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ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲
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アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ) ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1972年5月 DECCA(オーストラリア盤 482 072 5)
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(参考盤1)
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ウィリアム・カペル(ピアノ) ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
録音:1944年4月8日、ライヴ収録 Music & Arts(アメリカ盤 M&ACD1109)
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(参考盤2)
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モーラ・リンパニー(ピアノ) アナトール・フィストラーリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1952年 DECCA(オーストラリア盤 482 940 4)
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(参考盤3)
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ニコライ・ペトロフ(ピアノ) アラム・ハチャトゥリアン指揮 ソビエト国立交響楽団
録音:1977年2月15日 Russian DISC(カナダ盤RD CD 11 012)
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■ ディスクに恵まれたハチャトゥリアンのピアノ協奏曲
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1936年に作曲された20世紀半ばの楽曲である。初演は、レフ・オボーリンであり、初演自体は失敗だったと云われているが、再演時に大きな話題を呼び、偶々第二次世界大戦に突入した時期でもあったため、欧米で積極的に取り上げられることになった。1940年にはイギリスで初演され、1942年にはアメリカでも初演が行われた。技巧的な上に華やかで比較的分かりやすい楽曲でもあるため、あっと言う間に有名曲となり、作曲された時期を勘案すると、非常に多くの録音に恵まれているとても幸せな楽曲であると言えるだろう。
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■ 第2楽章に登場する「フレクサトーン」
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俗に体鳴楽器に分類される非常に珍しい打楽器である。実際の音を文章化することは困難であるが、『甲高く金属的ではあるが非常に官能的な音である』とでも、とりあえず形容しておきたい。クラシックの領域では、シェーンベルクの「モーゼとアロン」で用いられているが、むしろ近年では日本のアニメソングに多く取り入れられていると言えるだろう。しかし、ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲の場合、省略しても良いとされているため、実際の録音で用いられているのが確認できるのは、全体の3分の1程度であると思われる。
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■ ラローチャ盤と参考盤の比較−カペル盤との比較
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カペル盤は、アメリカ特有の興行を意識したとしか思えない、技巧面を意図的に前面に押し出すような取り組みである。かつ、カペル盤はここで紹介したライヴ盤以外にも複数残されているが、いずれも残念ながらフレクサトーンは用いられていない。航空機事故に遭い、わずか31歳で夭逝してしまったカペルであるが、カペルにとってもハチャトゥリアンの協奏曲が、彼の残された録音の代名詞となっていることは、実際にはあまり名誉ではないように思えてならない。カペルの本領は、むしろかなり多く残されているショパンのマズルカ演奏に見られるような、もっとデリケートかつ抒情性に満ちた、そんなピアニストだったと思えるのである。
ラローチャは、カペルの路線とは相容れない方向性でハチャトゥリアンの協奏曲を演奏しており、カペルとの演奏比較に関しては、聴き手の好悪以外には実際のところ困難である。ただ、カペルの取り組みによって、この20世紀半ばに作曲された楽曲が、世に一気に広まり認知された事実はカペル個人の偉大な功績である。この功績無くして後年ラローチャがこの協奏曲の録音に至ったとは考えられないという側面がある。その意味で、やはり紹介すべき音源であると思うのである。繰り返すが、カペルの代表的録音ではあるものの、カペルの本来持つ音楽性とは実は距離のある演奏でもあるのである。
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■ ラローチャ盤と参考盤の比較−リンパニー盤との比較
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リンパニー盤は、ラローチャと同じDECCAによる録音であり、フレクサトーンの音もラローチャ盤同様しっかりと刻まれている。さらに、両者はオーケストラも同じであり、ヨーロッパにおける初演者であるリンパニーの立派な演奏だと言えるだろう。つまり、ラローチャ盤と演奏内容自体を比較検討できる、ある意味唯一のディスクだと言える。リンパニーの演奏スタイルは、当時のヨーロッパにおける女流ピアニストの一般的な演奏スタイルとはかなり異なり、一本気な直球勝負のピアニストであったと言えるだろう。例えばショパンのワルツ集などは、良くも悪くもリンパニーの本質を聴きとることができるディスクであると思われる。リンパニーは、私生活において生涯多くの話題を提供したピアニストでもあったが、彼女の演奏スタイル自体は、浮名を流すようなものとは一線を画した、たいそう剛毅なものであったと言えるだろう。
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■ ラローチャ盤と参考盤の比較−ペトロフ盤との比較
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ペトロフ盤の魅力は、なんと言っても指揮を作曲者自身が務めていることである。加えて、ペトロフの超絶技巧は単に指が回るだけでなく、打鍵の強さ、重さに於いても比肩するものがない、まさに旧ソ連の重量級王者としての風格が漂っている。ちなみに、作曲者自身の指揮であるにもかかわらず、第2楽章でフレクサトーンは用いられておらず、残念でならない。なお、このコンビは1972年ごろの映像も残されており、こちらはモスクワ放送響との演奏である。映像でもフレクサトーンは用いられていないようだが、ペトロフの打鍵の強さ重さ強烈さが、有無を言わせぬ説得力を以て迫ってくるので、一見の価値があるだろう。カペル盤とは異なる意味で、この演奏の真似はほとんど不可能であるし、ラローチャから見ても凡そ比較不能な演奏スタイルであると言えるだろう。それでもこの盤は、作曲者自身の長けた指揮が堪能できる意味で、とても貴重なディスクであることは確かである。
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■ ラローチャ盤の真に優れた点
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ラローチャの演奏は、その小柄な体躯からは想像もできないような、とてもダイナミックなものである。実際に、非常に体力の要する難曲として、腕に自信のある男性ピアニストからも恐れられている楽曲の多くに、優れた録音を残しているのである。例を挙げると、リストのソナタ、ラフマニノフの3番の協奏曲、ブラームスの2番の協奏曲などである。ハチャトゥリアンの協奏曲も、演奏及び録音に至るきっかけは、これらの難曲と同様の方向性からもたらされたのではないだろうかと、そんな風に想像する。
しかし、ラローチャ盤の魅力は、実際にはこの方向性とは少し異なる側面にあると言えるだろう。それは、彼女の演奏から、超絶技巧とか重量級とか剛毅さとか、そのような感覚を聴き手が持たないことに尽きるだろう。ラローチャの音色は、誰よりも柔らかくて暖かく、かつ打鍵が強いにもかかわらず、弾むような躍動感と表現力の豊かさの両方を同時に持ち合わせている。つまり、強くはあるが決して重くはないのである。加えて、陶酔感にも近い色や華のある艶やかな音色なのである。
これらの特質が、ハチャトゥリアンの音楽が本質的に持つエキゾチックな側面と、言葉を超えてマッチした演奏となっているのである。さらに、DECCAの捉えたフレクサトーンの響きが、ラローチャの弾くピアノの音色と形容しがたいほど見事に調和しており、聴き手の耳にダイレクトに心地よく飛び込んでくるのである。つまり、フレクサトーンは演奏時に省略しても良いとされているのだが、ラローチャのディスクにとっては必須の楽器なのである。ここに、ラローチャの演奏するハチャトゥリアンのピアノ協奏曲のディスクにしかない大きな魅力が明らかに刻まれていると、そんな風に考えているのである。
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(2023年10月2日記す)
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