リストの「伝説曲」をケンプとブレンデルで聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ケンプ(旧盤)

リスト

  • 「巡礼の年第1年」から3曲
  • 「巡礼の年第2年」から3曲
  • 2つの伝説曲

ウィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
録音:1950年11月(ロンドン)
DECCA(輸入盤 LXT2572))(LP)


CDジャケット

ケンプ(新盤)

リスト

  • 「巡礼の年第2年」第1曲〜第6曲(除く「ダンテを読んで」)
  • ゴンドラをこぐ女(同補遺「ヴェネティアとナポリ」より)
  • 2つの伝説曲

ウィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
録音:1974年9月(ハノーヴァー)
DG(輸入盤2530 560)、(国内盤MG2511)(初出LP)


CDジャケット

ブレンデル

リスト

  • ピアノソナタロ短調
  • 2つの伝説曲
  • 悲しみのゴンドラ第1番、第2番

アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
録音:1981年6月1-3日(ロンドン)
PHILIPS(国内盤28PC-32)(初出LP)

  ■ リスト究極の宗教曲
 

 2つの伝説曲は、第1曲が「小鳥に説教するアッシジの聖フランシス」、第2曲が「波を渡るパオラの聖フランシス」の2曲から構成されており、第1曲は演奏時間約10分、第2曲は約9分の、中規模ながらかなり聴き応えのする技巧的な面の勝ったピアノ曲である。それゆえ、曲のタイトルにもかかわらず、多くの音大生が学習用に弾くことが多いが、一方で世に残された名録音はあまり多くない曲集である。
 何よりもまず、曲のタイトルにビックリされるであろうと思う。第1曲は「小鳥に説教する」のであり、第2曲は「波を渡る(波の上を歩く)」のであるから。第1曲からは「豚に小判」なる珍格言を想起させるし、第2曲からは「水上歩行器」なる珍発明を想起させる。ほとんど噴飯ものの世界かも知れない。

  ■ ブレンデルによる当曲の紹介と、リスト擁護
 

  まずブレンデル自身による以下の言葉を、彼の対話録から紹介したい。

 「リストは宗教色のあるピアノのための作品を書いた最初の作曲家で、私はこうした彼のピアノ曲のほうがオラトリオやミサといった宗教曲よりも説得力があると思います。彼のこうした作品を弾いていると、書かれている内容を信じる気持ちになれます。不可知論者で懐疑主義者の演奏家でもそのような気分になれるのです。水面を歩いたり、鳥に説法をして、彼らが羽をわずかに動かすだけで静かに聞き入るようにもっていくことができるリストの音楽家としての本質がそこにあるのです。リストは演奏家として、不可能を可能にすることができた人でした。」
《マルティン・マイヤー編著(岡本和子訳)『対話録「さすらい人」ブレンデル』音楽之友社刊》より引用

 ブレンデルの発言だとは、一見してとても信じがたい発言だが、リストを演奏すると何だかそんな気分に浸ってくることは確かに否定し得ない。弾き手は、理屈抜きに、このブレンデルの発言を容認するところがある。リストのピアノ曲が、弾き手と聴き手に大きな齟齬がある、そんな一つの証拠であるかも知れないと考える。

 

■ 第1曲「小鳥に説教するアッシジの聖フランシス」

 

 これは、「アッシジの聖フランシス」という、キリスト教の聖人を描いた絵画の世界をもとに作曲された曲である。アッシジのフランシス(1182-1226)は、12世紀にイタリアのアッシジに生を受けたフランシスコ修道会の創始者として知られる修道士。聖人に列せられている。

 

■ 第2曲「波を渡るパオラの聖フランシス」

 

 こちらは、「パオラの聖フランシス」という、別のキリスト教の聖人を描いた内容を、リストが作曲したものである。パオラのフランシス(1416-1507)は、15世紀にイタリアのパオラに生を受けた。アッシジのフランシスと同様に聖人に列せられている。

 

■ ブレンデルが自身執筆の論文で激賞しているケンプ盤

 

 ブレンデルは、自身執筆の別の論文で、ケンプの2つの伝説曲の録音を激賞しており、特に第1曲は、この曲をほとんどミスなしで弾き切った初めてのピアニストとまで褒め称えている。
 さて、実際のケンプの演奏自体はどうなのであろうか。確かにケンプが最初に録音した1950年当時までのリスト演奏は、それまでに残された多くが、とても派手な演奏であったり、特別なパフォーマンスであったり、技巧の展覧会であったり、又はリストを弾くにはあまりにも技術が不足した駄作だったり、そんな悪しきリスト像を認めざるを得ないような演奏ばかりが多く残されていた。まだまだそんな前時代的な録音や演奏が主流の時代であったのだ。
 しかし、ケンプは初めてこの伝説曲の真っ当な音楽性の面に光を当てて演奏した、そんな面から一定の優れた録音を残したことを、ブレンデルは非常に高く評価し激賞したに違いない。一方で、ブレンデルが激賞したとはいえ、当時のケンプの技量はそこまで優れたものではなく、実際にミスも多少は目立っている。ましてや、1974年の再録音では、音楽全体の流れも以前よりはやや停滞感を感じさせる緩やかな演奏であり、とすると、ブレンデルが指している「ほとんどミスなしに」とは、ブレンデルの言いたいことを推察するに、本来リストが目指した2つの伝説曲の演奏に対するピアニストの姿勢に於いて、ほとんど解釈上のミスらしいミスが無い、そんな正当かつ真っ当な演奏であると言いたかったのであろう。私にはブレンデルのケンプへの褒め言葉は、このような意味合いに映るのである。

 

■ ブレンデル唯一の録音

 

 そんなブレンデルでありながら、肝心の2つの伝説曲のブレンデルによる演奏は、若いころのVOXレーベル等への大量録音の中には、実は含まれていないのである。フィリップスへの移籍後も、移籍から10年以上も経過した1981年に至って、ようやく録音に踏み切ったのである。これは誠に意外な事実である。あれほどリストの音楽を擁護し、言葉通りに確かに多くの楽曲を取り上げ、多くの録音を入れたにもかかわらず、よりによって論文まで書いた2つの伝説曲の録音を避けていたとは、七不思議に近い現実である。
 しかし、ブレンデル唯一の録音であるLP時代の最後期かつデジタル録音時代の最初期に、ピアノソナタロ短調の裏面に入れた伝説曲の出来栄えはとても優れており、なぜこれまで伝説曲の演奏を控え、録音を控えてきたのかがとうてい理解できないほどの、究極の素晴らしい名演奏なのである。ある意味、この曲の決定的名盤の一つだと言っても、何ら差支えないと思われる。

 

■ 実は管弦楽版が存在していた

 

 実は、当該伝説曲は、ほぼ同時期に書かれた管弦楽曲版が存在していたのである。管弦楽曲版は1975年に発見され、ピアノ曲に大きく遅れて、何と1984年になってようやく出版されたのだが、研究の結果ピアノ曲と管弦楽曲はほとんど同時期の作品であることが、近年に至って判明したのである。かつ、現時点での研究成果では、実際にどちらが先に作曲されたのかは、未だ確定されるに至っていないのである。
 最後に、このことだけは強く主張しておきたい。当該伝説曲が、あり得ない絵空事を音楽化したような、(疑似的)宗教作品では決してないことを。リストが作曲する動機となった宗教上の伝説は、実際にリストが作曲した19世紀後半では、あり得ない事実であることなどとっくに明白であった。その事実自体を認めないと言うことは、一例を挙げて説明するならば、現在でもカトリック教会は、ガリレオ・ガリレイの地動説を表向きしか認めていない、などと主張することに近いと言えるだろう。そのくらい、当該伝説曲作曲の経緯となった宗教上の事実と、作曲時の時系列の隔たりはとてつもなく大きいのである。リストは、事実としては決して起こり得ない世界を、音楽の標題に託したのであって、このようなことが起こりうる世界を現実に想起して作曲したのでは決してないのである。このことだけは、ぜひ理解してほしいと思う。そして一度きりでも良いから、実際に聴いてみて欲しいと念願する。

 

(2016年10月27日記す)

 

2016年10月29日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記