965年のアルゲリッチが連続してショパン・コンクールに優勝したことは、今日のショパン・コンクールの隆盛を決定付けた一こまであると言い切れるでしょう。もちろん、このコンクールが輩出した名ピアニストは非常に多く、トップレベルのコンクールの一つであることは間違いありません。しかし、この2名は、開催国ポーランドの出身でない上に、所謂ショパン弾きでもないのです。つまり、ショパン・コンクールが課題曲としてショパンの曲だけを指定しているのにも関わらず、汎用的な国際ピアノ・コンクールとして通用する証明を与えられたのは、ポリーニとアルゲリッチが連続して優勝した事実に尽きるように思います。

 ところで、ポリーニとアルゲリッチは、芸術家としてのタイプも嗜好もかなり対極に位置するピアニストであろうと思います。二人が共通するのは、技巧面の高さと安定度以外にはあまり無いのかも知れません。しかし、それぞれが最高峰の位置にコンクール後半世紀もの間に亘って君臨し続けているのは、二人にとっても結果としてショパン・コンクール優勝の過去が相乗的効果をもたらし続けているように思えてなりません。つまり、コンクールと性格の異なる二人のピアニストの3極が、全ての関連付けにおいてプラスに寄与しているように思います。それを直接意識することはないのかも知れませんが、二人が対極にあればあるほど、コンクールの名声も含めて高い地位を維持している、そんな幸せな関係に、知らず知らずのうちになっているのかも知れません。

 私個人は、アルゲリッチに特段の魅力を感じません。しかし、それはアルゲリッチの作り上げた芸術のレベルが低いからではなく、単に私の好きな方面の楽曲を、アルゲリッチが好んでいないか、またはあまり取上げていないことに尽きるのです。その一方で、アルゲリッチが年輪を加えても、技巧面や直感的な閃きが全く衰えていないことには、本当に驚愕します。そのため、私が好んでいる楽曲を、アルゲリッチがたまたまレパートリーに加えているような場合には、その曲をたとえ何度再録音しようと、何度コンサートで演奏しようと、その都度また聴きたいと念願しているのです。これは本当に凄いことであると感じます。

 一方のポリーニは、大病を患った経緯もあってか、技巧的な側面はかなり低下したように思います。しかし、低下したと言っても通常のプロのレベルを依然として遥かに凌駕していることと、大病が癒えた後のポリーニは、悪い面での繊細さ(幾分神経質な側面)が減退し、演奏すること自体を楽しんでいるような場面が増えてきたため、むしろ私自身は、最近のポリーニを好み、以前よりも聴きに行く機会が増えてきました。本当に、二人とも、息の長い活動を継続してくれているように感じますし、未だにショパン・コンクールの将来を明るくしてくれている、大きな原動力であるように思います。

 

(2010年10月1日記す)

 

2010年10月8日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記