クレンペラーの「メサイア」を、約半世紀ぶりに聴いて想うこと

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ヘンデル
オラトリオ「メサイア」

  • エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)
  • グレース・ホフマン(アルト)
  • ニコライ・ゲッダ(テノール)
  • ジェローム・ハインズ(バス)

オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団・合唱団
録音:1964年2、11月
EMI(欧州盤7636212)

 

■ つい手に取ってしまったこのディスク

   小中学生だったころ、私はこのクレンペラーが指揮したメサイア全曲のレコードに、年末になると必ず夢中になって繰り返し聴いていた。これは第9の終楽章が苦手であったこととも多少は関係があるのだが、第9についてはここでは触れないことにしたい。このCDはいわば昔の思い出として、かなり以前に購入していたものなのだが、CD化されて以後は全曲を通して聴いたことは確か一度も無かったと記憶している。つまり半世紀近くもの間、全体を通して聴くことはなかったのである。それが何を思ったか、つい冒頭の序曲を聴きたくなって、ディスクをトレイに乗せたのが運の尽きであった。そのまま長時間金縛りにあったように、一気に全曲を聴き通してしまったのである。久しぶりにクレンペラーの魔力の前に平伏した感があるが、時期的には聴いて何の不思議の無いオラトリオでもある。
 

■ 実は多少不備のあるディスク

 

 この録音は、実は完全な全曲録音盤とは言い難い面がある。慣例でカットされていた部分を超えた、たぶん指揮者の判断による追加カットが結構多く存在していること、かつ第3部にカットされた部分が集中しているために、全体の構造がやや頭でっかちになってしまっていること、さらに歌手陣が英語にあまり堪能でないと思われることも手伝って、指揮に比べて多少平板な歌唱になっているように見受ける部分が生じていること、等々のいくつかの瑕疵がこのディスクには存在している。また、メサイアとしては非常に重苦しい重厚な音楽づくりとなっていて、どう聴いても祝祭的な雰囲気に乏しいと言わざるを得ない。かつ、近年ではこんな大きな編成でメサイアを演奏すること自体があり得ないとも言えるだろう。しかし、古い時代錯誤的なスタイルであるにもかかわらず、これらの問題を超越して、今回私は最後まで一気に聴き通してしまったのである。

 

■ 実際にはクリスマスとは特別の関係がない楽曲

 

 日本では、年末に第9が集中的に演奏されるように、アメリカを中心としたプロテスタントの国々では、クリスマス・イヴにこのメサイアが演奏されることが多いようだ。特に「ハレルヤ・コーラス」の部分は、日本においても、中学や高校の音楽の授業や合唱祭などで歌った経験のある方もきっと多いであろう。また、この曲にはもとより多くの異版が存在しているのだが、その中でもモーツァルトによる編曲版(ドイツ語歌唱)が広く知られている。さらに、イギリス国王がハレルヤ・コーラスで感動して起立したとの言い伝えまであるのだが、どうやらこの伝説も事実ではないようだ。

 

■ 理屈抜きに、素直に音楽に対峙し楽しむことの重要さ

 

 以上縷々述べたように、このクレンペラーによるメサイア全曲盤は、ステレオ録音でこそあるものの、演奏スタイルが大古であるだけでなく、いろいろと少なからず瑕疵も存在している古いディスクである。しかし、そんなことにお構いなしに、伝説の大指揮者が大見得を切ったようなこのディスクからは、理屈を超えた楽しみや感動を、われわれに今なお与えてくれるように感じてならないのである。たまには、歴史的な大指揮者の残した録音に、理屈抜きに身を委ねてみるのも、音楽の楽しみが増すだけでなく、心がおおらかになりリフレッシュできるのではないだろうか。時間の比較的取れる年末にこそ、各自が思い描く古き良き時代の歴史的録音を、久しぶりに聴いてみる価値があるように思うのである。

 

(2020年12月24日クリスマス・イヴの日に記す)

 

2020年12月27日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記