デュトワの名盤「オネゲル交響曲全集」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

オネゲル作曲「交響曲全集」
シャルル・デュトワ指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1982年&85年、ミュンヘン、ヘラクレスザール
Apex(輸入盤2枚組 2564626872)原盤:エラート

 

■ オネゲルって誰ですか?

 

 まず、オネゲルの紹介から始めようと思います。アルテュール・オネゲル(Arthur Honegger,1892-1955)は、フランス近代の作曲家であり、フランス6人組のメンバーの1人でもあります。スイス人の両親の元、フランスのルアーブルに生まれ、最初ヴァイオリンを習い、教会のオルガニストから和声法と対位法の手ほどきを受けました。チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の創設者でチューリヒ音楽院の院長でもあったヘーガーに勧められ作曲家を志し、1911年パリ音楽院に入学。ダリウス・ミヨーは同窓生で、以後特別の親友となります。第一次世界大戦の際はスイス軍に従軍したものの、まもなくパリに戻り生涯のほとんどをパリで暮らしました。フランス近代の作曲家と考えられるようになったのはこうした経歴と、コクトーのグループに属しフランス6人組という形で世に出たことも影響しています。

 しかし自身はプロテスタントでスイス国籍を持ち続け、ワーグナーに強い共感を持っていました。ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」を好きでないと言う友人に対して「君は恋愛をしたことがないのか」と言った逸話が残されています。この点で反ワーグナーを標榜していた6人組の他のメンバーとは一定の距離を置いていました。1921年に発表した「ダヴィデ王」によって独立した作曲家として高い評価を受け、1925年にパリでクーセヴィツキーによって初演された交響的運動第1番「パシフィック231」が大評判となり、一躍寵児となりました。「ダヴィデ王」の他にも「火刑台上のジャンヌ・ダルク」など、聖書や歴史上の人物を主題とした劇場作品や声楽入り作品で傑作を数多く残した他、全5曲の交響曲、室内楽から映画音楽まで幅広く作品を残しています。特に交響曲では第2番以降の4曲が20世紀の傑作として評価されています。

 映画音楽でも50以上の映画に音楽を作曲しており、無声映画時代からトーキーまで長いキャリアを誇っています。著書に「私は作曲家である」があり、その中でオネゲルは、作曲家という仕事の報われなさや音楽の将来への悲観的意見を、西欧文明の未来への悲観と重ね合わせて語っています。以上はwikipediaを参照しつつ纏めたものであることを、予めお断りしておきます。

 

■ オネゲルの交響曲の特色

 

 オネゲルの音作りの最大の特色は、音色を混ぜて新たな効果を作りだす(ラヴェルが典型的)よりも、それぞれの音色を対比させつつ、楽器の持つ特性を際立たせることで、対位法が見事に表現されるという彼独自の特色をもっています。決して前衛に走ることなく、旋律をきちんと維持し、伝統的な音楽観を守り続けたオネゲルは、同世代のプーランクやミヨーたちと共通するものを持っているものの、音楽自体はプーランクやミヨーたちとは大きく異なり、絶望感に満ちた暗い感覚で貫かれていました。オネゲルは、フランス生まれながらスイス国籍だったために、名指揮者のアンセルメやザッハーと交流を持ち、彼らの委嘱によって多くの作品が作られました。またボストン交響楽団のクーセヴィツキーやミュンシュとも交流があり、彼らによって委嘱された作品もあります。

 

■ 交響曲第1番

 

 オネゲルの作品を、私たちが一般的に想像するようなフランス音楽だと思ったら、完全に肩透かしを食らうでしょう。彼の交響曲はセザール・フランク以来の伝統である3楽章で作曲されており、フランス近代屈指の交響曲作曲家であったのです。第1番は1930年に作曲されましたが、すでに「ダヴィデ王」、交響的運動第1番、同第2番などを発表して評価を得ていた作曲家による交響曲第1番であることが特徴です。ボストン交響楽団創立50周年記念のためにクーセヴィツキーが委嘱した作品です。第1楽章アレグロ・マルカートは、不協和音と激しいリズムによる第1主題と、レガートで抒情的な第2主題との対比に特徴があります。次の第2楽章アダージョは感動的に鳴り響く音楽です。弦と管が応答しつつ分厚いオーケストラの響きの中で第3楽章につながっていきます。第3楽章はプレストですが、明るく跳躍感溢れた楽想が続いた後、次第に盛り上りアンダンテ・トランクィッロに移ります。そして穏やかな抒情性に満ちた音楽が続き、曲が終わります。

 

■ 交響曲第2番

 

 第2番は弦楽合奏のための交響曲です。ザッハーが創設したバーゼル室内管弦楽団の創立10周年委嘱作品でした。1941年にザッハー自身の指揮で初演されました。ヴィシー政権下のパリで書かれたこの作品は、第2楽章「メスト」から書き始められ、作曲家自身の言葉では「時折絶望的に響く憂鬱な楽曲」です。続いて第1楽章モルト・モデラート-アレグロの作曲に移り、厳粛な雰囲気の中、主題があちこちに移ろいつつ、アレグロでは規則正しいリズムと、それに対抗する不協和な旋律が激しく応酬した後、再び、モルト・モデラートに回帰します。対照的な2つの音楽がこの楽章の印象を強めています。第2楽章は主題と8つの変奏ですが、標題どおりの嘆きの音楽です。バスの動きがパッサカリアの主題となり、ヴィオラとヴァイオリンによって単調なリズムが引き継がれつつ進行していきます。第3楽章は、ヴィヴァーチェ・ノン・トロッポで、意外なほど明るい音楽となっています。最後にトランペットが任意で入れられます。オネゲルはオルガンのストップを操作する感覚で付け加えたそうですが、ヴァイオリンとユニゾンで旋律線を強調しています。確かにオルガンのストップを動かしたような、あるいはバッハのオルガン・コラールのような効果がもたらされています。このトランペットはあくまでも「任意」となっていますが、ディスクでは大抵の指揮者が採用しています。

 

■ 交響曲第3番「典礼風」

 

 5曲あるオネゲルの交響曲の中で最も有名な第3番は、「典礼風」という標題がつけられています。1945年から46年にかけて、スイスの財団からの委嘱で作曲されました。オネゲルは「この作品で表現したかったのは、何年にもわたって私たちを陥れた野蛮、愚かさ、苦しみ、機械化と官僚主義の流れに対するそこに生きる者としての答えである。周りの盲目的な勢いにさらされた個人の孤独と、幸福と平和への愛、宗教的な安らぎの間のせめぎ合いを音楽によって表現しようとしたのです。この交響曲は3人の登場人物による劇であり、それぞれに<不幸><幸福><人間>という役柄を持っている。これは永遠の課題であり、私はそれを繰り返しただけなのです」と自著で語っています。

 この交響曲の標題である「典礼風」とは、宗教的な性格を示すためにつけられたもので、宗教的な標題を持っています。第1楽章「怒りの日」、第2楽章「深き淵より」、第3楽章「我らに平和を」です。第1楽章「怒りの日」はソナタ形式で書かれており、神の怒りを前にした人間の畏怖をモチーフにしたもので、主題が次第に形作られ、弦と金管の応答や重要な旋律が提示された後に展開しますが、伝統的な対位法が素晴らしい効果をもたらしています。第2楽章「深き淵より」は、穏やかで敬虔な祈りに満ちた楽章です。息のとても長い旋律は宗教的な感動に満ちており、前半は弦のアンサンブルに木管が絡み、「トリスタンとイゾルテ」を想起させる音楽となっています。金管がその流れを受け継いで響く中で、フルート、オーボエ、クラリネットの響きの中に融和されつつ、第2楽章を閉じます。第3楽章「我らに平和を」は、やや遅めの行進曲です。少しずつその行進が近づきトロンボーンが主題を奏でます。この主題は執拗に繰り返されます。行進するリズムは規則正しく響きます。その後音楽は大きく盛り上がり、トゥッティのフォルティシモが流れを断ち切った直後にチェロのソロがあります。続いてフルートが前楽章を回想させ、さらにヴァイオリンが美しい旋律を歌います。しかし行進の響きとリズムは、楽章を通じて聞こえ続けています。

 

■ 交響曲第4番「バーゼルの喜び」

 

 「バーゼルの喜び」と題されたこの作品は、1946年にザッハーの依頼で作曲されました。この第4番は第3番とほぼ同時に作曲されています。オネゲルの作品の中で親しみやすい作品の一つだと思います。モーツァルト、ハイドンへの古典的回帰がこの曲からはっきりと聞き取れます。第1楽章はレント・エ・ミステリオーソで、ゆっくりと神秘的にと書かれた抒情的な世界から、次第にリズミカルなアレグロに移行します。曲は多分に牧歌的で、木管が重要な役割を果たす楽章です。第2楽章はラルゲットで、荘厳なパッサカリアで開始されます。民謡の旋律が組みあわされ、ポリフォニーが構築されていきます。第3楽章ヴィヴァーチェは、対位法を重視したロンド形式の楽章で、やはり民謡が使われています。弦の下降旋律に引き続き、木管の楽しげな旋律が表れた直後に、素っ気なく曲が閉じられます。

 

■ 交響曲第5番「3つのレ」

 

 オネゲル最後の交響曲で、1950年に作曲されました。1947年夏にアメリカ旅行をしたオネゲルは、到着後心筋梗塞で倒れ、結果的に1955年逝去しますが、この曲から諦観のようなものを何となく感じます。曲の完成直後、シャルル・ミュンシュ(初演者)は「僕には言葉が見つからない。だが僕は君の音楽を、そこから湧く神秘を胸に感じる。この曲に接すると喉がつまり、涙が頬を流れる」とオネゲルに手紙を送っています。「3つのレ」という標題は、全楽章がティンパニのレの音で終結していることに由来しています。

 第1楽章グラーヴェは、荘厳なコラールです。トランペットの響きが遠方から聞こえ、変化しながら執拗に繰り返された挙句、最後はレの音で楽章を閉じます。第2楽章はスケルツォですが、アダージョのトリオ(2つ)が挿入されています。スケルツォの本来的な意味である「諧謔曲」とはかなり異なった音楽となっています。この楽章のことを、12音技法を使ったロボット人形のダンスだと言った人物すらいます。主題は弦、木管、金管が絡み合った複雑なポリフォニー音楽です。オネゲルのオーケストレーションの特徴がもろに出た楽章であり、ラヴェルと対照的な手法を基本としていることが明確に理解できる、典型的な部分であると思います。第1のトリオは低音で刻まれた弦で奏でる旋律の間に、金管が挟まれる異様なもので、第2のトリオは第1のトリオをさらに発展させた音楽です。スケルツォに戻りしばらく進行した後、2度目のレで楽章を閉じます。第3楽章のアレグロ・マルカートは激しい音楽ですが、一方でとても不安定な音楽でもあり、絶望感に満ちています。金管の異様な挿入の後、3度目のレで全曲を閉じます。凄い作品だとは思いますが、正直なところあまり繰り返して聴こうとは思いません。

 

■ デュトワの名盤でオネゲルを聴く

CDジャケット
交響曲第3番と第5番が収録されたCD

 ようやくデュトワの指揮した交響曲全集の録音に関する話に移ります。この全集は、5曲の交響曲の他に、交響的運動「パシフィック231」「ラグビー」の2曲が収められています。実は私は、デュトワの演奏で、オネゲルの交響曲を初めて聴いたのです。そして、なんとこのCDは、私が生まれて初めて買ったCDの一つでもあるのです。LPから切り替えて最初に買ったのが、エラート盤の交響曲第3番と第5番でカップリングされたCDでした。そして聴いてみるまでは、なぜデュトワがバイエルン放送交響楽団を指揮したのだろうと思っていました。同じエラートレーベルでデュトワが録音したルーセルの交響曲全集は、フランス国立管弦楽団を指揮していました。しかしながら、結果的にバイエルン放送交響楽団の音は、オネゲルの音楽にとても良く合っているという風に感じます。

 オネゲルの音楽は、一見フランスの香りなど無縁で、むしろ圧迫感や重量感が漂う音楽です。旋律線がとても息の長いことに加えて、場面転換があまりないことも、このような感覚を助長しているように思います。オネゲルは「私は作曲家である」という著書で、音楽の将来について悲観的な見解を示していますが、このことと彼の作品には強い関連があると思えます。彼の作曲技法は、しばしば不協和音について言及されますが、不協和音そのものよりも、自己の内面を抉り出し、聴き手を突き放すような素っ気なさの目立つ音楽であると、むしろ言えるのかも知れません。

 オネゲルの作品は、弦が中核をなす非常に伝統的な作曲技法で貫かれており、いつも弦の響きが曲を支配しています。また、管楽器の中でもティンパニがほとんど使われていません。5曲の交響曲のうち、第2番は弦楽のための交響曲ですから当然としても、きちんとした形では第3番でしか使われていません。あとは第5番で一応使われているだけです。古典派以後の西洋音楽では、ティンパニがリズム楽器であるとともに、重要なバス楽器でもあることを勘案すると、この点における彼の交響曲は、とても珍しい存在だと思います。

 デュトワは、これらの諸点に対して、バイエルン放送交響楽団を指揮したことも相俟ってか、スコアに書かれた分厚い響きをきちんと引き出すことに成功しており、一方で現代的な感覚にも満ち溢れており、想像以上の名演となっているように感じます。加えて弦と管のバランスをとても上手く取っており、オネゲルの交響曲全集を聴くのに極めて適切な指揮振りであるとともに、録音のバランスも含めて、過不足の無い上質な仕上がりであると思います。

 またオネゲルとショスタコーヴィチを、共通のスタンスで指揮をする指揮者が意外に多くいますが、両者の楽曲に共通すると思われる圧迫感や重量感は、実際には性格が明らかに異なっているように思います。その違いを明確に振り分けることができる最右翼の指揮者がデュトワであるのです。表面的な圧迫感や重量感に支配されたオネゲルの楽曲に潜む真意は、実は伝統を頑なに守りたいと念じる気質と敬虔な宗教心という、一見相反する主張ではあるものの、決して体制批判とか厭世観に満ちたものでは無いことを見抜いている点で、デュトワは他の指揮者とはまったく異なる演奏を行っています。これこそが、ショスタコーヴィチの音楽と明らかに異なる点だと思いますし、オネゲルの交響曲を正しく理解する前提だと思います。オネゲルの交響曲は、押し潰されるような悲劇的な聴後感を伴ってはならないのです。あれだけ暗く、かつ重量感が漂う音楽であるにも関わらず、最後の最後には、軽妙洒脱なフランス音楽の特質を感じ取らせてくれる、そんなオネゲルの交響曲の琴線に触れることができる演奏を、デュトワは行っているのです。まさに、オネゲルがフランス6人組の一員であったことを、デュトワは聴き手に分からせてくれるのです。

 

■ 特に第3番に関して追記します

 

 最後に交響曲第3番を改めて聴き直してみました。「典礼風」という副題を持つこの曲は、第1楽章がアレグロ・マルカートで演奏される「怒りの日」と題された音楽で、第2楽章は、「深き淵より」と題されたアダージョです。第3楽章は、「我らに平和を」と題されたアンダンテの楽章です。それぞれの楽章に付けられた表題からは、通常はレクィエムやミサ曲を連想してしまいますが、実際には極めて悲痛な音楽であり、それにもかかわらずとても美しい音楽でもあります。

 オネゲルの交響曲全集のうち、歴史的名盤として誉れ高いセルジュ・ボド指揮のチェコ・フィルの録音は、この第3番に限らず、基本的に速いテンポで細かい部分は委細構わず、ぐいぐいと突き進んでいく演奏で、1960年にプラハで録音されています。一方、デュトワ指揮バイエルン放送交響楽団の演奏は、ボド盤に近いテンポ設定ですが、デュトワにはゲンダイオンガクを広めようと言った殉教精神や気負いはまったく無く、基本的にメロディーはとても美しく歌わせつつ、一方で不協和音もごく自然に響かせながら演奏しており、バイエルン放送交響楽団の本拠地ミュンヘンのヘルクレスザールで、1982年(第3番&第5番)と1985年の2回集中セッションが組まれ、録音されたものです。

 私は、このオネゲルの交響曲全集こそが、デュトワの最高傑作であると信じています。同時期に彼がデッカに残したラヴェルの管弦楽曲全集が、当時きわめて評判が高く、かつデュトワの出世作となりましたが、私は彼の録音の中では、今もなおこのオネゲルの交響曲全集が白眉であると感じています。デュトワはゲンダイオンガクに対して、伝統的な古典音楽と同じように、なんらの気負いも衒いもなく、楽曲そのものに自然に入り込める、そんな才能に満ち溢れているように思えます。これは、まさにデュトワが現代に生きる指揮者である証であると感じます。デュトワを評価する言葉として、私はこのような言葉が最も適切であると考えています。

(2008年4月14日記す)

 

2008年4月16日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記