ゾルタン・コチシュのリスト『巡礼の年』第3年を聴く(コチシュ追悼)

文:松本武巳さん

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CDジャケット
初出CDジャケット
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ブレンデルと組んだ『巡礼の年』全集

リスト
『巡礼の年』第3年(全曲)

  • 第1曲「アンジェラス、守護天使への祈り」
  • 第2曲「エステ荘の糸杉に「悲歌」第1番」
  • 第3曲「エステ荘の糸杉に「悲歌」第2番」
  • 第4曲「エステ荘の噴水」
  • 第5曲「ものみな涙あり(ハンガリーの旋法による)」
  • 第6曲「葬送行進曲(マキシミリアン1世を悼んで)」
  • 第7曲「心を高めよ(スルスム・コルダ)」

ゾルタン・コチシュ(ピアノ)
録音:1986年10月31日-11月2日
PHILIPS(輸入盤 420 174-2)

 

■ ゾルタン・コチシュ逝去

 

 ハンガリーの名ピアニストで指揮者のゾルタン・コチシュ(1952-2016)が亡くなった。だいぶ前から心臓を悪くしていたようだが、まだまだ64歳と若くとても悲しい気持ちになる。心から哀悼の意を表したい。同世代の同国人シフ、ラーンキとともに来日機会も多く、とても親しまれた音楽家であった。
 ピアニストとしての活動に留まらず、指揮者、作曲家としても活躍した。ピアニストとしてバルトークのピアノ作品全集を完成させた功績は偉大であるし、ショパンのワルツ集をヘンレ版による全19曲で録音した最初のピアニストでもある。また、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」のピアノ編曲版は、本国ハンガリーでは楽譜も出版されているし、ラフマニノフのピアノ協奏曲全集の録音も残した。その幅広い活動に、ファンも多くいたが、以前から重篤な病気に罹患しているとの報道がなされており、ついに帰らぬ人となってしまった。

 

■ コチシュの隠れた名盤

 

 ここで紹介するリストの『巡礼の年』は、第1年「スイス」、第2年「イタリア」、第2年補遺「ヴェネティアとナポリ」などには、有名かつ多くの名録音が存在するのだが、第3年全曲の録音となると非常に少なく、『巡礼の年』全体の全集を完成したピアニストによる録音を除くと、第3年のみの全曲録音盤は、実はほとんど存在していないため、この『巡礼の年』第3年のディスクを、コチシュの代表盤として取り上げ、追悼のための試聴記を残したいと思う。
 この盤はフィリップスによって1986年に録音されたのだが、ほぼ同時期に第1年と第2年を録音したブレンデルと合わせて、2枚組の『巡礼の年』全集として出されたこともある。つまり、ブレンデルが第3年の全曲録音を行わなかったため、その補完役に指名されたとも言えるわけで、当時はまだ34歳であったコチシュの評価が、そもそも若いころから高かったことが十分に推察されるエピソードであろう。
 ちなみに、CD初出の際、録音場所について、スイス、ラ・ショー・ド・フォンと記載されていたのだが、再発の際にはなぜか変更され、ドイツとだけ記載されている。また録音データも、初出の際は1986年10月であったのだが、再発時には1986年10月31日〜11月2日と微妙に変化しており、実際のところは分からない。

 

■ 『巡礼の年』第3年について

 

 リストが72歳に至った最晩年の1883年に出版された曲集である。楽曲の大半は、リストが精神的に非常に憔悴していたとされている1877年に、一気にまとめて作曲されており、『巡礼の年』第1年や第2年とは、年数にして実に40年ほどにも及ぶ大きな隔たりがある。最晩年のリストの楽曲の特徴とされている、不協和音やレチタティーヴォ風単旋律、明確な宗教的雰囲気、禁欲的方向性などが、この『巡礼の年』第3年にははっきりと刻まれていると言えるだろう。
 リストはこの曲集に『糸杉と棕櫚の葉』と言う標題を与えようしたことがあったのだが、西洋では糸杉は「死」、棕櫚は「殉教」の象徴とされている。最終的には出版時に、『巡礼の年』第3年として出版されるに至ったのである。

 

■ 非常に優れた第2曲、第3曲、第6曲の演奏

 

 喪の象徴とされる糸杉をタイトルに持つ2曲と、皇帝マキシミリアン1世追悼の音楽である第6曲、以上の3曲については、コチシュは実年齢を忘れさせる熟達した演奏を行っている。しかし、それでいてこのディスクからは宗教性そのものはあまり感じ取れないのだ。一方でこれらの楽曲演奏が後にまで深く印象に残ると言う、独自の方向性がコチシュのディスクには刻まれており、今もなお彼の代表作として忘れがたい。後年、コチシュはバルトーク全集録音と言う偉業を成し遂げたのだが、私にとって今でもこの『巡礼の年』第3年のディスクは、決して忘れがたい貴重な思い出なのである。
 ところで、第6曲に登場するマキシミリアン1世(1832-1867)とは、ハプスブルク家出身でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)の弟である。若くしてメキシコ皇帝となったものの、フランス軍(ナポレオン3世)の撤退と同時に権力基盤を失い、逮捕され銃殺刑に処された。この事件はヨーロッパ大陸に一大衝撃を与えた悲劇的事件であった。
 また、著名な第4曲「エステ荘の噴水」の演奏も、全体を通してしっかりとした歩みの堅実な演奏であり、最終曲「心を高めよ(スルスム・コルダ)」も、この曲集を締めるに相応しく、決して威圧的ではないが非常に迫力のある演奏である。第3年全曲盤としての価値は今なお相当高いと言えるだろう。そこでこれをもってコチシュへの追悼文としたい。本当に長い間、私たちをピアノや指揮で楽しませ、さらにハンガリーと言う国に強い愛着を持たせてくれたことを、深く心より感謝したい。

 

(2016年11月18日記す)

 

2016年11月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記