知られざる名曲、フンメルのピアノ協奏曲第2番から第4番を聴く

文:松本武巳さん

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フンメル作曲

CDジャケット

ピアノ協奏曲第2番作品85
ピアノ協奏曲第3番作品89
スティーブン・ハフ(ピアノ)
ブライアン・トムソン指揮イギリス室内管弦楽団
録音:1986年9月、ロンドン
Chandos (イギリス盤 CHAN 8507)

CDジャケット

ピアノ協奏曲第2番作品85
ピアノ協奏曲第3番作品89
チャン・ヘーウォン(ピアノ)
タマーシュ・パール指揮ブダペスト室内管弦楽団
録音:1987年5月、ブダペスト
NAXOS(輸入盤 8.550837)

LPジャケット

ピアノ協奏曲第4番作品110「告別」
ハンス・カン(ピアノ)
ヘリベルト・バイセル指揮ハンブルク交響楽団
録音:1973年(68年説あり)、シュトゥットガルト
Turnabout (オランダ盤 TV 334 561) LP

 

■ 現在でもピアノ学習者には割と知られたフンメル

 

 ヨハン・ネポムク・フンメル(1778-1837)は、現在のスロヴァキアの首都ブラティスラヴァ生まれで、後にウィーンに定住し、晩年はワイマールで過ごしたピアニスト兼作曲家である。モーツァルト家に住み込みハイドンにも師事した、当時の著名なピアニスト兼作曲家であった。サリエリからも指導を仰いでおり、さらにベートーヴェンとも親交があった。晩年のワイマール時代にはゲーテと仕事を共にしたことまである。加えて、エステルハージ家の宮廷楽長の地位をハイドンから引き継いでもいる。ワイマールでの葬儀の際にはモーツァルトのレクイエムが演奏されている。おまけに、シューベルトやメンデルスゾーンやショパンとも交流があった。そんな当時のとてつもない名士であり著名人であったのだが、死後ものの見事に忘れ去られてしまったのである。

 

■ 絢爛豪華なピアノ協奏曲第2番(1816年作曲)

 あえて言えば、シューマンのピアノ協奏曲と傾向が似ているように思われるが、もちろんフンメルの方が先に作曲しているのだ。また、ショパンはこのフンメルのピアノ協奏曲に触発されてピアノ協奏曲の作曲に挑んだようで、フンメルの第2番のピアノ協奏曲を通じることによって、ショパンとシューマンという同時代の大作曲家2人の共通項が見えてくるようなところがあると言っても良いだろう。3楽章制で書かれているが、第2楽章ラルゲットから第3楽章ロンドへは間を置かずに続けて演奏され、演奏時間は30分弱である。
 

■ 1819年作曲のピアノ協奏曲第3番

   こちらも、ショパンのピアノ協奏曲第1番に一定の影響を与えたと思われる。ショパン自身もフンメルの影響を認識していた事実が残されており、当時のフンメルが如何に偉大なピアニスト兼作曲家であったかが分かるであろう。このピアノ協奏曲も3楽章制で書かれていて、演奏時間は第2番よりも長く35分近くかかる規模の大きな作品である。
 

■ 比較的初期の作品であるピアノ協奏曲第4番(1814年作曲)

 

 一転して、モーツァルト的な魅力に溢れたピアノ協奏曲である。1825年のパリへの演奏旅行の際に、かつて作曲してあったこのピアノ協奏曲を携えていったのである。そのために、作品番号が大きくなっている。副題の「告別」は作曲者自身が付けたものであり、パリ音楽院に献呈された。やはり3楽章制で作曲されており、第1楽章アレグロ、第2楽章アンダンテ、第3楽章ロンドである。全曲の演奏時間は、約30分強である。

 なお、ここで取り上げた3曲のうちピアノ協奏曲第2番は、実はLP時代から少なからぬディスクが残されているし、同様にピアノ協奏曲第3番も何種類かの選択肢があるのだ。ぜひ、直接お聴きになってみることを強くお勧めしたい。また、一度は聴いてみないともったいないとも思うのである。フンメルの活躍した時代と場所は、あまりに綺羅星のごとく多くの作曲家が活躍した時代と地域であったためか、ほんのわずかに彼らより特徴を欠いていたフンメルは、いわゆる貧乏くじを引く羽目になって、完全に忘れ去られたのであろう。

 

■ 取り上げた3枚のディスクの寸評

 

 シャンドス盤とナクソス盤は、演奏曲目が完全に重なっており、シャンドス盤は定評ある名盤である。一方のナクソス盤は評価が分かれており、演奏者の技巧上の難点を指摘する向きもあるが、私自身はむしろナクソス盤の方が当時の演奏のあり方に近いものを感じ、密かに愛好している。もちろん絢爛豪華な曲想を余すところなく表現したシャンドス盤は、確かな名盤であり、ファーストチョイスとして間違いなくお勧めできるディスクである。なお、ナクソス盤のピアニストは韓国人の女流ピアニストである。

 第4番を弾くハンス・カンは、一定年齢以上のピアノの学習経験者であれば、思い出深い名前であるだろう。いわゆるピアノのお稽古用の模範演奏レコードで、彼のお世話になった学習者は多いと思われる。ここでも、カンは確かな技巧でフンメルの難曲を弾ききっており、録音時期こそやや古いものの、聴くにあたって大きな障害は無いと思われる。また、この協奏曲の正規録音は第2番と第3番に比べて数が少なく、その意味でも今なお貴重な録音である。

■ 生家の前を偶然通ったことが

 

 私はフンメルの生地ブラティスラヴァを、2005年8月7日と2007年8月3日に訪れた。2度ともにプラハからの移動で、2005年はわずか数時間の滞在で、引き続きバスでブダペストに向かった。2度目は宿泊を伴う滞在であり、その後ドナウ川を船に乗って上流のウィーンに向かった。当時のスロヴァキアはまだ独自通貨(スロヴァキアコルナ)であり、シェンゲン協定発効前でもあったので、ウィーンでのオーストリアの入国スタンプが船のマーク付きで押されたことなどは、日本人にはなかなか見当がつかない教科書上の知識に過ぎなかった「国際河川」の何たるかを理解する良い機会となった。

 その初めての訪問時に、全くの偶然ではあるが旧市街を散策しているときにフンメルの生家の前に突然出たのである。多少荒廃に近いものの無事に保存されていた生家(角地に立つ生家は、建物が黄色でとても小さかった)が妙に記憶に残り、2度目の滞在時には、今度は至近にあるミュージアムも訪れたのである。幼少時からピアノを学習していた私にとって、フンメルの名前はもとより身近であり、この旅行時の偶然はとても幸運なものであったし、今も記憶が鮮明に残っている思い出深い訪問となっている。

 

(2018年11月17日記す)

 

2018年11月18日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記