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(世界初録音盤) |
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1.リスト
ピアノソナタロ短調
オルガ・コズローヴァ(ピアノ)
録音:2007年7月17日
2.リスト(ヴェイネル編)
ピアノソナタロ短調(管弦楽版)
ニコラス・パスケ指揮ワイマール・フランツリスト音楽大学管弦楽団
録音:2006年10月22日(ワイマール、第3回リストフェスティヴァル)
Avi Music(ワイマール・フランツリスト音楽大学自主制作)(輸入盤 8553012)
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(ハンガリー初録音盤) |
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1.リスト(ヴェイネル編)
ピアノソナタロ短調(管弦楽版)
2.ヴェイネル
- 前奏曲、夜曲と悪魔的スケルツォ
- パッサカリア
- おもちゃの兵隊
ラースロー・コヴァーチ指揮ミシュコルツ北部ハンガリー交響楽団
録音:2009年9月1-5日(ミシュコルツ、ハンガリー)
Hungaroton (輸入盤 HCD32634)
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■ レオ・ヴェイネルとは誰か? |
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1885年4月16日ハンガリーのブダペストに生まれ、1960年9月13日同じくブダペストで没したハンガリー出身の作曲家である。1901年からブダペスト音楽アカデミーでハンス・ケスラーに師事。その後オペラハウスのコレペティトールを務めた後、1908年からブダペスト音楽高等学校で作曲・室内楽の教授に就任。ヴェイネルの弟子に、アンタル・ドラティ、ゲオルク・ショルティ、ゲザ・アンダ、ジョルジュ・クルタークらがいる。
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■ リストのピアノソナタを管弦楽編曲した経緯
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ヴェイネルが自らの70歳(1955年)と、リスト没後70周年(1956年)を記念して、リストのピアノソナタを管弦楽曲に編曲し1956年に初演された。その後埋もれていたが、さらに半世紀が経過した2006年に、ワイマールで第3回リストフェスティヴァルが開催され、演奏並びに世界初録音がなされた。さらに2009年には、母国ハンガリーのフンガロトンレーベルも、世界初録音から3年遅れで同曲の録音を成し遂げた。
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■ ワイマール・フランツリスト音楽大学とは?
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ドイツのワイマールにある、ワイマール・フランツリスト音楽大学は、1835年にフランツ・リストが、時代に先駆けた音楽学校の設立を計画したが果たせなかったものの、リストの意向を継いだ弟子により1872年にリストの名を冠した音楽大学として創立された。現在フランツ・リスト国際ピアノコンクールなど、3つのコンペティションを主催している。
ディスクの冒頭に収められたピアノ版によるオルガ・コズローヴァ(ロシア出身)の演奏は、2006年開催の当該コンクールの優勝者の記念として2007年に録音されたものである。優勝直後の録音だけあって、全体的に端正かつ筋の良い音楽として、見通しの良いまずまずの演奏を繰り広げているが、その後あまり表舞台での活躍を聞く機会がないのは残念である。
管弦楽版の演奏も、大学が主催しているフェスティヴァルでの演奏のライヴ録音と言うこともあり、十分な準備をしたうえで臨んだものと思われる。気合十分であるだけでなく、練習の成果も遺憾なく発揮しており、学生オケなどと決して侮れない、そんな貴重なライヴ録音となっている。まさに世界初録音に向かう気合十分の演奏であると言えるだろう。なお、指揮者パスケは同音楽大学で教鞭を取っており、著名な弟子も何名か育てている指揮者・教育者である。
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■ ハンガリーのフンガロトンレーベル
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有名な、ハンガリーの元国策レコード会社フンガロトンによる録音である。幾多の著名な録音をかつて輩出しており、現在でも抱えている演奏家のレベルはかなり高い。ここでは、リストではなく、レオ・ヴェイネルの作品集として焦点を当てて、ディスク全体が制作されている点が、リスト音楽大学のコンセプトと根本的に異なっている点である。
残念ながら、演奏の質はリスト音楽大学管弦楽団の方が格段に上である。しかし当盤の指揮者も、相当強い明確な意思の下に、オーケストラを懸命に牽引しているのだが、ハンガリーの地方オーケストラのレベルが、若干水準に届いていないのか、あるいはあまりにも珍しい不慣れな楽曲を演奏しているためなのか、縦の線が少し揃わない部分や、音の均質さやバランスを失う場面が散見されるのは、少々残念である。しかし、コヴァーチの指揮は、演奏の方向性が明確であり、不慣れな楽曲への取り組みゆえに、多少は仕方がないことなのかも知れない。そうは言っても、貴重な母国ハンガリーのメンバーで揃えた録音であり、決して無視しえない録音となっている。
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■ 率直な感想
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ものすごくカラフルな音楽に仕上がっており、結構ステキな音楽だと思う。本来は一人で弾かねばならない上に、超絶技巧で大変な格闘を要したこのソナタが、管弦楽演奏版だとさして演奏自体に困難さがなく、音に圧倒的な厚みも簡単に出せるため、結果的にかなり上質な編曲版として完成されていると思われる。名教師であったヴェイネルの能力が、まさに遺憾なく発揮された編曲であると言えるだろう。
一方で、ソロピアノによる超絶技巧だからこそ存在し得た、この曲の持っているリストの音楽特有の悪魔性や孤高性がほとんど失われ、厚ぼったいロマンティックな音楽に変容してしまっている。そのため、ピアノ曲としては、演奏家の資質次第ではあるが、とても激しい突き詰めた表現や、切れ味のよい瞬間的な急激な変化が楽しめるのだが、管弦楽版ではこれらを望むことはまず無理である。
しかし、単なる資料的価値を超えた存在感を感じさせる音楽となっているので、今後もときどき演奏されたり、録音される機会があるのではないだろうか。決して悪い音楽ではないし、悪趣味な音楽でもない上質な管弦楽編曲版であることは間違いない。
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(2016年10月27日記す)
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