ハイティンクとカペレによるオペラ『フィデリオ』全曲盤を聴く

文:松本武巳さん

ホームページ What's New? 旧What's New?
「音を学び楽しむ、わが生涯より」インデックスページ


 

CDジャケット

ベートーヴェン
歌劇『フィデリオ』作品72

  • ジェシー・ノーマン(レオノーレ)
  • ライナー・ゴルトベルク(フロレスタン)
  • エッケハルト・ヴラシハ(ドン・ピツァロ)
  • クルト・モル(ロッコ)、他

シュターツカペレ・ドレスデン、ドレスデン国立歌劇場合唱団
ベルナルド・ハイティンク(指揮)
録音:1989年11月、ドレスデン、ルカ教会
PHILIPS(DECCA 478 4139)再発盤

 

■ 1989年11月、ハイティンクとカペレの出会い

 

 今回取り上げるのは、ハイティンクとシュターツカペレ・ドレスデンによるベートーヴェンのオペラ『フィデリオ』全曲盤で、両者は実はこれが初顔合わせなのである。1989年11月のドレスデン聖ルカ教会でのセッション録音で、ハイティンクによる同オペラの録音は他に、1979年のグラインドボーン音楽祭に於ける映像や、2008年のチューリヒ歌劇場での映像も残されている。ハイティンクと言えば、極めて優れたバランス感覚でオーケストラを存分に差配し、各楽器の旋律を明確かつ正確に浮かび上がらせ、実に緻密な音楽を作りあげることが最大の長所だと思うが、ハイティンク本来の楽曲へのアプローチが、このようなオペラ録音、かつ初顔合わせのオーケストラ相手でも、存分に発揮されていると言えるだろう。

 冒頭の序曲からハイティンクは持ち前の豊かな色彩感を用いて、非常に生き生きと音楽を描いている。セッション録音ということもあって、ハイティンクはいつも通り、前のめりに進行させることが一切なく、冷静かつ客観的にじっくりと楽曲を描いていると言えるだろう。しかし、第1幕冒頭にあらわれる扉を叩く音なども、一見優しくコンコンとノックしているような感じなのだが、多くの他の録音は荒々しくドンドンと叩くノックで、聴き手が受ける印象がだいぶ異なるのだ。ところが、後述の映像等を見る限り、決して優しく叩いたのではなく、ある種の恐怖を伴う小さなノック音を表したとも受け取れ、背景をどう読むかでずいぶんと印象が異なってくる部分がいくつかあるのも事実だろう。

 この『フィデリオ』の最大の魅力は、レオノーレ役にジェシー・ノーマンを用いたことであることは疑いが無い。気品と威厳の備わったソプラノの美声に、開始早々からすっかり虜になってしまうのだ。オーケストラが流麗に流れることも相まって、ハイティンクはオペラ全曲盤として、上手く全体を品よく美しく纏めあげている。とても丁寧に、かつ色彩感豊かに全体を滑らかに進めていく、いつもながらの老獪なハイティンクによる演奏からは、このオペラ特有の躍動感を感じることは確かに少ないものの、全編がノーマンの歌声に魅了された、そんな特色ある『フィデリオ』であると言えるだろう。

 

■ 1989年10月7日、新演出によるドレスデン初演

 

 まずは、この動画をご覧いただきたい。この録音の元となった、ゼンパー・オーパーの新演出による『フィデリオ』公演からの、短めだが衝撃的な公式映像である。

https://www.youtube.com/watch?v=bH4CRIyFct4&t=1s
(Semperoper DresdenのYouTube公式チャンネルより)

 ゼンパー・オーパーもまた、1989年の東独革命で知られざる役割をきちんと演じている。東ドイツが建国40周年を迎えた10月7日、政府に抗議する街頭のデモ隊が大量に逮捕されるというまさにその最中に、ゼンパー・オーパーではベートーヴェンのオペラ『フィデリオ』の新演出による上演が行なわれていたのである。メーリッツによる新しい演出は、舞台上の牢獄を東ドイツの閉ざされた国境線と重ね合わせるという、たいへん大胆不敵なものだったと言えるだろう。おそらくメーリッツ自身、壁の崩壊はもちろん、そのプレミエ公演のわずか2日後に、国家とデモ参加者との初の会談が行なわれることなど、演出を構想していた当時にはとてもじゃないが想像できなかったと思われるのである。

 まさに古典中の古典と呼ばれる重要なオペラ作品が、まるで時代の流れを予知するかのように、思いもよらない形で作品自体が秘めていた何かを突然顕在させることがある。ドレスデンに限らずドイツの多くのオペラハウスで、このような若干政治的な部分を意識した演出が多いのは、自由を求める東側の人々が生み出す社会のうねりや時代の変革の大きな波を、自身が生きてきた過去の証言として、実経験していることが非常に大きいように思うのだ。この録音の時期と場所を見るたびに、このことを思い出さざるを得ないのである。

 

■ 1989年10月〜12月の旧東ドイツについてのメモ書き

 

10月 7日 建国40周年記念式典挙行
10月 9日 ライプツィヒで参加者7万人のデモ
10月18日 ホーネッカー書記長解任
10月26日 ドレスデンで参加者10万人のデモ
11月 9日 ベルリンの壁崩壊
11月28日 ライプツィヒで参加者20万人のデモ
12月 2日 マルタで米ソ首脳会談実施

1989年11月9日
社会主義統一党中央委員会のギュンター・シャボウスキー政治局員は、記者会見の場で、さして重要でもない普段通りの様子で、ドイツ民主共和国はただちに出入国を自由化すると、唐突に述べた。この記者会見は、あっという間に世界中を駆け回ったのである。その後すぐ、数千人の東ドイツ市民が国境検問所に押し寄せ、建設開始から28年、あっけなくベルリンの壁は崩壊した。

1989年11月13日
社会主義統一党のドレスデン支部長モドローが、人民議会より新政府の構築を託される。ドレスデンで数ヶ月前から継続して行われていた月曜デモの横断幕には、『ドイツ、一つの祖国』の文字が見られるようになった。

1989年12月19日
ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)のヘルムート・コール首相が初めて正式に東ドイツを訪問し、ドレスデンでは実に熱狂的に迎えられた。『ヘルムート、ヘルムート』、『ドイツ、一つの祖国』などのシュプレヒコールが、群衆から一斉に湧き起こった。

 ところで、プーチン現ロシア大統領は、外国で諜報活動を行うためにKGB赤旗大学で学び、1985年に東ドイツのドレスデンに派遣され1990年まで滞在し、政治関係の情報を集める諜報活動に従事した。その際にはKGBと協力関係にあった東ドイツの情報機関・秘密警察である国家保安省(シュタージ)職員の身分証明書も持っていたことが、2018年になって明らかになっている。

 

■ 短期間ながら、後にドレスデンの楽長となったハイティンク

 

 傑出したキャスト陣を駆使して、ベートーヴェンの残した唯一のオペラ『フィデリオ』を、ハイティンクがシュターツカペレ・ドレスデンとの初顔合わせにもかかわらず、見事にまとめた名盤であると思う。投獄された最愛のフロレスタンを解放する勇敢なレオノーレ役として、ノーマンがいかにふさわしい配役であったのかは明らかである。ノーマンをはじめ、ほとんど初顔合わせのメンバーを、辣腕のハイティンクが巧みにかつ見事にまとめあげた名盤だと言えるだろう。

 ジェシー・ノーマンの傑出した声と演技は、この最も高貴なオペラと一体化していると、今なお非常に高い評価を得ているが、このことと世界史の転換点としての最重要の事象との同時進行に、この奇跡的な録音の価値を認めるかどうかは、聴き手が同時代を共有したかどうかで異なるであろう。私の世代にとっては、切っても切り離せない関連性を、どうしても真っ先に認めてしまうのである。最後に、指揮者ハイティンクは、シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に、2002年から2004年まで短期間ながら就いたことを、短期間であったことを残念に思いつつ、一方で就任してくれたことに、ひとりのファンとして今も深く感謝している。

 

(2021年9月13日記す) 

 

2021年9月15日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記