クーベリックとホロヴィッツによる、ムソルグスキー原曲「展覧会の絵」

文:松本武巳さん

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ムソルグスキー

LPジャケット

組曲「展覧会の絵」(管弦楽曲版《ラヴェル編曲版》)
ラファエル・クーベリック指揮
シカゴ交響楽団
録音:1951年4月23日、シカゴ・オーケストラホール
MERCURY CLASSICS(輸入盤MG50000)初出LP

CDジャケット

組曲「展覧会の絵」(ピアノ版《ホロヴィッツ編曲版》)
ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ)
録音:1951年4月23日、ニューヨーク・カーネギーホール(ライヴ)
RCA(国内盤 BVCC37644)

 

■ マーキュリーの録音で有名なクーベリック指揮の管弦楽曲版

 

  かつてオリンピア・シリーズ第1弾として発売された、LP初期のハイファイ録音による伝説の1枚である。シカゴ交響楽団の音楽監督に就任したばかりの弱冠36歳のクーベリックによる、シカゴ交響楽団を用いた初録音でもあった。シカゴ交響楽団管楽器群(特に金管)の演奏が、このディスクの聴きどころの一つであると言えるだろう。クーベリックの指揮はやや一本調子で、細部の処理が少々粗い上に楽曲進行も単調気味ではあるが、全体を28分台で一気に駆け抜けた恐ろしいほどの推進力と、ダイナミックで迫力溢れるハイテンションの演奏は、今聴いても十分に衝撃的であるし、モノラル録音であることすら忘れさせてくれる。

 指揮台のほぼ真上辺りに吊るした、テレフンケン製のコンデンサー・マイクたった1本による、マーキュリーの斬新で画期的な新しい録音方式は、当時における驚異的なダイナミックレンジを誇り、その恐るべき鮮明な音質は凡そモノラルとは思えない優れたものであった。現在でも聴くに堪えうる高いレベルの、素晴らしい録音であると言えるだろう。クーベリックは後年この曲を再録音していないので、このマーキュリー録音はたいへん貴重な記録である。1970年頃に再び取り上げた記録はあるのだが、録音は正規には残されていない。

 シカゴ交響楽団の夥しいディスクの中には「展覧会の絵」の名演が数多く残されているのだが、クーベリックによる演奏は、その最初期の録音でありながら、もっとも過激な演奏の一つであると言って差し支えないだろう。中庸で穏健なクーベリックなどと言う世評が、凡そ信じがたいディスクである。恐ろしく快速なテンポ設定と装飾音をマルカート気味に処理し、シカゴ交響楽団を思いっきりダイナミックにドライヴしているのだ。まさに、オケと指揮者の間で火花が散る猛烈に熱い演奏を聴かせてくれている。加えてラヴェル編曲版特有の輝かしいオーケストレーションにも、きちんと気配りをしているように思えるのだ。

 

■ ホロヴィッツ自身の編曲で有名なカーネギーホールでのライヴ録音

   ホロヴィッツの展覧会の絵の録音は、今のところ以下の3種類が残されているようだ。
1.1947年11月7日および12月22日、スタジオ録音
2.1948年4月2日、ニューヨーク・カーネギーホールでのライヴ録音
3.1951年4月23日、ニューヨーク・カーネギーホールでのライヴ録音

 私は、ムソルグスキーが作曲したオリジナルの楽譜通りにピアノを演奏すれば、「展覧会の絵」は十分に表現できる楽曲であると考えているのだが、ほとんど作曲者に対する冒涜に近いほど、ド派手に編曲を施したのが、かのウラディミール・ホロヴィッツなのである。ホロヴィッツ以外であれば罵詈雑言を浴びるのは間違いないほどの、好き勝手な改変ぶりである。芸術か、はたまたパロディーか、そのくらいの勢いで改変を加えたこの展覧会の絵のライヴ録音は、特に終曲の終結部の改変を中心に、今なお物議を醸し続けているのである。しかし、一度聴いたら絶対に忘れることのできない、強烈なインパクトがある編曲でもある。良くも悪くも、さすがホロヴィッツである。

 私は、ホロヴィッツは明らかに『芸術』と『芸』を使い分けていると信じている。キワモノ演奏の数々と、永遠の名演が彼の中に同居しているのだ。それも同じ日の演奏会の中ですら同居しているのが、ホロヴィッツのホロヴィッツたる所以であろう。こんな改変って、本当は絶対にあってはイケないことなのだと重々承知していながら、ここまで面白くなってしまうのであれば、あのホロヴィッツに限ってアリなんだ、と言うしかないだろう。ただし、この事態を渋々特例としてホロヴィッツに限って認めるのか、そもそもホロヴィッツは歴史的名演奏家であったと評価するのかは、まるで別の話である。
 

■ 録音データが偶然にも同一日である

   このアメリカ発の、有名なクーベリック指揮の管弦楽曲版「展覧会の絵」と、ホロヴィッツによる自身の編曲版「展覧会の絵」の演奏が、1951年4月23日という同一日の録音であることは、まったくの偶然とはいえ、けっこう大きな驚きでもあった。クーベリックの方は、別資料によると翌4月24日に一部補正を加えてはいるようだが、通し演奏と録音は4月23日である。かたやホロヴィッツの方はまさに一発ライヴであるので、確定日付である。まことに不思議な縁であると思えてならない。
 

■ 祖国の共産化を嫌った二人による演奏

   ホロヴィッツ(1903-1989)は、元来はウクライナ人であるが、ロシア革命による祖国の共産化を嫌ってアメリカに永住したピアニストである。クーベリック(1914-1996)は生粋のチェコ人であるが、第二次大戦後の祖国の共産化を嫌って、当時はアメリカで活動していた指揮者である。出自としては多少似たような部分があると言えるだろう。ただ、当時のアメリカには共産圏からの亡命者やユダヤ人の亡命者が、まさに夥しいほど多く在住し、当地で活動していたので、二人とも決して珍しい事例とまでは言えないであろう。
 

■ どちらも当時のアメリカを象徴するディスク

   クーベリックのディスクは、アメリカならではの最先端技術による画期的な録音方式の第1弾として録音されたものである。一方のホロヴィッツは、仮にヨーロッパでずっと活動を続けていたとしたら、このような大胆な編曲をしようとは考えなかったように思えてならないのである。クーベリックはクーベリックなりに、ホロヴィッツはホロヴィッツなりに、アメリカ社会に受け入れられるべく、各々の努力の結果到達した境地であったように思えてならないのである。二人の境遇は別として、きわめて歴史に残る演奏が、偶々同日にアメリカで残されたことを、ぜひ紹介したいと考えて今回は記した次第である。時代は、その後も刻一刻と変化し続けている。
 

(2019年8月3日記す)

 

2019年8月5日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記