チッコリーニとマルティノンによる「ドビュッシー&ラヴェル協奏曲集」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ドビュッシー
ピアノと管弦楽のための幻想曲
アルド・チッコリーニ(ピアノ)
ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送局管弦楽団
ラヴェル
左手のためのピアノ協奏曲
ピアノ協奏曲ト長調
アルド・チッコリーニ(ピアノ)
ジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団
録音:1974年3‐4月、パリ、サル・ワグラム
ワーナー・ミュージック(国内盤 WPCS 13193)

 

■ チッコリーニとマルティノン

 

 アルド・チッコリーニは1925年イタリアのナポリ生まれ。作曲家フランチェスコ・チレアに認められ、ナポリ音楽院に入学した。1949年にロン=ティボー国際コンクールで優勝。1949年パリに移住し69年にフランスに帰化した。パリ国立高等音楽院で長年教鞭をとり、門下生にジャン=イヴ・ティボーテ、ニコラ・アンゲリッシュらがいる。2015年2月1日、パリの自宅で亡くなる。このディスクは2009年本人立会いで行われたリマスタリング音源を使用した、国内追悼盤の1枚である。

これらの協奏曲録音は、ドビュッシー、ラヴェル両方の管弦楽曲全集を録音した名指揮者ジャン・マルティノンの指揮による全集中の1枚である。両者は同時期の録音だが、使用したオーケストラは異なっており、いずれの管弦楽曲全集もマルティノンの代表作であるばかりか、代表的な全集の地位を今なお確保している。

 なお、この国内盤では、ドビュッシーも含めて、全ての楽曲がジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団との共演とクレジットされているが、ドビュッシーの幻想曲を担当したオーケストラは、フランス国立放送局管弦楽団であると思われる。

 

■ ドビュッシーの幻想曲

 

 この曲は、ドビュッシーの若いころ、ローマ大賞を受賞した際に留学したイタリアから帰国直後の作品であるが、初演時の指揮を担当予定であった作曲家ダンディとのトラブル等により、結果的に初演されたのはドビュッシーの死後、作曲されてから実に30年が経過した1919年、コルトーのピアノによってであった。このディスクは、1968年に出版された改訂版を用いた演奏である。

 後年のドビュッシーの作風とは大きく異なり、極めてロマンティックで甘く柔和な幻想曲であるが、初期段階で見られたワーグナーからの影響はすでに殆ど見られなくなっており、一歩前進した書法を見せている美しい曲である。それゆえ、ロマンティックな作風を重視した視点からの演奏も成り立つであろうが、ここでのチッコリーニとマルティノンは、ドビュッシーの若書きの作品であることを意識してか、極力ロマンティックな方向からの切り口を避けて、前進性の強い勢いのある演奏姿勢を貫いており、非常に聴き映えがする。素敵な演奏である。

 

■ ラヴェルの2曲のピアノ協奏曲

 

 まず、あれほどフランス音楽全般に精通し、数多くのフランス音楽の全集を残したチッコリーニであるにもかかわらず、実はラヴェルの独奏曲録音はあまり多くを残していないし、協奏曲に関してもスタジオ録音はこの録音のみであると思われるのだ。このことを前提として、以下はお読み頂けると幸いである。

 左手のための協奏曲は、ラヴェル晩年のジャズに通暁した作品であることが知られているためか、どうしてもクラシカルな視点から演奏された録音があまり多くない上に、ステレオ初期にサンソン・フランソワとクリュイタンスによる超絶的な名録音が残されていることもあって、妙に意識的に崩した録音や、不慣れな弾き方に終始した録音などが想像以上に多く、いわゆる名盤と言える録音が意外に少なく、今なおサンソン・フランソワの牙城がまったく崩されていない、考え方によれば不幸な名曲であると言えるのではないだろうか。

 このチッコリーニとマルティノン盤は、チッコリーニがふだんラヴェルをあまり得意としていなかったと想像されること、さらにフランソワと同時期に同じレコード会社所属であった経緯などから、結果的に思わぬプラス方面の効果が生じているように思えるのだ。チッコリーニは、ラヴェルの左手の協奏曲を、この作品の表面的な魅力にあえて背を向け、ラヴェルの残した作曲書法そのものの非常に緻密かつ堅牢な構築を、演奏の前面に押し出して、まさにがっちりとした楷書体の演奏を行っているのだ。そのため、知られざるこの協奏曲の本質的な部分が浮き上がって聴こえてくる秀逸な演奏となっているように思えてならない。このようなラヴェルを常時聴こうとは思わないが、それは毎日フランソワを聴いて過ごしたいとは思わないのと同じで、フランソワの名盤のまさに対極にある独自の存在感を示す録音であるように思え、私は高く評価したい。

 その意味では、より著名なト長調の協奏曲の方は、若干独自の魅力に欠ける録音であると言わざるを得ないだろう。しかし、これまた視点を変えてみると、これぞまさに協奏曲と言うか、第1楽章冒頭から管弦楽と対峙した堂々たるピアノ演奏を行っており、まるでベートーヴェンやブラームスの作品のような、ドイツ的なピアノと管弦楽が渡り合う『横綱相撲』を繰り広げているのである。つまり、一般的に期待するようなラヴェルの音楽特有の洒脱さや垢ぬけた面白みはないかも知れないが、チッコリーニとマルティノンによる2曲のラヴェルの協奏曲の演奏は、ある程度この協奏曲に馴染んでいる聴き手には、非常に刺激的な部分が多く感じ取れるのではないだろうか。

 

■ 最後に

 

 実は、この原稿のきっかけは、1970年半ばにこの2つの管弦楽全集が発売されたころに、日本の東芝音楽工業が発売した1枚の編集もののLPに遡る。一見なんの変哲もないドビュッシーのピアノ名曲集のレコードなのだが、フランソワの未完のドビュッシー全集が廃盤になった後に、未完の全集から一部の音源と、チッコリーニの同時期の1枚のリサイタル集から、編集発売した謎のレコードであったのだ。しかも、決して廉価盤ではなかったのである。

表面の収録が、子どもの領分と2つのアラベスク、喜びの島で、真ん中の2つのアラベスクがチッコリーニの演奏。裏面は、ベルガマスク組曲、夢、レントより遅く、舞曲の収録で、夢と舞曲がチッコリーニの演奏であった。ちなみに未完のフランソワの全集には、このレコードでチッコリーニが担当した楽曲の録音は全て含まれていた。レコードはCDとは違い、チッコリーニだけを聴くとか、フランソワだけを聴くのがそもそも難しい性質がある。

 私がこのレコードを購入した経緯は、フランソワ追悼盤として発売された4枚組の『ドビュッシー全集(未完)』の廃盤後、後日分売された2枚のLPには収録されていなかった、「レントより遅く」が、何とこのLPに収録されていたことが動機であったのだ。ピアノ曲を良く知る方なら、この曲(レントより遅く)の演奏時間が4分台に過ぎないことをご存知であろうと思われる。さらに、チッコリーニの演奏で収録された2つのアラベスクに至っては、未完の全集を除きLP時代には一度も再発売されていないのである。その意味ではフランソワのファンにとって、まさに泣きたくなるようなレコードであったのだ。

 フランソワのファンも、チッコリーニのファンも手が出しにくい、この謎の編集レコードは、客観的には各々のファンの怒りを買っただけであっただろう。私は、個人的には昔からフランソワの熱心なファンであった。しかし、ピアノの学習も本格的に続けていた私にとって、フランソワは決して真似をしてはならない(というか、真似は不可能だった)、まさに聴き手として不可侵な存在であったのだ。一方でチッコリーニは、たとえばバッハのインヴェンション全曲のような、ピアノ学習者のお手本も多く出していたピアニストであり、ピアニストとしての好悪とは別として、当時は良きピアノの先生、お手本であったのだ。

 私がどんな気持ちで、当時このレコードを聴いていたか、もはやこれ以上書く必要はないであろう。今となっては、レコード会社の愚策又は暴挙に一定の感謝を捧げるべきなのかも知れない、ようやくそんな風に思えるようになってきたのである。

 

(2020年5月23日記す)

 

2020年5月23日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記