往年のピアニストと指揮者で「リスト・ピアノ協奏曲第1番」を聴く

文:松本武巳さん

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  リスト
ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
LPジャケット サンソン・フランソワ(ピアノ)
コンスタンティン・シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年6月13−14日(ロンドン・キングズウェイホール)
EMI(番号省略=画像は仏初出LP)

LPジャケット ジョルジュ・シフラ(ピアノ)
アンドレ・ヴァンデルノート指揮フィルハーモニア管弦楽団
録音:1961年1月(ロンドン・キングズウェイホール)
EMI(番号省略=画像は仏初出LP)

LPジャケット アニー・フィッシャー(ピアノ)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
録音:1962年5,8月(ロンドン・アビーロード第1スタジオ)
EMI(番号省略=画像は英初出LP)
 

■ あまりにも個性が異なる3種類の名演奏

 

 この3枚のまるで性格の異なる名盤が、1960年夏から1962年夏にかけてのわずか2年ほどの間に、同じオーケストラと同じレコード会社によっていずれも制作されたことを、まずは紹介したいと思う。それでいて、3枚のディスクはピアニストだけでなく、伴奏を務めた指揮者も全て異なっている上に、3枚ともに半世紀以上を経過した現在でも、名盤として存在が知られているのである。

 この3名のピアニストは、フランスの歴史的個性派ピアニストと、ハンガリーからフランスに亡命した歴史的超絶技巧派ピアニストと、ハンガリーに終世留まりながら極めて伝統的なピアニズムを貫徹した女流ピアニストという、実に多彩な陣容である。これほど異なる性格のピアニストばかりを用いて、同時期に同じ曲で録音を敢行したことは驚異的でもあるし、まずは当時のレコード会社の企画力と制作意欲に対し、深く感謝を捧げたい。

 一方の伴奏を務めた指揮者たちも、爆演派として一世を風靡したルーマニアの指揮者と、伴奏指揮者として確かな仕事をしたベルギーの指揮者と、誰もが知る往年のユダヤ人大指揮者の3名なのである。こちらもまた、良くぞこれだけ多彩な指揮者を同時期に用いて録音できたことに対し、まことに驚きを隠せないのである。

 英EMIが仮にこの3種類の演奏を1枚のディスクに収めて発売する度量が、もしも過去に一度でもあったなら、これはまさに世紀の比較用ディスクとなり得たであろうにと、今になってもたまに思うほど、演奏の切り口が大きく異なると予想される3種類の録音は、実際にはこのような状況のもとで、ほとんど同時期に録音されたのである。

 

■ サンソン・フランソワ盤

 

 演奏があまりにも濃い個性的なものであったために、今もって残された録音に賛否両論が存在し続けているフランスの往年の名ピアニスト、サンソン・フランソワ(1924年生まれ)が、爆演系指揮者としてマニア的な知名度をもって知られている、ルーマニア出身の往年の名指揮者、コンスタンティン・シルヴェストリ(1913年生まれ)と共演した、リストのピアノ協奏曲第1番の隠れた名盤である。これが、フィルハーモニア管弦楽団と1960年6月にEMIによって録音されたのである。この時期にフランソワは、本拠フランスのパテ・マルコニ(後にフランスEMI)社ではなく、ロンドンで英EMIのために複数枚のレコードを録音したのだが、これはそのうちの1枚である。フランソワに取っては、同曲は実は再録音盤にあたっている。

 

■ ジョルジュ・シフラ盤

 

 演奏が、あまりにも技巧一辺倒であると看做されたために、世紀の超絶技巧を有していながら終世賛否両論と毀誉褒貶のあった、ハンガリーからフランスに、1956年秋のハンガリー動乱の際に亡命した名ピアニスト、ジョルジュ・シフラ(1921年生まれ)が、ベルギーの指揮者アンドレ・ヴァンデルノート(1927年生まれ)と共演した、シフラ自身にとっては再録音盤である。充実した鮮やかな技巧を楽しむのならば、後年のシフラジュニア指揮の再録音盤よりも、こちらの方がはるかに優れているとの世評があり、これは真に冴えわたった技巧を楽しむための名盤であると言えるだろう。やはりロンドンで英EMIのために、フィルハーモニア管弦楽団と1961年1月に共演したアルバムである。

 

■ アニー・フィッシャー盤

 

 戦後の共産化や1956年の動乱発生後も、ハンガリー国内に留まり続けて、演奏活動を続けた往年の女流名ピアニスト、アニー・フィッシャー(1914年生まれ)は、晩年に至り日本に何度も来日したこともあって、ベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏を中心として、オーソドックスな演奏を終世繰り広げた名ピアニストとして知られているが、フィッシャーが伝説の大指揮者オットー・クレンペラー(1885年生まれ)の指揮で、彼の手兵フィルハーモニア管弦楽団と1962年の5月と8月に、これまた英EMIに録音した名盤である。もとより二人は、クレンペラーのブダペスト歌劇場在職時代に何度も共演した経緯があるようで、実は旧知の間柄であったようだ。なお、同じメンバーによるシューマンのピアノ協奏曲とのカップリングで発売された。

 

■ 実は3者の演奏内容は思いのほか似ている

 

 このような3枚のディスクは、演奏者名を一瞥する限り、凡そ接点がないくらい異なった演奏であろうと、誰もが想像するであろう。しかし、まことに意外なことに、明確な違いは第1楽章には確かにみられるものの、第2楽章になるとそのようなな違いは目立って減ってきて、第3楽章と第4楽章に至っては、驚くほど3者の演奏は解釈面でも似通ったものとなるのである。もちろん、厳密に専門的に言うならば違いは明確に存在しているとも言えるだろう。しかし、3者ともに現代の21世紀の若い世代の演奏と比べてみると、ある一定の確固たる伝統の範囲内にとどまった、大きな基本的な枠内からはみ出すことのない、他の時代の演奏と比較すると近似した名演奏ばかりなのである。

 全くの参考としてではあるが、一例として3枚の演奏時間をここで記しておきたいと思う。フランソワ盤が18分34秒、シフラ盤が18分44秒、フィッシャー盤が18分38秒(この協奏曲は4つの楽章を切れ目なく連続して演奏する)となっている。ほんのわずかの差ではあるものの、超絶技巧派として知られるシフラ盤が最も長い演奏時間となっていることも、たいへん興味深い。また、第3楽章の演奏時間は7秒差の中に3枚全部が収まり、同様に第4楽章の演奏時間も10秒差の中に全てが収まっているのである。演奏時間だけで比較しても、3枚のディスクにはほとんど差が見られないのである。

 

■ 欧州伝統の演奏スタイルや伝統的音づくりは確かに存在した

 

 結局のところ、往年の名演奏とは、「演奏家固有の音」や「個性的な表現」を持っていることが中心なのであって、決して奇異を衒った演奏の奇抜性であるとか、伝統的解釈からはみ出した斬新だが独り善がりな解釈などは、少なくともこの3種類の演奏からは意外にもほとんど見られないし、また3者ともに見せようとしていないのである。これは、「個性」なるものの捉え方自体が現代とは異なっているとしか、実際のところ考えようがないし、「恣意的」なるものと「個性的」なるものとの差を、彼らなりに明確に峻別していたとしか言えないのである。

 それゆえ、録音から半世紀を経過した現在でも、各々のディスクが毀誉褒貶こそあるものの生き残り、名盤として聴きつがれているのだろと考える。私自身も、3つの録音内容が予想外に小さな違いに過ぎないにもかかわらず、どの盤も現在でも語り継がれる名盤であり続けていることに対して、新たな感動を覚えている。個性派の象徴的存在でもあったフランソワやシフラから、思いのほかヨーロッパ伝統の重みを感じ取らせてくれたことに対し、この聴き比べをしてみるきっかけを作ってくれたと言える、往年のレコード会社EMIには感謝せずにはおられない。聴き終えた現在は、そんな気持ちでいっぱいなのである。

 

(2017年1月9日記す)

 

2017年1月9日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記