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ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」
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フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団
録音:1957年11月 RCA(USA盤 66376)SACD |
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ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団 録音:1959年3月 Sony
Classical(欧州盤 88697689582)
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アンタル・ドラティ指揮 ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団 録音:1959年9月
PHILIPS(オランダ盤 6500 218)LP
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フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1959年10月
DG(ドイツ盤 LPM 18 627)LP
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イシュトヴァーン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1961年3月
DECCA(国内盤 UCCD 7213)
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■ ハンガリーを代表する指揮者たちによるステレオ初期の名演奏
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チェコの代表的作曲家であるドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を、隣国ハンガリーの指揮者たちもこぞって取り上げているのは、ある程度当然ではあるだろう。しかし、ステレオ初期の短い期間に、世界を代表するオーケストラを指揮したこれらの録音については、単なる偶然を超えた関連性があると看做さざるを得ない。そこで、各々の名録音を紹介してみたいと考える。相互レファレンスは控えて、まずは各々の録音について順に聴き比べてみたいと思う。
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■ わずか3年半の間に、5種類もの名録音が生まれた
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ここで取り上げる5種類の新世界交響曲は、最も古い録音で1957年11月、新しい録音で1961年3月である。つまり、わずか3年5ヶ月の間に集中しているのである。EMIを除く世界の著名なレコード会社が、こぞって新世界交響曲の録音に際して、ハンガリーの指揮者を登用して録音を敢行したわけである。ちなみにEMIはこの時期にルーマニア出身のシルヴェストリや、あのクレンペラーを使った録音を残しているので、発想としては他社と似ていると言えるだろう。また、本家チェコのスプラフォンはもちろん、自国の指揮者を登用して録音を重ねていたことは言うまでもないだろう。
一方の亡命チェコ人指揮者であったクーベリックも、1952年にシカゴ響(マーキュリー、モノラル録音)、1956年にウィーン・フィル(DECCA、ステレオ録音)を指揮して録音を残している。ただし今回の試聴記では、近い時期に録音がなされたケルテスとウィーン・フィルに、聴き比べを譲りたいと考える。(クーベリックも、実はチェコ国籍だけでなくハンガリー国籍を有していた。)
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■ ライナー指揮シカゴ交響楽団
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フリッツ・ライナー(1888 -
1963)は、ハンガリーの首都ブタペスト生まれの指揮者である。ドレスデン歌劇場などの指揮者を経て1922年に渡米した。渡米後はメトロポリタン歌劇場などで指揮を務めた後、アメリカ国内のシンシナティ響やピッツバーグ響の音楽監督を歴任した後、1953年に辞任したクーベリックの後を継いでシカゴ交響楽団の音楽監督となった。そのシカゴ交響楽団との1957年11月9日シカゴ・オーケストラホールでの録音である。
新世界交響曲の標準的な名盤の一つであると思われる。一切の情に流されず、楽譜に書かれている音を正確無比に再現した演奏スタイルを基本とし、オーケストラがあまりにも余力を持っているように受け取れてしまい、こんなに簡単な曲だったかなぁと聴き手が勘違いを起こすほどである。事前に無駄な要素を一切殺ぎ落とし、筋骨隆々のスタイルでストイックにひたすら推進するライナーの指揮ぶりは、オーケストラの機能面を完全に引き出した印象があり、とても洗練された響きがしている上に、各パートの動きも聴き手が明確に隅々まで聴き取ることが可能である。まさに「弾丸ライナー」の面目躍如の演奏であると言えるだろう。
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■ セル指揮クリーヴランド管弦楽団
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ジョージ・セル(1897 -
1970)には3種類の正規録音が残されている。1937年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、1952年クリーヴランド管弦楽団、1959年クリーヴランド管弦楽団を振った3種類である。ここで取り上げる1959年録音は、全体的にとても整然とまとまっており、襟を正したくなるような厳しさと、一方で意外なほどロマンティックな暖かさが感じ取れる、そんな名演である。クリーヴランド管はセルによって鍛えられたと言われるが、この新世界交響曲にはとても美しい歌が感じ取れるのである。その上、流れがとてもしなやかなのだ。セルがリハーサル時に暴君であったなどとはとても信じがたい流麗な音楽であり、そこはかとない情感まで感じ取れる名演であると言えるだろう。
この演奏を聴いていると、セルはハンガリー人とチェコ(スロヴァキア)人の両親のもとに生まれたことと決して無縁ではないだろう。使用楽譜は、たぶん1937年の録音の際に使用したチェコ・フィル版を基礎として、戦後の1955年に出版されたスプラフォンの旧版により修正を加えたセルによる独自の版であると思われる。第1楽章のインテンポに徹した指揮ぶりも秀逸であり、第2楽章以後の進展に期待を持たせてくれる。
第2楽章は、あまり粘らずに非常に清潔な音楽作りとなっている。その結果楽章後半部での室内楽風の表現が生きており、聴かせどころの印象がきわめて強く残る優れた演奏である。第3楽章冒頭は、木管楽器の扱いに長けており木管の動きと響きが明確に浮き出て、心地よい響きとなっている。第4楽章では、かなり自由に音楽を動かし始め、意外なほど大きなタメまで作り、すっきりした雰囲気を保持しながら終結部に向かって楽曲が滑らかに進んで行く。全体的に決して冷たさを感じさせない、実に見事な音楽作りとなっている。
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■ ドラティ指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団
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アンタル・ドラティ(1906 -
1988)は、バルトークやコダーイの教えを受け、アメリカのダラス響、ミネアポリス響、デトロイト響の各音楽監督を歴任し、きわめて膨大な量の録音を残したハンガリー出身の指揮者である。1956年のハンガリー動乱の際に亡命したハンガリー人演奏家のメンバーを組織して、ハイドンの交響曲全集の録音も完成したりしている。ドラティのドヴォルザークの交響曲録音は第7番、8番、9番が残されており、「新世界より」には4種類のスタジオ録音がある。今回取り上げるコンセルトヘボウとの録音は、4種類のうち2番目の録音にあたるもので、1959年9月21、22日にアムステルダム・コンセルトヘボウで収録された。
ドラティは、非常にドライでクールな演奏を多く残したことで有名である。しかし、このコンセルトヘボウとの録音は、当時多くの共演を残したアメリカのオーケストラとは異なることを、まさに実感させてくれる。コンセルトヘボウの精緻なアンサンブルと、ホールの美しい響きを存分に活用しながら、しっかりと冷静に楽曲を進めており、当時のドラティの残した録音の中では確かに異色ではあるが、同時に出色の出来栄えであると言えるだろう。かつ、全体のバランスもとても考慮された指揮ぶりであり、後年の同曲の録音を上回る優れた出来であると思われる。
指揮者もオーケストラも、ある種の余力を感じるせいか、全体のスケールも大きめであり、第2楽章や第3楽章では郷愁に満ちた民族色を存分に連想させ、第4楽章では指揮者がかなり大きくテンポを揺らしても不自然さを全く感じさせず、むしろダイナミックな盛り上がりと、手に汗握る緊張感を聴き手に与えることに成功しており、楽曲終了時には聴き手は深い感動を与えられることと思われる。実に優れた名演奏であると言えるだろう。
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■ フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
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フェレンツ・フリッチャイ(1914 -
1963)は、チェコのモラヴィア地方から移住した親のもとに、ハンガリーの首都ブダペストで生まれたハンガリー人であり、父親の母原語はチェコ語であった。この点、ボヘミア出身の父(ヤン・クベリーク)と、ハンガリー貴族の母のもとに生まれた名指揮者ラファエル・クーベリックと、二人は同年齢であるだけでなく同じような出自であったと言っても差し支えないであろう。事実、フリッチャイが夭折した直後の追悼演奏会はクーベリックが指揮を務めたほどだ。また、ドイツ・グラモフォンとの長期録音契約にしても、フリッチャイの後をクーベリックが引き継いだとも考えられるほどの関係であったようだ。実際に音楽の根幹を流れる深い部分で、両者に共通したものを感じ取ることが可能であると言えるだろう。
録音はベルリンRIAS交響楽団(後にベルリン放送響、現在はベルリン・ドイツ交響楽団)を振った1953年のモノラル録音と、1959年10月5日と6日にベルリンのイエス・キリスト教会でベルリン・フィルを振ったステレオ録音の二つが残されている。他にライヴ録音も1種類残っている。ここでは、1959年のステレオ録音を取り上げることとする。1958年11月にフリッチャイは病(白血病)に倒れ2度の手術を受け、まさに生死の境をさまよい、翌1959年9月まで静養することになった。この新世界交響曲は、ようやく指揮台に立つことができるようになった直後の録音であり、長い闘病生活を境にフリッチャイの芸風に明らかに大きな変化が生じたのである。それまでの、快速で颯爽と突き進む演奏スタイルががらりと変化し、遅いテンポを基礎とした非常に彫りの深い演奏となり、病気前とは完全に異なるスタイルに一気に変貌したのである。とても同じ指揮者の指揮だとは思えない変化ぶりであった。
第1楽章冒頭の序奏におけるゆったりとしたホルンの美しい響きに続く弦の強奏部分において、まさに渾身の響きがオーケストラ全体に充満しており、凄まじい演奏効果が冒頭から明確に見られる。続くティンパニのトレモロは二段打ちを採用している。管楽器と弦楽器の受け渡しが実に美しくスムーズになされており、新世界交響曲特有の「懐かしさ」に溢れた演奏が推移していくのは、聴き手にとってもまさに誰もが納得できる優れた楽曲進行と言えるだろう。特にフルートのソロが実に美しく響いてきて、本当に心からうっとりさせられる。楽曲最後近くのコーダに入っていく前のところで、大きなタメを作るフリッチャイの指揮ぶりは、旧録音とほぼ同じなのだが、その演奏効果が抜群で深く感動させられる。
フリッチャイは白血病を宣告され、余命いくばくもない状況におかれながら、まさに命を懸けた自然体の呼吸で音楽の本質と深く戯れ、結果として演奏者のみならず聴き手の魂本体までも揺さぶってくるような、まさに鬼気迫る緊張感が溢れているものの、聴き手は音楽に完璧に引き込まれているために、決して物理的な長さを感じることはないのである。旧録音より8分も長い演奏時間であるにもかかわらず、聴き手は指揮と楽曲に完全に引き込まれていくのである。一度聴いたら絶対に忘れ難い演奏であると言えるだろう。
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■ ケルテス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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イシュトヴァーン・ケルテス(1929 -
1973)は、ハンガリーの首都ブタペストに生まれた。1955年ブタペスト国立歌劇場の副指揮者の地位を得たが、翌年のハンガリー動乱で亡命した。ロンドン交響楽団首席指揮者(1965
- 1968)及びケルン市立歌劇場総監督(1964 -
1973)を歴任した。1973年テル・アヴィヴで遊泳中高波にさらわれ非業の死を遂げた。ケルテスの新世界よりの録音は2種類あり、ここで取り上げる1961年3月ウィーン・フィルとのものと、1966年ロンドン交響楽団とのドヴォルザーク交響曲全集とである。ケルテスの名を一躍世界に知らしめた記念碑的録音である。ウィーン・フィルの美しい響きを充分に生かしながら、オケを自在にドライヴした瑞々しくも痛快な演奏であると不動の評価を得ている。
とりわけ第1楽章が傑出していると言えるだろう。冒頭に置かれたホルンのソロは、間を少し置きながら吹いている。ティンパニのトレモロは一発打ちを採用している。ロマンティックなウィーン・フィルの響きを基礎としつつ、その一方でケルテスは主部に入ると激しい瞬発力を見せて爽快に演奏を進め、オーケストラをドライヴする。決して強引ではなく指揮者の豊かな情感にまず感心するために、やや強引な部分や丁寧さを欠く部分があらわれても、全体的な造形や楽曲構成はしっかりと維持されている。
第2楽章では、コールアングレを支える弦楽器が渾然一体となって溶けこんでおり、響きも非常に美しいのだが、録音レベルがこの楽章だけ低いように感じるのは私だけだろうか。続く第3楽章は、アンサンブルに明らかな乱れがいくつか存在し、楽器間の受け渡しが上手く行かずに流れが滞る場面や、響きが変わってしまう側面が垣間見られる。最後の第4楽章は、アクセントの強調がかなり過多であり、好悪が分かれる内容であるように思われる。只管猪突猛進する推進力とその勢いに圧倒される方もいるだろうが、非常にクセの強い演奏であると受け取る人もいると思われる。
ケルテスの指揮は、確かに全楽章にわたっての緊張感が素晴らしいし、ウィーン・フィルのサウンドの魅力もふくめて、デビュー盤特有の勢いや面白さもあちこちに見られるので、いわゆる名演奏、名盤ではあると思う。しかし、絶対的な世評の根底には、いわゆる1960年代のDeccaサウンドと言う、録音方式や録音場所がこの名盤の価値を、より高めているように思えてならない。世評で言うほどには、私には演奏自体が純粋に傑出して優れているとまでは、残念ながら言えないように思えるのである。優れた演奏の一つには違いないものの、私には少々聴いた後に疲れを感じる演奏なのである。 |
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(2019年8月8日記す)
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