ケルテスとロヴィツキによる、二つの「ドヴォルザーク交響曲全集」について

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ドヴォルザーク
交響曲全集
イシュトヴァン・ケルテス指揮
ロンドン交響楽団
DECCA(輸入盤430 046-2)
録音:1963-1966年

CDジャケット

ドヴォルザーク
交響曲全集
ヴィトルト・ロヴィツキ指揮
ロンドン交響楽団
PHILIPS(輸入盤432 602-2)
録音:1965-1971年

 

■ クーベリックやノイマンより早く完成された2つの交響曲全集

 

 チェコ出身のクーベリックは、ドイツ・グラモフォンによるベルリン・フィルとの、今なおとても世評の高いドヴォルザーク交響曲全集を完成させているが、第8番を1966年に録音した時点では、実は全集としての企画になっておらず、後に残りの8曲を1971年から73年までに一気に録音することで、全集録音を完成させたのである。

 一方のノイマンは、チェコ・フィルを用いて、チェコ国営のスプラフォン・レーベルに、1971年から73年までかけて全集録音に臨み、比較的短期間で完成させたのである。こちらは、当初から計画的に全集録音を実行したもので、全曲のクオリティの均一さにかけては、今なお最右翼の全集の一つであると言えるだろう。

 ついでとなってしまうが、アナログ時代のドヴォルザーク交響曲全集は、実はもう一組存在している。オーストリア・インスブルック出身の指揮者スウィトナーが、旧東ドイツのベルリン・シュターツカペレを指揮して、1977年から81年までかけて、旧東ドイツの国営レコード会社に、全集録音を完成させ残していることを付け加えておく。

 つまり、アナログ時代のドヴォルザーク交響曲全集は、全5セットがいずれもチェコとその周辺国出身の指揮者によって完成されているのである。これは、あまりにも有名な第9番『新世界より』の他に、やはり知名度の高い第8番や第7番の3曲を除くと、録音量が激減するという事情にもよると考えられる。さらにコアなファンは、第3番や第6番にも注目しているものの、「第1番や第2番のメロディーを普段から口ずさむ」などと言う方は、本当に少ないのではないだろうか。私は、かなりコアなチェコ音楽ファンであると自認しているのだが、しかしながら第1番と第2番を聴こうとする機会は、たとえディスクであっても実はほとんどないのである。

 

■ 第1番の出版が1961年であった理由

 

 ドヴォルザークが1865年に最初に作曲した交響曲第1番は、ドヴォルザークの死去後、1923年に至ってまったくの偶然から発見されたのである。初演は1936年に行われたものの、楽譜の出版について遺族の同意がなかなか得られずに、ようやく1961年になって楽譜が出版された経緯がある。そのため、以前は第2番から第4番までの3曲には番号が与えられておらず、第5番から第9番までの5曲が、若干の順序の入れ替えはあるものの、番号付きの5曲の交響曲として長い間扱われてきたのだが、1961年の第1番の出版を契機に番号の振り直しが行われ、旧第5番であった『新世界交響曲』は、現在呼ばれているように第9番となったのである。

 

■ 二人ともにチェコの隣国出身の名指揮者

 

 ケルテスは、1929年ハンガリーの首都ブダペスト生まれ。1956年のハンガリー動乱で、ジョルジュ・シフラとともに西側に亡命を果たした。1961年にウィーン・フィルを振ったドヴォルザークの交響曲第9番(発売当時は第5番)は、今なお名盤の誉れ高い。1973年にテル・アビブで海水浴中に溺れて死亡という、たいへん悲しい事故で亡くなってしまった。

 一方のロヴィツキはケルテスより年長で、1914年にロシア連邦のロストフ州に生まれたが、後にポーランドのクラクフ音楽院で学び、第二次大戦後は長くポーランドで重要な指揮者の地位を占めていた指揮者である。ショパン・コンクール本選の伴奏指揮者として、ポリーニやアルゲリッチが優勝した際の指揮を務めたことでも著名である。1989年10月、ベルリンの壁崩壊の直前に死去した。

 

■ ケルテスの全集について

 

 1961年に名盤の誉れ高い、ウィーン・フィルとの第9番(発売当時は第5番とクレジット)に引き続き、ロンドン交響楽団とともに、現行の楽譜出版が行われた1961年からわずか2年後の1963年に全集録音を開始し、同年に第8番、64年に第7番、65年に第5番と第6番、そして66年に第1番から第4番までを録音し、さらに第9番の再録音を行い、ドヴォルザーク交響曲全集を完成させた世界で最初の指揮者となったのである。DECCAの名録音も相まって、代表的なドヴォルザーク交響曲全集の一つとして、長い間高く評価され続けてきたディスクである。

 

■ ロヴィツキの全集について

 

 ロヴィツキも実はケルテスと同じロンドン交響楽団を指揮しての、全集録音となったのである。ケルテスがDECCAへの録音契約であったのに対して、ロヴィツキの契約はPHILIPSであり、別会社ではあったものの同じオーケストラで同時に全集録音が進行するというのは、当時としてはかなり珍しい例と言えるだろう。ともかく、1965年にまず第6番の録音を果たし、その後67年に第5番、69年に第8番と第9番、70年に第1番、第2番、第4番を、71年に第3番と第7番を録音し、ケルテスに引き続いてドヴォルザーク交響曲全集を無事に完成させたのである。

 

■ 二つの全集録音の、各々特筆すべき点について

 

 両方の全集ともに、さすがに半世紀以上経過した現時点となっては、有名な第7番以後の録音については、他の全集録音を凌駕するような特徴を有しているとは言い難いであろう。しかし、この二つの全集は、今なおそれぞれ以下の理由で、かけがえのない全集セットであり続けていると考えている。

 ケルテスの全集は、第3番から第6番までの4曲の交響曲について、現在でも最右翼のディスクの一つであると言えるだろう。とにかく熱く煮えたぎるような力感溢れる演奏なのである。この4曲にはクーベリックの優れた演奏による全集も存在している。しかしながら、クーベリックの場合は、いわゆる熱演とは少し異なった、いわば一種の殉教者のような指揮者の強い意思の力が漲った演奏なのである。この意味で、ここまで熱くなれる指揮者ケルテスによる、ドヴォルザークの中期に属する交響曲4曲の録音は、現在でも単に捨て難いと言ったレベルを遥かに超えた、確かな名演であると言えるだろう。特に、交響曲第4番に関しては、今なお私の中ではベスト録音であり続けているのである。

 ロヴィツキの全集は、他の誰の全集録音よりも、初期の秀作に過ぎない第1番と第2番の演奏に大きな魅力を感じる。クーベリックとベルリン・フィルの場合、さすがに初期の第1番と第2番の2曲に関しては、指揮者もオーケストラも楽曲より器(スケール)が大きすぎて、結果的に若いドヴォルザークの魅力を描き切れていないように思える部分が散見される。クーベリックについては、いつか別の機会に触れたいと思うが、ロヴィツキの第1番と第2番は、前述したショパン・コンクール本選でのショパンの2曲のピアノ協奏曲の伴奏指揮に通ずるものを、この2曲の交響曲録音から感じるのである。つまり、若書きでオーケストレーションとしては未熟であるものの、素敵なメロディーが次々と現れては消えていく、そんな若い時にしか書けない曲の魅力を、非常に上手くロヴィツキは引き出しているように思える。伴奏歴の長い、それも世界随一の国際ピアノ・コンクールの本選指揮者を長く務めたことと、この2曲の初期交響曲における抜きん出た指揮内容とは、明らかに通じるものがあり、そしてこの2曲の交響曲録音に関しては、今なお私にとって最高の名演であるのだ。惜しむらくは、そんな名演ではあるが優れた名作品とは言い難いために、ふだんあまり聴く機会が持てないのは、とても残念である。

 

(2023年9月12日記す)

 

2023年9月13日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記