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リスト「交響詩集」
交響詩「前奏曲」 フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団
録音:1956年9月ベルリン
交響詩「タッソー、悲哀と勝利」 スタニスラフ・マツラ指揮プラハ放送交響楽団
録音:1975年12月プラハ
交響詩「マゼッパ」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年9月ベルリン
交響詩「理想」 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1974年5月バイエルン放送(ライヴ)
Praga (輸入盤PRDDSD350124) (SACD)
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■ 単なる寄せ集めディスクなのか
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このディスクは、リストの交響詩を著名な指揮者の演奏でいろいろと寄せ集めただけの珍企画であると、一見そのように受け取れるだろうと思う。しかし、例えばクーベリックによるリストの交響詩録音は、実はこれまで一切存在していない貴重なものであるし、このディスクはいわゆる寄せ集め音源でありながら、なんとSACDでの発売でもあるのだ。それにしても指揮者と楽曲の組み合わせを始めとして収録の順序も何もかもが、なにか到底無視できないとても不思議な魅力を感じてしまって、思わず衝動買いで購入してしまったディスクなのである。
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■ 圧倒的な迫力とテンションの80分間
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とりあえず聴いてみて、まさにビックリの連続であった。収録されている4曲とも異様なテンションの高さで統一されているうえに、4名中飛びぬけて無名であると言われてもやむを得ないスタニスラフ・マツラ指揮のタッソーが、最も優れた演奏であるようにも思えてくるのである。また、最後を締めたクーベリック唯一のリスト交響詩録音も、間違いなく非常な名演である。つまり、予想の範囲内にとどまっているフリッチャイとカラヤンの録音がむしろ引き立て役となっているとすら言えるような、そんなディスク構成となっているのである。
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■ これぞ企画の勝利、或いは究極のゲテモノ
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リストの交響詩集なんて、まさにケバケバシイ音楽の典型であり、それこそリストの音楽がトコトン嫌われている元凶でもある。このように思っている方や信じている方にこそ、このディスクは聴いてほしいと念願する。迫りくる圧倒的な迫力の前に、自身のポリシーを貫くことが果たして可能であろうか、それとも抗しがたい魅力の前に敢え無くひれ伏すのであろうか? ただし、このディスクにわざわざ3000円近くを投資することが、実際にはそもそもあり得ないのかも知れない。いくら初発売のSACDとはいえ、確かにかなりの高額ディスクなのである。
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■ クーベリックのリスト演奏
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クーベリックによるリスト作品の正規スタジオ録音は、実は1曲も存在していないのだが、かつてアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのピアノで「ピアノ協奏曲第1番」と「死の舞踏」(1961年4月、トリノRAI交響楽団との共演)、ネルソン・フレイレのピアノでやはり「死の舞踏」(1974年5月、バイエルン放送交響楽団との共演)のライヴ音源が、それぞれ正規に放送局に残されていて、前者は海賊盤だけでなくかつてワーナーから正規発売されたこともあるのが、リスト録音の全てなのである。
今回初めて発売されることになった、リストの残した最後の交響詩である「理想」は、演奏時間がかなり長いために一般に一部を慣習でカットされて演奏されることも多い大規模な楽曲なのである。ここでのクーベリックも約27分をかけて丁寧に演奏している。このような正規ライヴ録音の新たな発掘と発売は、クーベリックファンにとってはとても貴重な新たな音源発売であり、大きなプレゼントなのである。このことはぜひ特記しておきたいと思う。
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■ フリッチャイとカラヤン
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それぞれ、このディスクの収録曲の名演を正規に残しているので、演奏自体はさして珍しいものではないが、過去の正規音源に比べて非常にテンションの高い演奏であり、加えて圧倒的な迫力もあるので、たいそう聴きごたえのある演奏である。特にフリッチャイの演奏は、さすがにディスクの冒頭に置かれただけあって、緻密かつ迫力満点の名演奏である。かつての人気曲である交響詩「前奏曲」を、たっぷりと聴かせてくれている。カラヤンも聴き手の期待を一切裏切らない演奏であり、聴かせどころを派手に演出しているものの、そんな策士カラヤンが特別に目立たないくらい、ディスク全体を貫くテンションが高いのである。その意味でも極めて珍しいディスクである。
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■ スタニスラフ・マツラ
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スタニスラフ・マツラのタッソーは、思いのほかと言う以上に客観的に判断しても実に優れた演奏であり、多くの聴き手を驚かせることだろう。このディスク中最大の掘り出し物であると思われるのだ。1946年の生まれで、この録音当時まだ30歳に満たなかったマツラは、旧チェコ・スロヴァキア出身で、オストラヴァとブルノの音楽院を出た後、ブザンソンの指揮者コンクールに入賞している。かつては日フィル等に客演したこともあるようだ。現在まで、スロヴェニア、スロヴァキア、チェコのモラヴィア地方のオーケストラや歌劇場を中心に活動している中堅指揮者なのである。
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(2018年1月8日記す)
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