ショルティは、長大な「ファウスト交響曲」の各々の主題を実に明確に振り分け、曲の全体像を提示している。アンサンブルはほぼ完璧で迫力も十分である。ショルティとシカゴ響のまさに咆哮する金管群、完璧の代名詞のような合奏能力、沈着冷静だが非常に勢いに溢れた音楽進行が、聴き手の前に押し出さんばかりに次々と出てくるのである。
第1楽章
ファウストを描いた音楽で序奏と主部から成っている。序奏では、第1主題が、後の十二音技法を先取りした旋律と一般に言われており、ファウストの悩みの姿を象徴している。次に主部は、劇的かつ情熱的な第2主題を提示し、続いて下行音型が第3主題を提示する。ファウストの愛に対する欲求が描写され、柔らかくかつ美しい響きが心に染み入る。さらに第4主題に移行し、自然と人生への愛を歌うファウストの姿が描写されるが、ここでのシカゴ響のアンサンブルは、実に美しく響き渡っている。その後、劇的な第5主題である英雄としてのファウストが提示され、金管の咆哮とティンパニの炸裂は、いつものショルティ通り迫力満点である。さらに、調性が不安定に変化し、その不安定さが幻想性すら齎す部分でのショルティの指揮は、本当に上手い。さらに徐々にクレッシェンドしながらフォルティッシモに至る部分などは、ショルティ特有の荘厳とも言える圧巻の響きを表出している。そして英雄としてのファウストの主題が再び鳴り響いた後、猛烈な迫力とオーケストラの掛け合いを見せつつ第1楽章を終える。実に優れた演奏と言えるだろう。
第2楽章
グレートヒェンを描いた音楽で、全体的に魅惑的で柔らかな曲想に溢れる緩徐楽章。冒頭の幻想的な動機や引き続いてのオーボエの主題は、たいへん愛らしく響き、ロマン派リストの本領発揮であろう。その後も続く弦楽器群による音の調和は、言語を絶する美しい音楽として表される。天上の楽園のイメージにまさに合致するような、柔らかさ、暖かさ、優しさ、儚さ、格調の全てを具備した見事な音楽として表現されている。さらに情熱的なカンタービレとなった後、再びグレートヒェンの主題が弦楽器間で再現された後、神々しいまでの美しさを響かせつつ楽章を閉じて行く。
第3楽章
メフィストフェレスの音楽である。新しいテーマは現れず、過去のテーマがパロディとして扱われる。低弦の動機とヴァイオリンの掛け合いで開始され、一瞬東洋風の印象を持たされたり、悪魔的な雰囲気であったり、グロテスクな雰囲気になったり、目まぐるしい変化が続く部分こそが、ショルティの真骨頂であろう。音楽の持っている重量感も迫力も、シカゴ響の機能性がショルティによって最大限に発揮され、その後の英雄としてのファウストの主題がパロディで出てくる場面などは、ティンパニとヴァイオリンの超絶技巧がとても印象的な部分だが、ショルティの棒にしっかりと付いて行っているのは流石だと感心する。さらにグレートヒェンの主題や、舞曲風の部分などが次々と出てくる。
神秘の合唱
クライマックスは神秘の合唱である。暗闇の世界に徐々に光が差し込み、厳かに力強く高揚していく合唱が、感動的な盛り上がりをもたらし、さらにオルガンの荘厳な響きが加わる部分などは、筆舌に尽くし難い深い感動を覚える。ショルティは合唱部分の扱いにも長けており、色彩の目まぐるしい変化にも軽々と対応している。そして長大なファウスト交響曲は感動的かつ敬虔なフィナーレを迎える。
ショルティの指揮の基礎には、間違いなく歌心溢れた音楽性が根底に横たわり、いつもながらの猛烈な音楽気質も、基本的にどんな作品であっても音楽全体をしっかりと鷲掴みした、規模の大きな音楽として作り上げる手腕は、当時の名指揮者の中でも屈指の存在であったと思われる。機能性に長けたシカゴ響を自由にドライヴして、大いに飛翔した音楽がショルティとシカゴ響には確かに存在していた。
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