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フランク
ヴァイオリンソナタ イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
ブラームス
ホルン三重奏曲 作品40
バリー・タックウェル(ホルン) イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音:1968年10月、ロンドン DECCA
(国内盤UCCD-7272)
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■ かつての名盤
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ほぼ半世紀前に録音され、長期間優れた演奏として高い評価を受け続けていたにもかかわらず、最近では忘れ去られる危機に瀕したディスクであると思われる。なぜ、そんなにも評価が急落したのか。そして、本当に単なる過去の名盤に過ぎないのか。少し考えてみたい。なお、当時も現在も人気の高い楽曲であるフランクのヴァイオリンソナタに比べ、ブラームスのホルン三重奏曲は、近年はそもそもこの曲の人気が下がっていることは確かであろう。この曲に限らず室内楽曲の大半が忘れ去られる危機に瀕しているともいえるが、今回はこのことを前提とはしないでおきたいと思う。
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■ アシュケナージ
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1937年7月、旧ソ連ゴーリキー生まれ。父方はユダヤ系、母方は非ユダヤ系。1963年亡命。現在はアイスランド国籍。70年代より指揮活動も並行して行い、ピアニストとして舞台に立つことからすでに退いているが、録音活動は現在も継続中。80年代以後、ピアニストとしての活動は徐々に減り、指揮活動の余暇を利用しての活動であったことも合わせ、ピアニストとしての全盛時は70年代であるとみなされていて、確かに80年代前半を境に優れた録音が明らかに減少してしまった。
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■ パールマン
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1945年8月、イスラエル生まれ。両親はポーランドから移住したユダヤ人。小児麻痺のため、下半身が不自由。録音当時23歳。現在も現役だが、膨大な録音が残されている。指揮活動も行っている。60年代から70年代にはまさに一世を風靡したが、80年代以後徐々に人気が衰えていった。全盛期も衰退期も、偶然だがアシュケナージとほぼ軌を一にしている。アシュケナージと組んで、おびただしい数のヴァイオリンとピアノのための作品の録音を残している。
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■ タックウェル
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1931年3月、オーストラリアのメルボルン生まれ。録音当時はロンドン交響楽団の首席奏者であった。現在は後進の指導者であり、指揮者も務めている。タックウェルは世界を股に掛けた演奏家というよりも、指導者としての立場が長いだけでなく、その面での著作も残しており、ブラームスのトリオでも、主役でありながらアシュケナージとパールマンのまとめ役に徹している。いわゆる優れた指導者であるといえるだろう。
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■ フランクのソナタ
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フランクの作品は、循環形式を取り入れた作曲家として著名であるため、ボーっと聴いていると楽曲のどのあたりかを見失ってしまう危険性があるともいえるだろう。この角度からとらえて聴いた場合にもっとも優れた録音が、このパールマンとアシュケナージの古い録音であるという、私なりの評価は今もって変わっていないのである。それに加えて、フランクをフランス音楽の作曲家ととらえるのか、それともドイツ系の音楽ととらえるのか、によっても幅広いいくつもの演奏スタンスが考えられるためか、そもそも人気楽曲であることも相まって、過去から現在に至る恐ろしいほど多くの夥しい録音が残されている楽曲である。思いつくまま名演奏を思い浮かべてみても、あっという間に二桁に達してしまうのも当然といえるだろう。そんな中である一つの演奏を長期間記憶にとどめておくことは、実は意外に大変なのかもしれない。
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■ ブラームスのホルントリオ
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この曲は、何も考えずに聴くと、ほとんど教会音楽に聴こえてくる上に、およそ普段の緻密で隙をみせない堅苦しいブラームス像が浮かんでこない、とても愛らしいトリオである。そのために、特殊な編成の割には多くの録音が残されている。タックウェルは、アシュケナージとパールマンをうまくリードして、肩肘張らないブラームス像を見事に引き出しており、現役盤として十二分に通用する名演奏である。
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■ ふたたび、アシュケナージ
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アシュケナージがピアニストとしての全盛時、演奏の質的安定度、ピアノの技術の高さ、奇を衒わない楽曲解釈、等々、まさに聴衆の誰をも満足させるかのような評価が確立していた。かつ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、スクリャービン、ラフマニノフ、プロコフィエフ等は、全集または多数の録音を残した上に、その他にもきわめて幅広い膨大なレパートリーを有していた。
しかし、私はアシュケナージを、人気の高い当時からやや異なる角度から彼を評価していたことを告白しておきたい。まず、どちらかと言うと、むしろ当たり外れの多いピアニストであること、同一の作曲家でも得手不得手が楽曲によってはっきりと出てしまうこと、超人気曲や、著名作曲家より、知る人ぞ知るような作品に秀でた演奏や録音を残していたこと。これらである。私が特に好んでいたアシュケナージの演奏は、作曲家で言えば、ブラームス、フランク、ラヴェルらであり、むしろ嫌っていた中に、ショパン、シューマン、モーツァルトが含まれている。もちろん、ショパンの録音でも練習曲、夜想曲、バラード、スケルツォなどは好んで聴いたが、ワルツ、マズルカ、ポロネーズはいずれも私の嗜好とは相容れてくれなかったし、シューマンでもクライスレリアーナやフモレスケは非常に好みの演奏であったが、ピアノソナタ第2番やウィーンの謝肉祭の道化などは、きわめて抵抗の強い演奏であった。
このように、アシュケナージは私にとって好悪が楽曲ごとに分かれるタイプのピアニストであり、そのことは彼への当時の異常なほどの高評価の結論はともかくとして、内容に於いては真っ向から異なる理由で、私は私でアシュケナージを高く評価していたのである。これは、技術的な安定度に関しても言えることで、たとえばプロコフィエフの協奏曲や、ラフマニノフの一部のピアノ曲では、アシュケナージは技巧的にかなり厳しい側面を、全盛時から見せていたのである。
私はいま、アシュケナージを以下のように思っている。アシュケナージは彼の本領を正しく理解されなかったがために、結果的に人気を落としてしまったのである。そもそも演奏に比較的むらがあるが、ツボにはまったときの素晴らしさこそが、アシュケナージ最大の魅力であるということが、彼の全盛時からきちんと理解されていたらと、まだ存命であるにもかかわらず残念でならないのだ。
ほぼ同じことを、私はパールマンに対しても考えているのだが、しかし、ほとんど繰り返しのような議論に終始してしまうので、このあたりで文を閉じることとしたい。
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(2017年9月26日記す)
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