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ショパン ピアノソナタ第3番作品58
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グレン・グールド(ピアノ)
録音:1970年、カナダ(放送用録音) SONY
CLASSICAL(SRCR-9872)
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サンソン・フランソワ(ピアノ)
録音:1964年、フランス・パリ EMI Pathe-Marconi (SAXF
1030)LP(フランス初出盤)
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■ グールドの残したショパン作品唯一の正規録音
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1970年にカナダのラジオ局の放送用録音として正規に残したものを、後年ソニーがディスク化したものである。一般的には非常にレアな録音とされており、グールドがショパンに向かなかった例として語られることも多い音源である。グールド本人が、80年代に入ったころに、インタビューで失敗作だと語っていることを、ほぼそのまま真に受けたのではないかと、そんな風にも思われてならない。しかし、さすがにグールドの代表作だとは言い難いが、ショパン演奏にもそれなりに対応しているようなレベルではなく、グールドの演奏嗜好の本質が、実は非常にロマン的なものではなかったかと、そんな風に推測できる貴重な音源であると、私は信じている。私はもっともっとグールドのショパン演奏を聴いてみたかった。
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■ フランソワの残したソナタ第3番唯一のスタジオ録音
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一方、数多くの優れたショパン録音を残したフランソワなのだが、このピアノソナタ第3番のスタジオ録音は、実は1964年録音のもの一種類しか残されていないのである。かつ、当時は病み上がりであったためか、全体的に少々不安定な演奏であると言わざるを得ず、評価が割れている側面がある録音となっている。
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■ 共通する第1楽章の異様に遅いテンポ設定
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演奏時間はともに9分50秒前後である。繰り返しを実行しない場合の演奏時間は、通常は8分台であり、例えばコルトーの残した録音は、8分30秒程度である。全体的に非常に遅めのテンポであることが、まず共通しているのである。グールドがいつものように和音を分散させて弾いたりしていなければ、両者は非常にテンポが近いだけでなく、演奏解釈自体も実は近いものとなっていることに少々驚かされる。かつ、左右の手をほんの少しずらして弾く、コルトーが多用していた往年のショパン演奏スタイルも、両者ともに少し見られるために、現代の弾き手とは明らかに異なっているスタイルまで似ているのである。
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■ 本領を発揮したフランソワの第2楽章
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第2楽章に限って言えば、フランソワの方が一日の長がある演奏だと言えるだろう。粒立ちの非常に良い、まるでころがるようなリズム感の良い演奏である。一方のグールドは、バッハの演奏時に彼が用いるタッチに近づくことを避けるためか、自ら演奏を意図的に崩してしまう面が見られ、聴かせどころを十分に押さえ切れていない演奏になってしまっている。さすがにこの楽章における演奏は、両者の違いが大きいと言えるだろう。
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■ 両者に共通する第3楽章の歌ごころ
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ともにたっぷりと歌っており、本来はどうしてもダレやすい楽章であるのだが、両者ともに聴かせどころをきちんと押さえているために、聴き手は演奏の流れに乗ることができるのである。楽曲自体に変化に乏しい側面があるため、この楽章はどうしても睡魔に襲われることも多いのだが、両者ともに変にロマンティックに傾斜することなく、すっきりと全体を進行させていくためか、結果的にいずれも優れたショパン演奏になっていると言えるだろう。
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■ フランソワよりもショパンらしさが感じ取れるグールドの終楽章
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終楽章に於けるフランソワの演奏は、演奏上の破綻こそないものの、妙に流れがギクシャクしており、テンポの伸び縮みが若干不自然である。病み上がりのためか、精神的にも技術的にも若干不安定さが感じ取れる演奏であるため、フランソワのショパンの中でも評価が割れやすい録音となっている。
一方のグールドの演奏は、フランソワ風のテンポの伸び縮みはほとんど見られず、非常に端正に楽曲を進行させており、それゆえに一般的な意味でのショパンらしさが、グールドの演奏から十分に感じ取れるのである。グールドが決してショパンに不適正ではなかったことが、しっかりと立証されているように思えてならない。このグールド唯一のショパン録音は、できればいつまでも入手可能であるように願いたい。
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(2020年12月14日、音楽に癒されつつ記す)
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