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ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品18−3
ケッケルト弦楽四重奏団
ルドルフ・ケッケルト(第1ヴァイオリン)
ヴィリー・ビュヒナー(第2ヴァイオリン) オスカー・リードル(ヴィオラ) ヨーゼフ・メルツ(チェロ)
録音:1956年6月、ハノーファー、ベートーヴェンザール(モノラル録音)
DG(弦楽四重奏曲全集 PROC-1192)国内盤(タワーレコード企画盤)
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ポストコロナのベートーヴェン‐ベートーヴェンの弦楽四重奏曲から見るポストコロナ
角皆優人著 指揮者三澤洋史解説(ポストリュード)
オフィス天、2021年7月初版(写真はKindle版)
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■ ケッケルト四重奏団による弦楽四重奏曲全集
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ドイツ・グラモフォンで史上初めてのベートーヴェン弦楽四重奏曲の全曲録音としてだけではなく、実はドイツ国内初のLPによる同曲録音でもあったこの歴史的音源が、日本のタワーレコード企画でCD化されたのは、もうかなり以前のことだった。音質は悪くないもののモノラル録音であったためか、本国ドイツではCD化はおろかLP全集セット化すらされなかった。この全集は、第二ヴァイオリンがケッケルトの子息に代わる以前の、創立メンバーによる録音である。
1938年に、プラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団がカイルベルトを首席指揮者に迎えて活動を開始したとき、オーケストラの首席奏者たち(ケッケルトは1939年から45年までコンサートマスター)で編成されたズデーテン・ドイツ弦楽四重奏団(すぐにプラハ・ドイツ四重奏団に改名)も同時に誕生した。さらに第一ヴァイオリンのケッケルトの名前を取りケッケルト四重奏団と改名した。1965年に第二ヴァイオリンのビュヒナーが亡くなって子息のルドルフ・ヨアヒム・ケッケルトが加わり、1975年にヴィオラがリードルからフランツ・シュッセル、さらに1976年にチェロがメルツからヘルマール・シュテッヒラーに代わり、1982年に解散した。ケッケルト四重奏団の全盛期は、ケッケルト、ビュヒナー、リードル、メルツの創立メンバーによる時代と言われており、地味ではあるが知る人ぞ知る存在だった。
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■ ケッケルト四重奏団による、弦楽四重奏曲第3番
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ベートーヴェンの最初の6曲の弦楽四重奏曲のうち、実は最初に作曲されたのは、第3番ニ長調である。第2楽章が変ロ長調で書かれ、その他の楽章はニ長調で書かれている。ベートーヴェンは、ニ長調でピアノ・ソナタ第15番作品28や交響曲第2番作品36、ヴァイオリン協奏曲作品61やミサ・ソレムニス作品123など、数多くの名曲を残している。
ベートーヴェンの初期の四重奏曲は、もって回るようなことの一切ない、とてもあっさりとした演奏スタイルで一貫して書かれているのだが、ケッケルト四重奏団は意外なほどメリハリを明確につけて演奏しているので、実際の演奏速度以上の推進力を感じ取ることができる。ケッケルト四重奏団の演奏は、ルーティンワークに陥らない新鮮さが常にあり、この録音もとても瑞々しい演奏である。まさに「ムジツィーレン」そのものを聴き手にも感じさせてくれる、生粋のドイツの四重奏団と言えるだろう。丁寧かつ繊細な処理が必要な、複雑な対位法的書法で書かれた箇所でも、彼らは決してメリハリや推進力を失うことなく演奏しているのである。
そのくせ、軍隊調の演奏に堕してしまうようなこともなく、一方で適度な粘着性も演奏から感じ取れ、非常にバランス感覚に長けている演奏である。メンバー間の駆け引きも普段の会話のようにスムーズに展開している。強弱を結構明確に付けた演奏であるにもかかわらず、お互いの足を引っ張るような危ない側面が見られず、楽曲全体の流れを阻害することもまるでない。これらはいわば弦楽四重奏における基本事項ではあるのだが、ケッケルト四重奏団はまさに日常生活における会話のように演奏しており、四重奏団としての演奏レベルは、非常に高いと言えるだろう。
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■ ケッケルト四重奏団とバイエルン放送交響楽団とクーベリック
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戦後1946年に、プラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団は、ドイツのバンベルクに移転しバンベルク交響楽団として再出発(ケッケルトは1946年と47年のシーズンはコンサートマスターを継続)し、さらにケッケルト四重奏団のメンバーたちは、1949年に創設されたミュンヘンのバイエルン放送交響楽団に招かれ、第1奏者を務める(ケッケルトは1949年から30年間コンサートマスター)こととなった。1961年に、ラファエル・クーベリックがバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任するが、実はクーベリックとケッケルト四重奏団のメンバーたちは、母語こそ違えどプラハの音楽アカデミーの同級生だったのである。(ケッケルトは1913年ボヘミア生まれ、クーベリックは1914年同じくボヘミア生まれ)
ケッケルト四重奏団のメンバーは、オイゲン・ヨッフムの下で創立されたバイエルン放送交響楽団の、設立当初からのメンバーだった。オーケストラのコンサートマスターとしてのケッケルトは、音色が暗いと言われることが割合あったのだが、確かに基本的にほの暗い陰りを帯びた音色であると言えるだろう。しかしヨッフムが当時残したバイエルン放送交響楽団との録音に限らず、ベルリン・フィルとの録音でも同じような音色を感じ取ることができるので、ケッケルトに限らずこのような音色が当時のドイツにおける主流であったのかも知れない。
このことこそがまさにモノラル録音ではあるが、ケッケルト四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全集の最大の価値であり、かつ初期の作品集の方がより顕著に彼らの特長が表れているように思うのである。その中でも特に最初の作品である第3番の演奏からは、若さ特有の愉悦感や希望とともに、後の苦悩をも聴き手に同時に想起させてくれる、とても優れた演奏であると思っている。
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■ 角皆優人さんの書籍について
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角皆さんは、フリースタイルのスキーヤーとして、もはや伝説的な人物である。その彼が著した『ポストコロナのベートーヴェン‐ベートーヴェンの弦楽四重奏曲から見るポストコロナ』は、角皆さんと高校時代の同級生でもある指揮者三澤洋史氏の解説を待つまでもなく、自らの人生の苦悩とベートーヴェンの創作を巧みに重ねつつ執筆されたものであり、著者が音楽専門家でない場合、往々にして軽んじた書評を見受けたりするものであるが、確かにこの書籍は専門書ではないし、読み手に専門的な知識が求められることもないが、あまりにも深い内容がベートーヴェンの弦楽四重奏曲の各曲の評論内に込められているのである。
私としては、本著を軽い気持ちで読むなどと言うことはとうていできなかった。ただ、私が献本を受けた紙媒体の書籍では「・・・ベートーヴェンの弦楽四重奏曲から考える・・・」であったのだが、現在Amazonで売られているKindle版では「・・・ベートーヴェンの弦楽四重奏曲から見る・・・」と、多少はタイトルが和らいでいることをお伝えするにとどめたいと思う。
決して高額な著作でも大部な著作でもないのだが、読み手の読み方次第でいくつもの視点を持つことが出来る本著が、ひとりでも多くの方に読まれることを念願している。ケッケルト四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集とともに、一読・一聴をお勧めしたいと思う。
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(2021年11月29日記す)
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