チッコリーニの「リスト《詩的で宗教的な調べ》(2種類)」を聴き比べる
文:松本武巳さん
EMI録音全集(輸入盤 50999 685824 2 5)CD56枚組 1度目(1968年録音)の全集第1巻
フランス盤(パテ・マルコニ)LPジャケット写真リスト
詩的で宗教的な調べ(全10曲)
- 第1曲「祈り」
- 第2曲「アヴェ・マリア」
- 第3曲「孤独の中の神の祝福」
- 第4曲「死者の追憶」
- 第5曲「主の祈り」
- 第6曲「眠りから覚めた子どもへの賛歌」
- 第7曲「葬送曲」
- 第8曲「パレストリーナによるミゼレーレ」
- 第9曲「アンダンテ・ラクリモーソ」
- 第10曲「愛の讃歌」
アルド・チッコリーニ(ピアノ)
録音:1968年11-12月、パリ、サル・ワグラム(1回目の全集)
録音:1990年4月、パリ、サル・ワグラム(2回目の全集)
使用ピアノ:Steinway(2回とも)
録音技師:René Challan(1968),Etienne Collard(1990)■ この曲集の最初の全曲録音完成者
このリストの曲集は、たとえば第7曲「葬送曲」の、ホロヴィッツのSP時代の名録音のように、1曲だけとか抜粋とかであるなら、多くの録音が存在しているのだが、全曲となると急に減ってしまう。リストを擁護し続けたブレンデルでさえ、半分程度(第1,3,4,7,10曲の5曲)しか録音を残していないのだ。そこで、この曲集の全集録音としての世界最初の演奏家であり、かつ再録音まで達成しているチッコリーニの2種類の全集を比べてみることにしたい。
■ ごく簡単な楽曲解説
まずは最初にこの曲集の概説と全10曲の概略を記しておきたい。
リストはパリのサロンで、詩人アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(1790〜1869)と出会い、交友関係をもったことが作曲のきっかけとなり、ラマルティーヌの同名の詩集からタイトルを借用している。詩集は1830年に出版され、楽曲の最終稿は1845年〜1852年ころにワイマール他で作曲された。曲集の冒頭にラマルティーヌの詩から序文が使われている。1853年出版された。第1曲「祈り」
気高い楽曲で幕を開ける。宗教曲であることが一瞬で分かるような、そんな曲集の開始である。第2曲「アヴェ・マリア」
同名の男性合唱曲からの編曲。ラテン語のテキストに従っている。第3曲「孤独の中の神の祝福」
曲集中最大規模の楽曲で、良く単独で演奏される。ラマルティーヌの詩(おお、神よ、私を包み込むこの平安はどこから来るのか。私の心に満ちあふれる信仰はどこから来るのか…)が冒頭に掲げられている。詩と音楽が対応している訳ではなく、宗教的で詩的な内容が純音楽として表現されている。第4曲「死者の追憶」
元はリスト主宰の音楽雑誌に付録として掲載された曲。執拗に繰り返される和音を用い、グレゴリオ聖歌の朗誦が暗示されている。第5曲「主の祈り」
同名の合唱曲からのピアノ用編曲。第6曲「眠りから覚めた子どもへの賛歌」
同名の合唱曲からのピアノ用編曲。第7曲「葬送曲」
1849年10月オーストリアの反動政策に抗議して処刑された、祖国ハンガリーの友人に対する追悼のための作品。単独で多く演奏される。「1849年10月」が当曲の副題となっている。第8曲「パレストリーナによるミゼレーレ」
16世紀には一般的であった全音階和声における単純和音を用い、拍子記号を一切指示せずに、古く純粋な様式を表現した曲。リストがシスティーナ礼拝堂(ヴァチカン)で聴いた、パレストリーナの旋律とされている。第9曲「アンダンテ・ラクリモーソ」
ラマルティーヌの詩「涙、または慰め」が掲げられている。第10曲「愛の讃歌」
リスト自身がしばしば演奏したとされる曲。
演奏時間は、曲によって長短まちまちで、この点も全体を通した録音が少ない理由の一つであろう。■ 1回目録音の全体像
初出LPは2枚組であったが、CDではギリギリ1枚のディスクに収まっている。(第1曲から順に7分51秒、6分20秒、16分49秒、12分30秒、2分47秒、6分15秒、10分03秒、3分46秒、6分15秒、7分07秒)
全集としては世界初録音でありながら、当該録音がいきなり決定的名盤として扱われたのには十分理由があると言える、非常に読みの深い解釈に貫かれた名盤であると思う。これはこれで、永遠の名盤たる価値が現在でもあるように思える。
■ 2回目録音の全体像
初出CDは2枚組で出たが、全10曲で81分少々かかり、現役盤でも2枚組のディスクとなっている。(第1曲から順に7分11秒、6分49秒、16分51秒、12分56秒、2分58秒、5分25秒、11分49秒、3分47秒、6分04秒、6分53秒)
2回目の方が演奏時間が短い曲が、第1曲、第6曲、第9曲、第10曲の4曲あり、全体的に演奏時間が伸びたわけでは決してない。曲ごとの解釈が何曲か変わったか、あるいは全体の解釈が変わったからこそ、あえて再録音に踏み切ったのであろうと思われる。
しかし、ディスクの売れ行きを考えたとき、良くぞレコード会社は2度目の録音を許したものだと感心するが、1990年の時点ではまさにチッコリーニは、希望がほぼ自由に受け入れてもらえるだけの実力者として、認知されていたのであろう。
初出のCDは、余白にリストの編曲を数曲収録し、2枚組輸入盤(フランス盤)のみで発売されたのだが、優に6000円以上を支払った記憶がある。録音する方もする方で、発売する方もする方で、ましてやフランス盤を探し求めて買う方も買う方だとは思う。が、私はこの盤を輸入盤取扱店で見かけたとき、他のディスクを諦めてまでこのディスクを迷わず購入したのである。もしかしたら、世界中に少数ではあるが、この曲集の猛烈に濃いファンが存在しているのかも知れない。こんな20数年前の記憶がまざまざと蘇ってきた。■ 2種類の第1曲「祈り」を比較する
開始からすぐに、2回目の録音の方がある種のこの曲集全体にかける、ピアニストの尋常ならざる意気込みのような物がひしひしと伝わってくる。単に速度が早くなっただけでない、強い演奏家としての意思を感じるのである。ここだけを聴いても、チッコリーニがあえて再録音に臨もうとした、意思の強さが明らかに確認できるのである。聴き手はもうこの時点で、ゆったりと宗教的な調べを味わうどころでない、緊張感を強いられるのである。思わず襟を正すような演奏である。
■ 2種類の第3曲「孤独の中の神の祝福」を比較する
第1回録音が16分49秒、第2回が16分51秒と、まさに寸分たがわぬ演奏時間となっているが、細部を比べてみると幾らかの違いがはっきりと聴き取れる。
特に前半部分の違いが顕著である。2度目の録音は、深い祈りを捧げるような、ゆっくりとした進行であり、後半に立ち入ると徐々にテンポが第1回よりも早くなり、最終的な演奏時間はほぼ同一である。聴後の印象は、明らかに別の印象が残るくらい、全体の楽曲構成の理解が異なっている。特に下降音型に関しては、非常に敬虔な祈りを感じさせ、チッコリーニの信仰心を彷彿とさせる演奏となっている。
もちろん、その点、第1回録音の方が、楽曲を純音楽として捉えた場合、すっきりと全体が見通せるために、宗教を切り離して聴こうとする場合や、キリスト教への知識がもとより少ない場合などは、かえって第1回録音の方が優れた演奏に聴こえることは吝かではない。■ 2種類の第7曲「葬送曲」を比較する
第1回録音が10分03秒であったのに対して、第2回録音では11分49秒もかけており、演奏時間だけ比べてみても大きな違いがある。では、どのように2つの演奏は異なっているのであろうか。
冒頭は2回目録音の方が、むしろすっきりと開始される。しかし、徐々に深い祈りのような聴き手の心を抉られるような演奏が続き、テンポは遅めとなってくるのだが、全体の構成を無視したような不規則さ不自然さがないために、聴き手は現実の時の経過を忘れさせるような演奏となっている。これに寄与しているのは、全体像をしっかりと捉えた上で極めて大きなコントラストを付けた演奏であること、また演奏者による恣意的な音価の強調をほとんど加えていないことなどから、体感的には決して弛緩した演奏となっていないのである。■ 2種類の第10曲「愛の讃歌」を比較する 第1回録音が7分07秒、第2回録音が6分53秒と、わずかではあるが新録音の方が演奏時間が短くなっている。そもそも、単独で演奏するピアノ作品の場合は、再録音の方が演奏時間がかかることが通例であり、わずかでも短くなっている場合は、意外に演奏姿勢に大きな変化が存在する場合も結構多いのだ。
チッコリーニにとって、2度目の録音に臨むに際し、祈りや孤独や死を表現する場合とは異なり、神の祝福はごく素直に受け入れる、そんな精神状況であったのではあるまいか。ここでは、まさに堂々と讃歌を謳っているのである。つまり、内心の祈りや孤独や死などの、深い宗教心を自ら信仰告白するような部分では、深く深く沈潜した演奏志向となっているものの、心の平安や満ち溢れた喜びは、堂々と若干表面的に演奏する方向性が、再録音では以前よりも強まっていったのではないだろうか。
実はリスト自身が、この楽曲を非常に好んでいたようで、機会があるごとに弾いていたようである。しかし、そんなに技巧的な楽曲ではないので、本当にリストが愛していた旋律だったのだろうと思う。■ アルド・チッコリーニについて
1925年に生まれ2015年に亡くなった、イタリア生まれでフランスに帰化したピアニストである。サティの全集を2度完成したことで知られるが、もとより幅広いレパートリーを有し、思いつくままに並べてみても、モーツァルト、ベートーヴェン、サティ、ドビュッシー、ラヴェル、セヴラック、マスネ、グラナドス、アルベニス等の多数の録音や、サン=サーンスの未刊を含む5曲の協奏曲など、実に数多くの録音を残している。
晩年は、日本でもきわめて高い人気を有していたが、80年代に入るころまでは、サティとリストのスペシャリストだとか、ほぼ同年のフランソワ(1924-1970)の控えなどと言われた時期が長かったが、晩年に大きく才能が認められ、花開いたピアニストであった。晩年はヤナーチェクやシューマンの演奏でも高評価の録音を残しており、生涯にわたって進化と深化を続けた、そんな素敵な演奏人生であったと言えるだろう。(2016年10月22日記す)
2016年10月22日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記