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1.フェレンチク盤
リスト
「ハンガリー戴冠式ミサ曲」S.11 ソリスト及びブダペスト合唱団
ヤーノシュ・フェレンチク指揮 ハンガリー国立管弦楽団
録音:1960年7月(ブダペスト・聖マーチャーシュ教会) DG(輸入盤 LPM
18 668)(LP)
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2.レヘル盤
リスト 「ハンガリー戴冠式ミサ曲」S.11
ソリスト及びハンガリー放送合唱団 ジョルジ・レヘル指揮 ブダペスト交響楽団
録音:1979年頃 Hungaroton(輸入盤 HCD12148)(CD)
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3.リスト自身によるピアノ編曲版
リストピアノ作品全集(第14巻)
「ハンガリー戴冠式ミサ曲より」S.501 『ベネディクトゥス』(原曲第7曲)
『オッフェントリウム』(原曲第5曲) レスリー・ハワード(ピアノ)
録音:1989年12月 Hyperion(輸入盤 CDS44514) |
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■ 1867年、ハンガリー戴冠式のためのミサ曲
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ハンガリー戴冠式ミサ曲は、オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト皇妃が、オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立を受けて、新たにハンガリー国王としての戴冠式の際に、リストにより作曲されたミサ曲であり、戴冠式はブダ地区の聖マーチャーシュ教会で執り行われた。1867年6月8日のことであった。リスト自身は個人のカトリック信仰にもとづき、宗教合唱曲の作曲に心血を注いでいた時期にあたる。オラトリオ「聖エリーザベトの伝説」を始めとして、「荘厳ミサ曲」「ハンガリー戴冠式ミサ曲」などの、管弦楽を伴う大曲や晩年の無調的な作品や多くの小品など、宗教曲の分野においても、リストの残した作品は多岐に渡っているのである。
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■ オーストリア=ハンガリー二重帝国
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ハプスブルク家の君主が統治した、世界史上珍しい多民族により形成された連邦国家である。1867年にオーストリア帝国が、いわゆる「アウスグライヒ(和解)」により、ハンガリーを除く部分とハンガリーとの同君主による連合国として改組されることによって成立した。この二重帝国は1918年に解体するまで半世紀間存続したのである。
国家の正式名称はドイツ語では、 Die im Reichsrat
vertretenen Königreiche und Länder und die Länder der heiligen
ungarischen Stephanskrone
一方のハンガリー(マジャール)語では、 A birodalmi
tanácsban képviselt királyságok és országok és a magyar Szent
Korona országai と表記される。
両方の言語の意を汲んで翻訳すると「帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なるハンガリーのイシュトヴァーン王冠の諸邦」となるであろう。オーストリア=ハンガリー二重帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オーストリア=ハンガリー君主国などと一般には呼ばれている。
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■ 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト皇妃
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フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)は、オーストリア帝国の皇帝(在位:1848-1916)である。オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立後は、ハンガリー国王を兼ねた(在位:1867-1916)。ハンガリー国王としてはフェレンツ・ヨージェフ1世、オーストリア帝国内のベーメン(ボヘミア)国王としてはフランティシェク・ヨゼフ1世と呼称された。
68年間にも及ぶ長い在位期間と信頼により、晩年はオーストリア帝国の国父とも称されて、国民から敬愛された皇帝であり、オーストリア帝国の象徴的存在でもあった。皇后は美貌で知られる伝説の皇妃エリーザベトである。フランツ・ヨーゼフ1世の後継者であった最後の皇帝カール1世は、統治期間が2年にも満たなかったために、フランツ・ヨーゼフ1世が、オーストリア帝国の実質的な最後の皇帝と呼ばれることも多いようである。
エリーザベト(1837-1898)は、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后である。バイエルン王家の出身で、フランツ・ヨーゼフ1世のもとに、わずか16歳で嫁いだ。一般に「シシー」の愛称で良く知られている。たいへん多くの伝説を残した、現在でも謎の部分が多い王妃であり、60歳の時に、スイスで暴漢に襲われ殺害されると言う、非業の死を遂げた。
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■ 聖マーチャーシュ教会とリスト音楽院 |
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聖マーチャーシュ教会は、13世紀半ばにベラ4世によってブダ地区のブダ城内にゴシック様式の教会として建てられた。当初は「聖母マリア聖堂」と名付けられたが、のちに南塔を含む増築を行ったマーチャーシュ1世の名前で、今日まで広く呼ばれている。700年に及ぶ歴史の中で、聖マーチャーシュ教会はブダの豊かさと悲劇の歴史の象徴を担ってきた教会であると言われる。ハプスブルク家最後の皇帝カール1世を含めて、歴代ハンガリー国王の戴冠式がこの聖堂で行なわれた。
一方のリスト音楽院は、1875年フランツ・リストによって創立され、1877年から1879年にかけて、現在のペスト地区アンドラーシ通り沿いに建てられた。アール・ヌーヴォー様式の美しい校舎は、ブダペスト市内の著名建築の一つに数えられている。フランツ・リストの彫像が外観に聳え、建物内部はフレスコ画、陶芸、彫像などで見事に装飾された壮観な建築物である。修復のため2010年から一時閉鎖されていたが、2013年には無事に修復を終え、現在でもブダペストの音楽教育の中枢機関となっている。リスト音楽院の特色として、複数の楽器を専攻するように学生に求めているが、これは創立者リストの意思が現在まで受け継がれている一例でもある。
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(聖マーチャーシュ教会とリスト音楽院=2005年8月撮影)
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■ ブダペスト
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ブダペストの名称は、大河ドナウ川を挟んだブダとペシュト2つの町の名称を組み合わせたもので、1873年に2つの町が合併されて一つになって以来使われている。古いブダを意味するオーブダ地区も同時に合併され、大都市が誕生したのである。
ブダペストはウィーンとともに二重帝国の一方の首都となった。ブダペストは国のあらゆる意味で、ヨーロッパの中枢都市へと劇的に成長した。民族的にもマジャール人がドイツ人の人口を追い越したが、これは19世紀半ばにトランシルバニア地方やハンガリー大平原からの、大規模な人口流入によるところが大きい。言語面でも、ハンガリー語がドイツ語に代わり主要な言語になった。
合併時の人口は約30万人であり、1890年には50万人を突破し、1930年には100万人を超える大都市となった。第二次大戦で一時80万人まで減少したものの、1970年には200万人を超え、東側の崩壊後90年代以後は人口が減少し、2005年には遂に170万人を割り込んだが、近年は再び増加に転じ、現在は180万人近くが居住する大都市である。
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(ハンガリー国会議事堂内に展示された議事堂の模型=2015年1月撮影) |
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■ リストの作曲の経緯と、自身によるピアノ編曲
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リストは作曲するにあたり、戴冠式に見合うように細心の注意を払ってミサ曲の構成を練ったのである。リスト自身も言っているように、このミサ曲はそもそも長さが短く、一方で演奏は意外なほど容易である。また、この戴冠式ミサ曲の最大の特徴として、当然ではあるが教会音楽としての様式を遵守し、一方でハンガリー音楽の様式をも同時に併せ持っていることが挙げられるであろう。
しかしながら当時のリスト周辺には、様々な政治的陰謀などの不穏な雰囲気が充満しており、ハンガリー国内のリストを支援している多くの音楽家たちは、リストのこのミサ曲を実際に戴冠式当日に演奏することに、大変な苦労を強いられたという記録が残されているほどである。とは言っても、結果的にリストのミサ曲を戴冠式で演奏することに、ハンガリーの音楽家たちは無事に成功したのであった。
ピアノ編曲版はハンガリー戴冠式のために作曲されたミサ曲のうち、第7曲と第5曲が、後日リスト自身の編曲によりピアノ曲に編曲されたもので、1871年に出版された。
第1曲「キリエ」、第2曲「グローリア」、第3曲「昇階曲」、第4曲「クレド」、第5曲「奉納唱」、第6曲「サンクトゥス」、第7曲「ベネディクトゥス」、第8曲「アニュス・デイ」で、全曲通しての演奏時間は約45分である。また、ピアノ編曲版は2曲合わせて約10分の演奏時間である。
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■ フェレンチク盤とレヘル盤
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フェレンチク盤は、長らくこの戴冠式ミサ曲の代表盤であった。ドイツグラモフォンとハンガリーのQualitonによる共同制作で、戴冠式が執り行われた聖マーチャーシュ教会を録音会場として、ハンガリーの代表的指揮者とオーケストラによって1960年に録音された名盤である。非常に引き締まった楽曲進行で、全曲を約44分かけて演奏している。ヤーノシュ・フェレンチク(1907-1984)は、ハンガリーを代表する指揮者の一人で、共産化時代もハンガリー国内に留まったために、国際的な知名度はやや劣るが、間違いなく第一級の指揮者であった。なお1984年彼が逝去後、ハンガリー国立管を引き継いだのが日本人の小林研一郎であった。
一方のレヘル盤は、ハンガリーの国策レコード会社であるフンガロトンにより、1979年頃に録音され、1980年に発売されたレコードである。フェレンチク盤より全体的にゆったりと演奏しており、全曲演奏に約49分をかけており、フェレンチク盤より演奏時間が約5分長くなっている。落ち着いた荘厳な雰囲気で全曲がまとめられており、この1枚だけでも特段の不足は感じないであろう。ちなみに指揮者ジョルジ・レヘルは、1926年にブダペストで生まれた指揮者で、一時期はスイスでも活躍したようである。
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■ ピアノ編曲盤その他
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何と言っても、完全全集の録音を達成したレスリー・ハワードの録音をまずは挙げるべきであろう。非常に安定した技巧で、リストによりピアノ編曲された2曲を完璧に弾き切っている。その他、フィリップ・トムソンも優れた録音を残している。なお、リストはこれ以外にも、ヴァイオリンとピアノのための編曲版も残しており、この編曲による録音も存在しているようだが、筆者自身が未聴であることもあって、ここでは割愛させて頂きたいと思う。
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(2016年12月8日記す)
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