ルーマニアの名ピアニスト・ゲオルギューがチェコ・フィルと共演した協奏曲を紹介する

文:松本武巳さん

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CDジャケット
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(上:SUPRAPHON社のダウンロードサイトより、
下:復刻発売されたCDジャケット)

LPジャケット
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(SUPRAPHON LP:パガニーニ練習曲第2,5,6曲、ペトラルカのソネット104番を併録)

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(SUPRAPHON LP:ラフマニノフのみの収録)

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(ELECTRECORD:ヴァレンティン・ゲオルギュー80歳記念10枚組セット)

リスト
ピアノ協奏曲第1番
ラフマニノフ
パガニーニの主題による狂詩曲作品43
ヴァレンティン・ゲオルギュー(ピアノ)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1953年(リスト)、1952年(ラフマニノフ)、旧チェコスロバキア
Tobu Recordings(国内盤TBRCD-0023)

 

■ ルーマニアの名手ヴェレンティン・ゲオルギュー

   ヴァレンティン・ゲオルギューは、ルーマニアのピアニスト兼作曲家。1928年3月にルーマニア東部のドナウ川に面したガラツィで生まれた20世紀の主要なルーマニアのピアニストの一人で、首都ブカレストの音楽院を経由して、パリ音楽院に留学しラザール・レヴィやマルセル・メイエらに師事した。同国人で伝説のピアニストであるディヌ・リパッティよりも11歳年少である。幼い頃よりエネスコと親交があったゲオルギューは、1958年のジョルジュ・エネスコ国際コンクールで、ヴァイオリニストである兄のシュテファン・ゲオルギューとともに、エネスコ作曲の第3ソナタの演奏で第1位を受賞し、後にチェリストのラドゥ・アルドゥレスクを加えてブカレスト・トリオを結成した。

 過度な個性を意識的に排し、常に控えめな表現に徹するヴァレンティン・ゲオルギューは、演奏家の分をわきまえた非常に正攻法の演奏に終生徹しているようだ。しかしゲオルギューの価値は、決して交通整理的な無個性的な演奏ではなく、音楽の深いところで聴き手と共感するような真摯な演奏ぶりにあると思われてならない。そのために、聴き終えた時の満足感が想像以上に大きいのである。半世紀以上の間、第一線のピアニスト・作曲家であり続けるヴァレンティン・ゲオルギューは、超絶技巧や個性的解釈などの小細工なしに、真っ向から正攻法で表現し続ける演奏家であると言えるだろう。
 

■ 故国ルーマニア、エレクト社から発売された集大成ディスク

 

  かつて「ヴァレンティン・ゲオルギュー80歳記念、集大成10枚組セット」が、ルーマニア国内で発売された。ディスクは輸出もされたのだが、解説書がルーマニア語のみという若干扱いにくい代物であり、かつ値段も高めであったと記憶している。それによると、ゲオルギューはクーベリック、ラトル、小澤征爾らと度々共演した経験があるらしいし、旧東ドイツのケーゲルやマズアとは録音も残されているようだ。主にルーマニア国内や旧東側諸国で長らく活動していたために、日本を含む国外ではあまり知名度は高くないが、ピアノ音楽愛好家の間では隠れファンももしかしたら多いのではないだろうか。この集大成ディスクは、有名ピアノ協奏曲集成ともいえる10枚組ボックスセットではあるが、実はこの中にゲオルギューの自作のピアノ協奏曲が含まれていることを、ぜひ付け加えておきたい。ゲオルギューは作曲家としても、かつてジョルジュ・エネスコ賞を受賞しているのだ。

 名演がひしめく超有名協奏曲の録音が多いにもかかわらず、ゲオルギューの演奏を聴き終えたときには、聴いて良かったなと思えるそんな演奏が実に多いのだ。演奏自体は特に変わったことは最初から最後まで一切起こらない、まさに正攻法そのものの演奏なのだが、確実かつ多少速めのテンポでしっかりと進行するゲオルギューの演奏は、単に手堅いだけでなく想像以上に聴き手に感動を与えてくれるのだ。それでいながら同時に聴き手の気持ちが心和むような、とても心温まる演奏でもあるのだ。超絶技巧で周囲を圧倒する演奏でも、個性で聴き手を引き付ける演奏でも、爆演で驚かせる演奏でもないのだが、音楽自体を安らぎとともに心底楽しみたいと考える聴き手には、強くお勧めしたいと思う。

 

■ チェコ・フィルと共演した2つの協奏曲録音

 

 ここで紹介する2曲の協奏曲録音は、日本で復刻されたルーマニアの巨匠指揮者ジョルジュ・ジョルジェスク(1887-1964)よる、チェコ・フィルとの2枚組スタジオ録音集に含まれているものだが、ゲオルギューのオリジナルレコードは、チェコ国内を中心に今でも結構多く残っているので、オリジナルのレコードを見つけることもそんなに困難ではないと思われる。1952年から1953年の間に、チェコのスプラフォン・レーベルに録音したもので、収録内容は以下のとおりである。

「ジョルジェスク、スプラフォン全録音集」
ベートーヴェン:交響曲第7番
リヒャルト・シュトラウス:交響詩「死と変容」
リスト:ピアノ協奏曲第1番
ラフマニノフ:パガニーニの主題による変奏曲


 戦後しばらく、ナチ戦犯の容疑をかけられて演奏活動ができなくなっていたジョルジェスクは、当時は未だ公開での演奏活動は禁じられていたが、録音活動だけはなんとか許されていたのである。ジョルジェスクはチェコ・フィルと縁が深く「プラハの春」にも複数回出演している。ジョルジェスクが高く評価し、今なお現役で活躍するルーマニアの名手ヴァレンティン・ゲオルギューが、20代前半に残した、楷書体のリストとラフマニノフの名演はこのような経緯で残されたのである。

 このチェコ・フィルとの2曲の協奏曲は、指揮者とオーケストラが安定した演奏を繰り広げる中、まだ非常に若かったゲオルギューが、非常に安定した技巧を生かして、存分に歌っているさまが、モノラル録音であるにもかかわらず、はっきりと感じ取れる佳演であると言えるだろう。それでいて、どちらかというと技巧上の難所の方がむしろインテンポで突き進み、ロマン的な香りの漂うメロディーは存分に歌っているため、聴き手の心地よさは類を見ないのである。特にラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲は、作曲者の自作自演や、若いころのアシュケナージとプレヴィンによる、非常に有名な録音と比べてみても、決して一歩も引けを取らない優れた演奏であり、こんな録音が60年以上も知られざる形で眠り続けていたのかと、まさに驚くばかりである。ぜひ一聴をお勧めしたい。

※ジョルジュ・エネスコの呼称は、近年ではより原語に近いジョルジェ・エネスクと呼ばれることが多くなっているが、ここでは呼びなれたエネスコの呼称で統一した。

 

(2020年10月12日記す)

 

2020年10月14日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記