カーゾンの残した2枚のリスト録音を聴く(ロ短調ソナタを中心に)
文:松本武巳さん
スタジオ録音 リスト
- ピアノソナタロ短調
- 愛の夢第3番
- 忘れられたワルツ第1番
- 小人の踊り(2つの演奏会用練習曲より)
- 子守歌
クリフォード・カーゾン(ピアノ)
録音:1963年9月
DECCA(輸入盤LP SXL6076)
ライヴ録音 リスト
- ペトラルカのソネット第104番(巡礼の年第2年より)
- 子守歌
- 忘れられたワルツ第1番
- ピアノソナタロ短調
クリフォード・カーゾン(ピアノ)
録音:1961年9月5日、ライヴ
BBC LEGENDS(輸入盤 BBCL4078)■ 録音嫌いのカーゾンの残した唯一のスタジオ正規盤 クリフォード・カーゾン(1907-1982)は、イギリスのロンドンに生まれ、ライトクラシック作曲家として著名なケテルビー(『ペルシャの市場にて』が特に有名)の甥にあたる、イギリス史上でも指折りの名ピアニストであった。
世界的に著名なイギリスのピアニストとして積極的な活動を繰り広げ、特にモーツァルトやシューベルトの解釈では著名な存在であった。かなりの量の録音を後世に遺しているが、そもそも録音嫌いで有名であり、レコード録音は演奏家の良し悪しの聴衆の判断基準となるべきではないと語り続け、最後まで持論を押し通したために、残された正規録音は著名度の割に非常に少ないと言われている。確かに録音嫌いは有名であったのだが、それにも関わらず、実はなぜか残された演奏は結構あるのだ。■ 名盤として定着後に突如出た正規ライヴ録音
唯一のリスト録音でありながら、名演奏として知られた録音でもあった1963年のスタジオ録音だったが、21世紀になってから突然、スタジオ録音の2年前の録音が世に出た。しかも、中心となるプログラムが大きく重なっており、発売時にそれなりに話題を呼んだが、そこで聴くことのできる演奏に、多くの聴き手は絶句した。
ライヴ録音でのカーゾンが弾くソナタロ短調は、猛烈なテンポでひたすらアッチェレランドを掛けまくり、一方で技巧がほとんど崩壊寸前に至るほど、ミスタッチの嵐であったが、委細構わず猪突猛進し最後まで弾き切った、そんなまさに爆演の類の代表格であると言って良い、驚くべき演奏であったのだ。
確かに面白いと言えば面白い。しかし、カーゾンについて、それなりに予備知識をもって臨んだ聴き手は、たぶん絶句したであろう。「これって、本当にカーゾンの演奏なの??」と、信じがたい思いをしたリスナーも多かったに違いない。■ カーゾンの意外性-1
カーゾンの残した写真を見ると、誰もが人柄のとても良さそうな優しい表情を感じ取るであろう。確かにどこから見てもイギリス紳士に見える。派手さは決してないが、地道に活動を続け、寡黙ではあるもの演奏される音楽は常に本質を突いた、いわゆる玄人好みのするピアニストであったと、カーゾンを紹介している多くの文章は、大概このような風に書かれている。
確かに自己の芸術に対して厳しかったカーゾンは、あくまでも透明感のある音色と繊細かつ微妙な表現に、終世こだわったと言えるだろう。晩年にライヴ録音したクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団とのモーツァルトのピアノ協奏曲第21,23,24,27番や、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4,5番などは、これらの美点が最高に発揮されたまさに名演奏であると思うのだ。
しかし、以上の世評を別に否定するつもりはないのだが、実はカーゾンはコンサートでは結構積極的なアプローチをしている場面も多くあったようだ。特に、カーゾンは本人も認める通り、現代音楽の擁護者でもあったために、時と場合によると、非常にアグレッシヴな演奏を行うこともあったようである。■ カーゾンの意外性-2
また、カーゾンの美質ばかりが語られるが、彼は自身の語るところでは、非常にあがり症であるため、本番の舞台で技巧が破綻気味になることも意外にあったようである。もちろん技巧が破綻することと、楽曲構成が破綻することは明確に違うが、彼への聴き手が抱く予備知識と写真からは想像もできない、そんな一面が確かにあったようである。
■ 一体リストのピアノソナタとは?
この曲については、まだまだ他のピアニストも取り上げる予定でいるため、ここでこのソナタについて簡単に書いておきたい。このソナタをとても外面的な、中身の空虚なソナタであると考える人が多いことも事実である。また、前世紀のドロドロしたまでのロマンティックな世界が展開された長大なソナタであるとの考えを持つ人もいるであろう。あるいは、超絶技巧の果ての人間の極限の世界を見たいと言う、オリンピック精神に満ちたような聴き手もいるであろう。さらには、リストの前衛性に着目し、いわゆる現代音楽の先駆的音楽として捉える人も、もちろんいるだろう。
しかし、私はこのソナタを、リスト畢生の大作であって、彼の音楽の持つ真の豊かさや美しい抒情性であるとか、さらには「音」自体の持っている繊細さを最大限に表した、リストの代表作として捉えていることをここに明らかにしておきたいと思う。■ スタジオ録音のソナタ演奏
実は、しっかりと聴いてみると分かることだが、スタジオ録音にも関わらず、後半部分で多くのミスタッチや、小さな技巧的破綻が散見される。しかし、このまま修正を加えずに発売が許諾されたのである。演奏時間は29分台で、標準よりも若干早い。本人が発売を許諾した録音にどうこうと言うことはないのだが、このソナタにおけるカーゾンは、オクターヴがきちんと弾けていなかったり、音が重なって混濁してしまったり、冷静に言うと優れた演奏の範疇には入らないように見受けられる。
しかし、そんなマイナス面よりも強調すべき内容として、カーゾンが前時代の象徴とも言われる、左右の手の音をずらして弾く場面が見られることと、彼の録音では極めて稀な大胆なルバートを掛けまくっていること、この2点は指摘しておきたいと思う。われわれは、カーゾンがそんな古いスタイルの演奏をするはずがないと、どうしても決めがちであるが、実際には曲のスタイル等で弾き分けているのである。「●●はこうすべきだ」とか、「▲▲ならばこうあるべき」などと、こんな教条的な捉え方は決してしていないのである。この意味でも価値が高い録音だと思われる。■ ライヴ録音のソナタ演奏
冒頭から大きなミスを連発し、技巧もあちこちで破綻するものの、その勢いでの演奏を最後まで継続しきったため、総演奏時間が何と25分台前半なのである。通常は30分を少々超える辺りが普通であり、快速で有名なアルゲリッチでも約26分かかっているのだ。
いわば、しっちゃかめっちゃか寸前の猛烈な演奏である。しかし、この猛烈な勢いで最後まで弾き切ってしまうのであるから、カーゾン唯一の爆演として語り継いでも良いような気がする。
最後に、このライヴ録音がカーゾンの演奏ではないのでは、との疑問に対し、実はある音について、スタジオ録音もライヴ録音も同じ誤り(ミスタッチとは思えない部分)を犯しているのである。これはたぶん、カーゾンに取ってこれまたレアなことではあるが、譜読み間違いではないかと疑われる。一方でこの事実は2つの録音が同一人物の演奏である証明にもなり得るので、ここはカーゾンの珍しい姿が残された録音に免じて、彼を忍ぶ意味でもぜひ許容したいと思うのである。(2016年10月23日記す)
2016年10月23日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記